思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

近況

2018-02-26 16:23:58 | 文章
さて、最近記事の更新が遅いと感じている方も僅かにいるだろうが、それは概ねモンスターハンターワールドをしているせいだと言いのけてやろう。ブログとゲームのどっちが大事なのか、なんて野暮なことは聞くもんじゃないぜ。もちろん、ゲームだ。とはいえ、それ以上に気がかりなのは今書いているものだ。
  今書いているものができたら、とりあえずまとめようと思っている。厄介なのは最新版とされる作品が一体どれのことだったか不明瞭なことで、これをまとめるということは、一々駄作どもを見直す必要があるということだ。これがとても嫌だ。ともかく、まずは出来あげることが大事か。下手に締め切りがないと遅筆になるね。
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不意に

2018-02-22 18:40:51 | 断片・詩・構想・屑
「するってえとおめえ……ありゃ?」
「なんだい?」
「台本忘れちった」
「台本ってなんだい」
「いやいや、こりゃあ落語だろう?」
「落語ってのは、あの落語かい?」
「おうよ。その落語よ」
「ってことは何かい、あんたもあたしも元は一人の人間ってことかい?」
「そうよ……あれ? するってえと、かかあもおれも一人の人間ってか?」
「あたしがいってんじゃないの」
「まあまあ、そんなこたわかってる。かかあもおれも一人、みんな一人だな」
「八兵衛さんとこもね」
「ばかいうんじゃねえ。あいつぁ他人を演じられるほど器用じゃねえよ」
「そうかねえ、まあ、それはともかく、あたしは薄々気づいてたよ」
「やっぱりかかあはするでえな、どこで気づいたんだい」
「いやね、あたしずっと気になってたんだけど、あんた、もう何回芝の浜で小判拾ってんだい。おぼえているかい?」
「ばかいっちゃいけねえよ。おれぁ銭には人一倍口うるさい男だぜ? ええと……ひ、ふ、み、よ、んん? ひ、ふ、み、よ、ああ、」
「いつって言いたいのかい?」
「そんなとわかってらぁ、ええっと、ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とお……おい、指がたんねえぞ」
「足の指も使えばいいじゃない」
「おお、そうか、さすがかかあだな。ええ、ひふみよいつむななやここのとお、ひふふみよいつななやここのとお、また足りなくなっちまったぞ」
「…………もういいかい? それだけあんたは小判を拾ってんだよ。あんたはそのたんびに浮かれて、八兵衛さんや熊五郎さんを呼んでどんちゃん騒ぎなの、明くる日に鰻屋さんが申し訳なさそうに、あのぉ勘定なんですがねえ、って弱腰に聞いてくるんだよ、あたしはもうたくさんって思うからね、その小判を隠しちゃうんだ」
「そうだったなぁ!  それから、おれが真面目に働き出して、元々こっちがいいからよ、いつの間にか家が建てられて、せがれができて……おい、せがれはどこでい?」
「あんた今気づいたのかい、あたしも探し回ったけどね、どこにもいやしなかったよ」
「そうかぁ……あいつもおれの子だ、きっとどこかできれえな女捕まえて、おれみてえな子を育てるんだろうなぁ」
「……なんだか手のかかりそうな子だね」
「そんなこたねえよ、ちいせえころはよくお魚くわえたどら猫を捕まえてたっけなぁ。サザエの韋駄天って呼ばれたもんだぜ?」
「海のものとも山のものともしれないね」
「いちいち冷てえやつだな…………そういや、気づいたんだけどよ?」
「なんだい」
「おれぁまいどうなぎを頼むんだよな?」
「そうだよ。それがどうかいしたのかい」
「それで、鰻屋は申し訳なさそうに来るんだろう?」
「そうだよ」
「それならよ、なんで鰻屋は申し訳なさそうなんだ?」
「それはあんた……ああ!」
「だろう?」
「そうだね、ちょっと鰻屋さんとこ行こうか」
まあまあ、ちょいとお待ちよ、そう焦らさんな」
なんなんだい、じれったいね」
「いや、繰り返すってことはよ? また、芝の浜で拾えるってことじゃねえか」
「そうなるだろうけどさぁ、あたしいやだよ、もう何度もあんたがお調子に乗って騒ぎ立てるのはさ」
「そりゃわるかったけど、でも、おれが騒ぐってことは、おめえが小判を隠すってことだろう?」
そうだねえ」
「するってえと、小判を隠されたおれは、真面目になるんじゃねえか?」
「……まあ、そうだねえ」
「おめえは真面目なおれが好きなんだろう?」
「でもさ、あんた、だからって甘んじて小判拾いに行くのはいけないんじゃない?」
「いやいや、かかあ、待ってくれよ、おれぁこのまんまじゃ、どうにもやる気が起きねえ、一杯飲みてえ気分なんだ、浴びるほど飲んでよ、ぐっすり寝てえ気分なんだ、この気分に逆らうのは、気分に悪りぃよ」
「何いってんだい、それじゃ落語家の思うツボじゃないか」
「そりゃ仕方ねえってことよ、おれらぁいつもそうなんだからよ」
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影響

