思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

短文感想『鏡』

2018-10-24 16:58:01 | 断片・詩・構想・屑
村上春樹の『鏡』だ。ついに村上春樹を読み出したか、というわけではなく、これはあくまでも講義で用いられたので読んだに過ぎない。
  さて、「鏡」というのは文学だけでなく、あらゆる虚構において一つの役割が与えられているように思う。ファンタジーなら何かの扉の役割を果たしているだろうし(英米の児童文学にあったように思う。あるいはブラッドボーンでも良い)、リアリズムなら幻覚的作用を催すもの、だろうか。概ねこの幻覚の元はアイデンティティが関係しているだろう。言い方は悪いが、大抵リアリズム系統の「鏡」が自分を映す場合、当人たちは嫌悪感を抱きがちではないだろうか。まあそう例を挙げられるわけでもないが。
  この『鏡』もまた、アイデンティティに関係する作品で、建前と本心、理想と現実、あるいは、無個性と個性、というような対比の役割を担っている。だいぶ丁寧な作品だろう。高校か中学の教材だそうだが、その辺りに読んでもらうにはちょうど良い作品だと思う。また、軽やかさの裏にある語り手の暗い心情を極力隠した形となっているのも、一つの特徴だろう。意外とこのような点は井伏鱒二なんかの系譜に近いような気もする。
  もちろん好みかどうかというのは別問題で、この『鏡』だけではあまりまだ入れ込める気にはなれない。いずれ読みたいとは思いつつ、先延ばしにしている作家だ。

歌詞

2018-10-17 15:52:49 | 断片・詩・構想・屑
作詞というのはよく分からない。先に曲ありきで作られる場合もあれば、その反対もあるのだろう。どちらにせよ、歌にする以上あんまり長文の歌詞にするのはいけないようだ。
  ある時、母に作詞を頼まらて以来、少しずつこの作詞という分野を考えることがある。その時作ったのはお世辞にも良いものとは言えなかったので、改めて作り直したいという気持ちも働いているのだろう。さて、こうやって、話を振ったからには、どれ一つ公開してみようと思う。

木の葉の船に乗った
波間に消えていった
取り残された俺は
誰だ

木の葉の船に乗った
渦潮に呑まれた
流れ着いた島で
男は一人

望遠鏡片手に
誰もいない島で
男は一人
男は一人

夕暮れに目覚めた
焼き尽くされた空
隣で眠ってる
女は誰だ

夜も更けてきた
伸びていく影法師
あの子は消えていった
誰だ


望遠鏡片手に
誰もいない島で
明日明後日
閉じ込められた部屋

木の葉の船はいつまでも
波の間を揺れていて
俺の帰りを待っている
生暖かな眼で

木の葉の船は待っている
俺の帰りを待っている
舵を取れと誘っている
好きに動かせと言っている

ゆらゆら帝国の頃の坂本慎太郎みたいな感じ、と言われたらもう何も言えない。坂本慎太郎には大いに影響を受けているので仕方がないだろう。それは置いておくとして、全体的に母音の統一感と文字の長さを意識してみた。と書いてみたが、意識してみたか?  結局のところ、大学行きのバスの中でぼんやり作ったものなので、暇つぶしに過ぎない。歌詞の意味は各々の想像に任せる。

近況

2018-10-09 12:41:34 | 文章
今書いているものが意外と難航している。原因はあまりに収拾がつかないことなのだが、そういう時は少し前に戻ってみたり、冗長に思ったら切ってしまうのが良さそうだ。ある意味丁寧なぐらいシュルレアリスムな気もしているのだが、こうしたものは詰まってくると段々狂気が増してくるのが面白い。詳細はともかく、耳たぶって美味しそうに見えたことはないか?  あの食感最高だろうな。餃子の皮というよりも、ホルモン系の食感だろうか。いや、手作りの分厚い皮の餃子だな。上唇を包んで食べてみれば美味だろう。
  大体そんなことを考えている。何やってんだ。でも、耳は二つしかないぞ?  貴重だな。