思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

恋愛ごと

2017-11-30 18:06:04 | 文章
恋愛は人を成長させる!  とか誰でも言いそうな戯言だが、創作者からすれば、あらゆる出来事や状態が何かを作り出すきっかけとなりうるだろうから、環境の変化を味わうという点においては恋愛ほど気楽なものはないのかもしれない。引越しより余程金はかからない。
  そういえば、K田君と以前話したが、恋愛において最も面白いのは落とす直前だという話をしたことがある。これはお互い同じ意見を持っていた。付き合い始めてしまうと駆け引きのような面白さはなくなってしまう。どうやって相手の口から好意を出させるか、それが実に面白いのだ。
  しかし、面倒くせえことに大学生の大半は高校生と早々変わらない。それの何が面倒くせえかというと、結局狭いコミュニティを外れるか、外れないか、仲間意識の強さが歪んで強迫的に互いを監視し合う関係となりうるところだ。これは男女関係なく面倒なものだ。どちらにせよ居心地を悪くさせる。
  恋愛ごとは簡単にこのコミュニティの仲間意識を高めることができる。ある種のお祭り騒ぎのような気持ちや、自分に恋人ができないことへの僻みなんかが原因なのだろう。脱線するが、僻むようなプライドの時点で恋人なんて作らない方がいい。結局、付き合うにしても、別れるにしても、当人らのコミュニティは盛り上がる。簡単な話だ。趣味が合わない、学業の話もできない、それでも仲間意識を高めたい、とすれば最も都合が良いのは噂話や恋愛話なのだ。
  それはプライドの高さが招いている可能性もあるが、単純に会話する能力がないだけの可能性もある。相手を楽しませる気のない会話というのは「聞いてほしい」「頷いてほしい」のような独り善がりな会話になりがちだ。「楽しませる」からといって、誰しも芸人である必要はない。「楽しませる」というのは興味を持たせるという意味だ。interesting?  なんか小っ恥ずかしいからやめておこう。学生の興味を惹くものは結局スキャンダラスとかってものなんだね。当事者らからすれば面倒そうなものだが。
  恋愛だけでなく、人間関係はどれだけ自分を客観視できるかが必要になる。もちろん完全な客観は存在しないわけで、この辺り「客観視」という言葉に語弊が生まれているような気もするから、ここは一丁文学らしく「虚構化」と書いてみよう。書いてみただけだ。正しいかは分からん。ただ、遠くから見る過程で「自分」という存在は何の特別でもなく、何の能力もない地球に住む一人間であって、名声を求めるにしても、金銭を求めるにしても、それは結局人間という生物の基本的な行動でしかないわけで、そんなことを願った人間は山のようにいる中、一握りのちょっと運のいいやつは数十、数百年も名前が残るようになる、イエスキリストなんて凄いものだ。西暦となっているんだから。
  この地球上で相性の良い異性を探すというのは不可能だ。こう書いてみたが、それは別に距離の問題じゃない。人間は常に流動するものだからだ。その時々の最適格な異性というのは必ずしも一人に限定されない。
  精神の支障が続く人は多かれ少なかれ、父母性を特別求めるものだ。父母性と書いたが、別にマザコンやファザコンと言いたいのではない。誰しもどちらかを求め、どちらかを刺激されたがるものだ。最善は互いに両面を満たせることにある。片一方を満たしてやって、与え続けるのは、大抵与える側が疲れ果てるものだ。悪い言い方をすると、求めるだけのやつは貪欲な程に我儘なのだ。余程の美人でもない限り、鬱陶しいやつだ。美人でも長くは付き合ってられないわけだが。
  あと誤解しないでもらいたいのは、思うに父性というのは一つの倫理観を示しているのではないということだ。つまり、端的に言えば、男尊女卑的な思考を父性と誤って受け取るのは危険だということだ。ここは男が!  ここは女が!  と考えていては差別的な見方をしかねない。いや、僕はその表現自体が差別的だとは思う。女性は元来戦ってきたのだ。それは現代なら尚更だ。卒業後は働かないで旦那に稼がせるの、なんて言える社会ではないんじゃないか?
  脱線してきたが、父性というのは包容・寛容であることのように思う。我慢ではない。傷つけられるほど手がつけられない相手なら別れた方が楽だ。どちらの視点に立っても、恋人にはある程度の理性がなければ面倒なのだ。お互いのおかしな点を指摘し合えなければならない。例えば僕の場合、恋人は愚痴を聞いたり聞いてもらったり、創作されたものを読まなければならないのだ。そして、百を褒めるぐらいの誠意を見せなければならず、見せたからといって一先ず冷静になった僕はその評価を鵜呑みにせず、もう少し変えた方が良いところを考え始めるのだ。「まあ恋人ならとりあえず褒めるよな」と嫌なことも言ってくる。あれ、面倒くせえな。
  ともかく、お互いに正直でいられなければ付き合う意味はないのだ。それで合わなければ無理に付き合う必要もない。遅かれ早かれ別れるぐらいなら、さっさと別れた方がいい。問題は慣れていないと冷めるまでに時間がかかることだ。