2018-02-22 17:37:59 | 文章
相変わらず講義中にこそこそ小説を読んでいるのだが、久しぶりに井伏鱒二を読んでいる。朽助のいる谷間とうなぎを交互に進めている。
  この二作品、朽助の方は初期でうなぎは後期となるわけだが、どちらにも共通して言えるのは、語り手の「私」が全知的な領域にまで他者を語るところだ。このような書き方は、ここ一二年の間に考えていたことだけに、気づいてみれば受け継げれていくのかもしれないと考える。
  思うに、梶井が好みの人は井伏も好みではないだろうか。どちらも自然への愛着を感じる。梶井は自然を中心に据えた書き方をされる印象があるものの、井伏はその自然の中で生きる人々を描いている印象がある。どちらも私小説とは言い難い、不思議な距離感があり、梶井の場合は他者のいない孤独、井伏の場合は他者のいる孤独を描いているように思う。
  さて、この二人について書いている作家は僕の記憶によれば(と書くとまるで昔の作家のようなものだが、単純にうろ覚えなだけだから情けない)、安岡章太郎と開高健だ。開高は梶井の造語「滅形」を用いていたのだが、もうそれだけで好みなのはよく分かるだろう。井伏との関わりはネットで調べれば分かるので割愛する。
  開高は他にも、梶井基次郎と原民喜が似ていると書いていたそうだ。これはネットで軽く見かけた程度だが、幸い文庫があることだし確かめてみよう。この原民喜と梶井が似ているというのもなんだか頷ける。ただ、原民喜と井伏が似ているとは思わない。この辺りなんだか不思議なものだ。
  文学はこうして脈々と受け継がれていくものなのかもしれない。読んだことはないが、大江健三郎も井伏について書いているし、井伏自身も佐藤春夫や宇野浩二を尊敬していたようだ。肝心の愛弟子は師匠を超えた知名度を誇り、今だに中高生の多感な心を奮わせているに違いない。
  元々はどの流派なんだ?  というのは考えるだけ野暮に違いないが、牧野信一と佐藤春夫辺りが源流なんじゃないかと思う。そもそも、源流とか言っちまったら、森鴎外と夏目漱石は外せないのだろうけど。
  ちなみに梶井基次郎は夏目漱石の良い読者だった。森鴎外が作品内で夏目漱石を否定的に書いていたことに怒りを表すほどだ。(といっても、森鴎外も好みなわけだが)結局、派閥という言い方をするなら三田派が近いのかもなぁ。
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集団

