思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

年末

2017-12-31 11:40:20 | 日常
実家から五分のところに海がある。ここは石川啄木が歩いていたそうで、傍に石川啄木の銅像と記念が建っている。この海は津軽海峡で余程の悪天候ではない限り、水平線に青森が見える。砂鉄混じりの焦げ茶色の砂浜だ。僕は毎年ここを訪れるたび、地中に埋まって剥き出しになっているテトラポットに座って、海を眺めることにしている。
  石川啄木のことはほとんど知らないが、もしかすると、太宰治は対岸の風景を見ていたかもしれない。いや、これは津軽海峡なのだから、恐らく見たことはあるだろう。それを考えたところでどうだという話ではあるが。
  今年は教会の前へ行き、ほっつき歩いて造船所の前へ行った。せっかくなので何枚か貼ろう。今後に活かせそうなそんな風景が続いた。今は飛行機の中だ。昨今は無料Wi-Fiが飛行機に搭載されているからこうして打っている。ずいぶん便利になった。





コメント

MTG

2017-12-28 18:23:37 | 日常
数年ぶりに残っているMTGを見る。高額なものは売り払ったりしたのだが、それでも3000枚ぐらいはありそうな量だった。それにしても、懐かしいものがちらほらある。ゲームとしても面白いが、イラストにも何か惹かれるものがある。洋物らしい写実的な絵だったり、グロテスクであったり、ただただみょうちくりんであったりする。

  日本語で「記憶の欠落」だったろうか。こうして見ると確かに欠落しているように見える。"Counter target spell."が美しい。

  呆然。

  雷音。

  解呪。

  野生の雑種犬。
  気付かれたと思うがほとんどデュエル・マスターズと同じくカードが色分けされている。というより、デュエル・マスターズはMTGを簡略化したものだ。コロコロコミックのデュエル・マスターズが昔はMTGだったこともその界隈では有名だろう。
  遊戯王もデュエル・マスターズも集めていたことはあるが、なんだかんだこの洋物臭いイラストが好みだったんだろう。あんまり萌えアニメ調の強いイラストが好めないのもこの辺りにあるのかもしれない。ああでも、初期の遊戯王もデュエル・マスターズも良いものがあったと思う。鎧武者ゾンビとか、ブラッディイヤリングとか、ラウラギガとか。
  そういや、結局この手のゲームからは逃れられず、アプリケーションのMTGとハースストーンを掛け持ちしている始末だ。いやなんだかんだいって楽しいんだよなぁ。
コメント

短文感想14 青い海黒い海

2017-12-26 14:08:00 | 日常
川端康成と言ったら『伊豆の踊子』の印象は強いかもしれないが、『青い海黒い海』の方が何となくらしい気がする。もちろん諸々の有名作品は恐らく『伊豆の踊子』に近いものがあるかもしれないが、『水晶幻想』や『抒情歌』のようなわけのわからない話も多い。とりあえず、共通しているのは「生と死」であり、精神世界が描かれていることだろう。
  『青い海黒い海』は久方ぶりに読み返したのだが、全く話を覚えていなかった。読み返すと納得したが、この作品は現実→精神世界への飛翔が何度か行われ、シュルレアリスム的な世界が広がっている。また、抽象的な表現が多用されていることも相まって、良い意味で読んでいて疲れてくる作品だ。しかし、読み返した時、やられたと思った。僕が考えていた記憶の世界が、そこに描かれていたからだ。といっても、忘れていたとはいえ、心のどこかでは覚えていたというだけのことかもしれない。
  「名作」と持ち上げられるのは、まず分かりやすいことが一つの条件だ。その意味で、この『青い海黒い海』は決して名作とはなり得ないものの、新しい何かを求めるならなんらかの刺激を与えてくれると思う。それぐらいの不思議な魅力がある。
コメント

レゴ

2017-12-25 18:34:22 | 日常
題名の通りレゴを買った。厳密には買ってもらった。
  レゴもマイクラもそうだが、創造する世界というのは面白い。これといって細かなことができるわけではないが、何となく何かを作ることができる。僕は何かを再現することが不得意だから、対称となるように出鱈目に配置してそれが何かを考えてみたりする。今作ってるのは「地獄」というものを作っているのだが、なんだかよく分からない。何となく砂漠に立つ薔薇型の牢獄をイメージしているのだが、よく分からんものができている。ともかく、この中に誰かがいることを想像し、どうすればこいつが苦しむかを考えて次に何を作ろうか考える。といっても、どれも抽象的な何かなので、人には全く伝わらないだろう。下手に入れ込んでいないおかげで、好き勝手に作って放置できるのも気楽で良い。
コメント

短文感想13 劇

2017-12-21 19:03:42 | 短文感想
一昨日、彼女の好む劇団を見に新潟へ。体調不良ということで講義を休むものの、本当に体調を崩す。
  劇の内容は、なんというか口では伝えづらい。雰囲気としては、ブラックにした宮藤官九郎か?  ともかく、ケラだ。ケラを見に行った。
  毎回見るたびに考えはするのだが、段々実は何も考えてないんじゃないかと思えてくるところがある。それは一つの装置に複数の出来事が生じるせいなのかも分からない。今回の劇は虚構が一つの題材だった。また、生滅というのもテーマだろうか。物事には必ず終わりがあるわけだが、終わった物事は次の物事に上書きされる。そんな辺りがテーマだったか?  まあ分かんねえ。
  最前列の中央に座ったのも相まってか、迫力があった。あんまり俳優女優には興味がないので、誰が誰で本物が観れてラッキーという気持ちは湧かなかった。ニャースの声の人と一瞬目があったような気がした。気のせいだろう。演じている人物よりも、それを見ている他の役者に目がいった。もちろん、劇である以上、役者は客を見てはならないわけだが、彼らは徹底して舞台を動く虚構となっていた。それは客と舞台に大きな隔たりを与えるのだろうと考えた。
  舞台上の出来事は舞台上だとしても、どれだけリアルであるかが大切なんだろう。この劇団の劇はどの人物もどこか狂っているものの、全員が狂っているために、その世界における正常となっている。観客からすれば非日常的な世界観ではあるものの、それをいかに日常として演じるか、それが劇においては大切なんだろうなぁと思った。
  面白かったんじゃない?  と思いつつ、年に一度見ればいいなぁぐらいの距離感でありたい。三時間も座ってると腰が痛くて仕方がないのだ。
コメント