2017-11-29 13:58:43 | 断片・詩・構想・屑
太陽を直接見るのは危険だが、たまにやってしまうことがある。そうした後に瞼を閉じると緑の靄が現れる。瞼の裏は赤い。赤い空間に緑の靄が漂い始めるのだ。
  つい先日、ここ二三日前に試しに瞼を閉じて太陽を眺めてみた。そうすると赤い壁ができるのはもちろんだが、その中に流動する穴が現れ始めた。まさにサイケ模様だ。これは使わない手はないと思い、放置されていた作品を進ませるかもしれない。


  足場のないごみ屋敷は三部屋に分かれていた。年がら年中付け放しの電球が、一つずつ付かなくなった末に残された一部屋の敷布団が、唯一の生活空間だった。
  その日は嵐だった。雷鳴が部屋に響いた。隣室の男女はいつまでも騒がしかった。ごみを蹴り分け、壁に耳を当てた。ーー男が一人、二人、女が一人、女が二人。午前一時を過ぎていた。
  煮え繰り返った腹を誤魔化すには眠るしかなかった。ごみだらけの敷布団も横になってしまえば(数年も暮らせば、この身体もごみの一部でしかなくなくなる)案外眠られるものだった。電光を受けた瞼は一面を赤色にして、小さな渦を散りばめた。柄状となった渦は緑から黄、黄から赤、赤から緑の穴を高速で突き進んでいた。隣人らの笑い声が視神経を飛び出し、渦目掛けて白濁の液体を放った。渦は粘液質のそれを少しずつ飲み込んでいった。


  紫の雨が奥の風景を隠していた。山中の停留所に並ぶ三人の姿は、遠目からでは一切が見えなくなっていた。傘は空間を与え、雨は時間を与えた。雨音は一帯の集合だった。葉先を溢れ、電柱を落ち、塀を飛び降りる水滴の束はホワイトノイズとなった。

  なんか色々混ぜるなりの加工を施さなければならないが、果たしてどうなることやら。まだ方針が固まっていないからしばらくかかるだろう。

短文感想⑨『美しい』

2017-11-28 11:50:58 | 短文感想
この短文感想は既にご存知だろうけれども、小説だけでなく、漫画やゲームについても書いた。それと同じように、音楽の感想を書くのも良い気がしてきた。といっても、音楽知識がまったくないので、もっぱら話は歌詞の分析となるだろう。
  『美しい』はゆらゆら帝国の曲だ。音楽というのはたかだか長くても十分あれば一通り聞けるのが楽だ。紹介しやすい。
  しかし、調べてみるとニコニコ動画の方にしか動画はない。なんだか貼り付けるのが面倒くさいので気になったら各自で聞いてほしい。PVは歌詞に沿って糞まみれだ。

歌:ゆらゆら帝国
作詞:坂本慎太郎
作曲:ゆらゆら帝国

1
  上品なクソがいい。
  素敵なクソがなおいい。
  出てこい出てこない。
  だけど、それはクソだ。
  同じさ。みんな同じさ。
  純粋なクソがいい。
  おしゃれなクソにジェラシー。
  クソに魂込めた。
  リボンを結んでみた。同じか?
  みんな同じか?
  完璧なクソか。
  もう終わりか終わりか終わりか俺。
  最高のクソか。
  もう終わりか終わりか終わりかお前。
  美しい

2
  ああ、飛んで行けばいい。
  風にのって行けばいい。
  見た事無い世界。
  意味なく踊りたくなるところへ。
  そんなところへ。
  何万ものメロディ。
  素敵な男と女。
  良く無いところが無い。
  全てが輝き出すところへ。
  飛んでいければ。
  完璧なクソか。
  もう終わりか終わりか終わりか俺。
  最高のクソか。
  もう終わりか終わりか終わりかお前。
  美しい。
  まぶしい。
  まぶしい。
  まぶしい。
  まぶしい。