2018-02-21 17:41:22 | 文章
くだらないことで盛り上がれるのは男女共通だが、面白いのは僕がくだらないと思っていることでも、彼らからすれば生命の危機であるかのように必死に振る舞うところだ。ネットの海は怖い、そう思うのはどんなやつでも好きな発言ができて、嘘でも真実でも過剰なものが取り上げられるせいだろう。
  人はある程度群れたがるものだ。僕も発売日から始めたモンスターハンターワールドがそろそろ飽きてきたせいで、サークルなど作ってみたが、結局誰かを誘うほどの気力もなく知人とのコンビサークルとなっている。ソロでないだけマシかもしれないが、ある程度調査クエストを固定の人員で遊びたいので、さてどうしたもんかねえと思っている。HRはもう100越えているのだ。やりすぎだ。面白いのは、僕より高いHRを見るたび「こいつ廃人かよ!」と思ってみるのだが、ふとすれば僕は二番目に高かったりする。人のこと言えないというやつだ。ああ、どうです?  サークルってやつ。調査クエスト以外でそう交流する気がないんだけど、他のところを見ていると結構仲睦まじい感じにしてるんだろうな。昔はMMOとかやってたけど、ギルドにしても、サークルにしても、レギオンにしても、まあ色々ある団体というのは余程合わないとやってられないだろうねえ。いやぁ、嫌な記憶ばかりだ。
  話は戻るが、こうして述べた関わりの薄い団体はともかく、大半は共通の意思を持ち合わせる必要があるわけで、その群れ方にも色々な種類がある。ゲームの話に戻るが、構成員の男女比率や年齢を記してあるものなんかは十中八九出会いを求めているだろうし、名称が濃すぎる場合は何となくいきり立ったヲタクが多そうな印象を受ける。モンスターハンターの場合、ある程度効率を考えることもあるわけだが、これはハクスラの仕方ないところだけど、ある程度揃ってくると飽きてきてしまうわけで、目的の達成を最優先に行動するよりも、失敗を防ぐことを最優先にする方が面白くなったりする。MMOの時はディフェンダーっていう盾役だったが、その名残かも分からない。
  さて、ただの馴れ合いなら幾らでも好きにすれば良いわけで、出会い目的だろうと批判する気はなし、オンラインである以上それも一つの楽しみに違いないことは理解している。不思議なのは、闘争心をむき出しにした集団だ。
  彼らの攻撃対象は様々なわけだが、根底には怒りやら何やら負の感情に満ちているのだろうと思う。その負の感情で構成された集団ほど、なんだか疲れそうなものはない。そもそも、負の感情そのものが疲れるじゃないか。
  そうは言っても、居場所の無さ(これはご老人ばかり原発反対の運動をしている点から見て、社会における居場所というやつか)はどうやら大切なようで、それが得られないと自尊心が満たされないのかもしれない。学生にもそういう方はいるが、僕は高校でドロップアウトしているので、社会から隔離される怖さが分からない。この25年間で(あと3ヶ月で26年間となってしまう)精神病棟ほど休めた空間もないぞ?  社会なんて関わらないで済むなら越したことはない。
  ということで、集団というのは日頃の不満から発生するもので、どこかしら互いを慰め合っているのだろう。僕が気になるのは、その集団の意思を知らしめなくてはならないという妙な正義感やら何やら、承認欲求に他ならないのかもしれないくだらなさに、なんだか危機感を覚えなくとないのだ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、なんて、その典型な気がしないか。

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人の気

2018-02-21 12:24:55 | 文章
人の気を知らないでという言葉はあるが、芸術なんて人の気を知らなきゃやってられない分野だ。いや、別にこれは芸術に限った話ではない。医者でも教師でもそうだ。いずれにしても、それを受ける側と与える側の関係で成り立つものは人の気を理解していなければならない。
  それが金になるから、というのも事実だろうが、小説の場合それ以前の問題として、読めるか読めないかが大切だ。需要に合わせた物語を構成する、というのも一つの読みやすさを与える方法だろうが、根本的には文章から改善すれば、多少物語に歪みがあってもいいと思う。音楽でいうところのリズム体のようなものだ。いわゆるメジャーな曲のベースを聞いてみれば分かるものだが、あんなにつまらないものはない。どれだけメロディが格好良くても飽きてきてしまう。もちろん僕の感覚に過ぎない。
  思い返せば、学生の小説で一つだけ読みやすいものがあったことを覚えている。内容はあまり思い出せない。畑でなんか耕してなかったか?  その方は確かその一年後辺りに受賞するに至った。最近書いたものを又聞きした限り、物語には興味が湧かなかったが、文章が衰えていなければ人を惹きつけるだけのものはあるのだろう。教師になったそうだが、ある程度上手くこなせるだろうな。教師から小説家というのは、生徒や読者に神経を使うという点で似ているのかもしれない。
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