3は再び1に戻るので略。
  この歌詞はゆらゆら帝国の中でも分かりやすいものだろう。この「クソ」が何を示しているものなのかを考えれば、簡単に理解できる。素敵な方がよく、出したくても出せず、おしゃれなクソに嫉妬し、魂を込める。創作者側から見た「作品」そのものと解釈すれば、それぞれに納得できるのではないだろうか?  また、「だけど、それはクソだ。同じさ。みんな同じさ」の箇所だけは「クソ」を糞と解釈させるように仕向けている。これは「クソ」という表現が単に作品を卑下する為に用いられたのではなく、「作品」の製作それ自体が肉体ありきで(ほとんどの分野で手を使わないものはないのだ)成り立つことを仄めかしていると思われる。
  また、便所に糞をひねり出した時、それを見るのは本人だけなのも作品の製作過程と似ているように思う。それを考えるとこの「俺」にとっての「最高のクソ」「完璧なクソ」は他人からの評価によって完成されるものではないのかもしれない。
  「完璧なクソ」「最高のクソ」の後に「終わりか」と続くのは出せないという苦痛を表してもいるだろうが、創作者にとって「最高」や「完璧」なものが出せてしまうと次を出す必要がなくなってしまう、そんなジレンマを表しているように思うが、これは少し考え過ぎだろうか。この後に『空洞です』を発表し、バンドが解散した事実がどうしてもそのような見方をさせるのだろう。

  なんか満足してきたんで二番は置いておこう。二番は完璧なクソの世界を表現していると見るべきか。

宝石

2017-11-27 13:18:03 | 日常
  駅に隣接する電光掲示板には、いよいよクリスマスの宣伝が始まった。とりあえず、宝石の安売りをするようだが、僕はこの宝石を身につける良さをいまいち理解しかねる。
  何となく、ピアス、ネックレスといったものは権力を象徴しているような印象がある。インディアンの装飾品は多くつけるほど古株とか、偉大とかってものを示していた気がするがどうだろう。
  また、象徴という意味では同性愛者は片耳にピアスをするという。これは大学でもちらほら見る。確か左だけか、右だけかのどっちかが同性愛者の象徴とされていたはずだが、学生はそう気にしていないと思う。
  しかし、辺りを見ると男女関係なくピアスをする人が多い。年々増えているのかは知らないが、僕はまだピアスに女性性を感じる。そういえば、某バンドの曲も男の左耳のピアス穴が出てくる。ああ、単純に工業系の根暗には縁の無いものというだけだろうか?
  しかし、僕が宝石を欲しいとすれば、研磨される前の原石と、研磨後のものとセットで欲しいところだ。身につける気はない。飾っておきたいのだ。
  思えば、湯水の如く金があれば欲しいものはいくらでもある。ビー玉、万華鏡、モンドリアンの絵画、少しいいなあと思ったぐらいでも集め始めるだろうから、大漁旗なんかも悪くない。製図用シャープペンシルを買い揃えたり、ステンドグラスの照明も欲しいところだ。
  ほとんどのものは実際に使うこともないだろうし、一目見たら満足するだろうな。

2017-11-25 12:55:15 | 断片・詩・構想・屑
今の恋人と付き合い始めてから書いたものに「首」という作品がある。この頃は、ただただ面白い体験をしたものだからその事について書いていただけなのだが、今にしてこの素材を加工する時が来たように思う。
  「首」は概ね僕の視点からなる事実を書き連ねたものだ。今見直すとこんなことを書いていた。

   「どうせ、いつ死んでも良いなら、僕が死ぬまで僕の為に生きてくれないか。」
僕は無理矢理、喜んでと云わせた。僕はずる賢く、醜い生き物だった。

   女が誰かの首を絞めてみたい願望があることを告げてきたので、僕も生死の境目を彷徨えられるのなら、と添い寝をしている最中、両手を首元に寄せていった。真暗闇の部屋の中では女の表情も読み取れなかったが、女の手は一瞬震えた後、首の左側を包み込み、親指を喉元に添えていた。
「絞めてほしい。」
そう告げると女は上体を起こして、胸の上に跨ってきた。
「いいの?」
「いいよ。」
女の両手は僕の首を包み込んでいった。

   女は絞めてきた。血液が頭の上に溜まり込んでくるのを感じた。まだ、息はできた。だから、女の手をより深い処へ導いてやった。すると喉の奥が詰まるような感触がして、変な思いがしてきた。これはもしかすれば生きたいという願いではないのか? と考えてもみたが、捨てられたままの両手を思うと、そういうものでもないらしかった。二三咳き込みそうになって出たか出ないかの処で、女の両手は首から離れていった。
頭に血が溜まったせいか、立ち上がるにも何をするにも目眩がしてならなかった。そんな僕を女は心配そうに見つめていた。僕はそんな女を愛おしく思い、わざとどうかしたのかを尋ねていた。
「ごめん。正直、殺したくないと思った。」
僕の穏やかになった脳は殺すという言葉にも怖じけず、少し物足りないような心地さえ残していた。
「殺してくれても良かったのに。君が捕まってしまうがね。」

  概ね事実に基づいて書いていたのだが、多分、あまり人に見せない面を描いているのだと思う。こうした感覚はそういえば忘れていたものでもあるので、今書いているものに加えられそうだ。振り返ると、意外と面白いことしてんなぁ。