思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

納骨

2018-03-26 12:15:43 | 日常
納骨をしてようやく葬式はひと段落した。色々あったが、何から書くか。
  折角だから墓地の写真を載せようか?
地元らしい海だ。

  さて、何から話そう。といってあんまり何も浮かばないのだが、久方ぶりに従兄弟と話した。従兄弟は全員で六人はいる。ここに僕と弟が入るので、孫は八人なのだ。このうち僕と同年齢のは一人、2つ上が一人、4つ上が一人、2つ下3つ下4つ下と続き、一番若いのは弟なのだ。それでも今年20だ。全員が成人して一番上は31になる。これがまた、どれも何かを抱えているようなところがある。というより、各家庭やはり何らかの問題があって、それが子供に反映されているようだ。
  火葬場で祖父を焼いている間、随分時間が空いた。一族は控室に集められた。僕は内ポケットに煙草があるのを思い出して、喫煙所へ向かった。従兄弟の父も吸っていた。(この父というは姉の夫なのだ。随分ややこしいが、それほど親族が多いということだ)控室に居続けるのは退屈なので、とにかく外へ出かけたかった。すると、従兄弟が祖父の墓を探しにいくというので一緒に出かけることにした。それが先ほどの写真となっている。僕は祖父の墓など興味なく、崖上でひたすら海を眺めていた。

  そこに従兄弟がやってきた。この従兄弟は同い年の早生まれなのだが、数年ぶりに再会したというのに髭を生やしたぐらいしか変わっていなかった。そこで色々話したが、やはり各家庭、色々と問題があるようだ。どこも祖父の財産から支援してもらっているようだが、果たして祖父はいくら持っていたのだろうか?  ともかく、まだまだこの一族は波乱万丈な予感がする。
  祖父は焼き終わると白骨になっていた。肉片一つ残らないとはこのことかと思った。この骨を箸で拾って木箱に納めるわけだが、なんだか醤油でもつけなそうな感覚だった。

  そういえば、実家では少しずつ小説を書いていたのだが、完成までは程遠い。少しグダついてきたので前に戻ってみることにした。もう一つ、数ヶ月かけて結局出来上がらなかった作品に改めて書き直している。ほとんど散文詩と割り切って書いているもので、全く退屈なものだが、苦しんだ時期に書いていたものなので、何となく完成させてみたいと思っている。まあそういった話はまた。
コメント

通夜

2018-03-23 14:36:37 | 日常
親族やミサの関係者ら合わせて二十人いないぐらいが祖父母の実家に集まった。断片的な記憶を辿るのは難しいので、感想から書いていこう。

・父が泣いた。→祖父が記憶をなくした時点で死んだようなものだと思っていたが、そういえば、祖父は父のことは忘れていなかったのかもしれない。「泣き虫」と言ってやった。
・祖父が大切にしていたという歌詞カードを一同が一枚一枚にして入れるという行為をしていた。→僕は小説のネタになる気がしたから取っておくことにしたが、ふと父にを渡した方が有効に使う気がしたので、帰り際に渡しておいた。歌詞カードは紙飛行機にして(祖父はよく紙飛行機を作っていたそうな)大切に保管するそうな。
・賛美歌が通夜用のものとなっており、全く知らない曲ばかりだった。→周囲のご老人は平然と歌っていた。
・歴代のお手伝いさん方と再会した。→どの方も老婆になっていた。向こうもよく覚えていた。
・祖父母の家には初版本の復刻版の未開封や現代文学全集のようなものが残っている。祖母は形見に貰っていけと言うが(祖母の趣味な上に、そもそも死んじゃいないのだが)僕はペーパーナイフで切るつもりもないし、結局読めれば電子書籍でも構わない質なんで(最近電子書籍も便利に思えてきた)、コレクターアイテムとして残しておけばいいんじゃないかと思う。まあただ、暇つぶしになりそうなんで、文学全集の(それは開けられた形跡のある、いわゆる中古本らしいものなのだ)金閣寺を貰ってきた。読むかは分からん。そういえば以前、檸檬を貰っておいたがまだ開けていない。勿体無いし、檸檬なんて読もうと思えばタダで読めるのだ。
・「夜は短し歩けよ乙女」と「夜明け告げるルーのうた」を見た。→「乙女」の方は昔のサブカルチャー的な表現方法なのかは分からないが、その辺りに受けそうなところがある。パロディネタが多分に含まれていて、ヒロインがあまりにも直線に進むゆえの宗教臭さが気になったが、なんだかんだ表現方法のおかげで良かったと思う。
  「ルーのうた」は色々混ぜすぎた感が強い。パロディを続けるのがあの監督の特徴なのかもしれないが、どうやってもポニョの印象を拭えなかった。狙ったにしても、ポニョは濃すぎたんじゃないかな。あと「若い」という人物を表現するために承認欲求の強さを描くのは構わないが、あまりにもベース女へのヘイトが溜まりすぎるので、結局最後までいいやつ面しているのがご都合主義だなぁと感じさせた。こっちはもう見なくていいかな。「乙女」を期待してみると全く違うかと思う。
・初期ルパン三世の一話をみる。→改めてみると青い色彩を強調しているばかりでなく、それが手書きであるために油彩のような不思議な質感があった。あの全体の「青」という色彩に、初期ルパンの冷たさのようなものを感じた。今は随分優しいどころか、人殺しはあんまりしたがらなかったと思うが、この頃は平気で殺せる人物なのだ。これは青だけでなく、肌の白さにもあるだろうし、銭形がとにかく赤いというのも対照的なのだろう。
・母のサブカル歴を知る。GAROは結婚時にほとんど捨ててしまったそうだが(幸い2部残っていた)今は後悔しているらしい。というより、結婚して一年で後悔したそうな。GARO系の作家はビックリハウスを読んでいたとか、GAROの派生にはMOGAがあったとか(MOGAは全七号で終了したが、前号持っていた)、自分は拗らせていたのだと言っていたが、それは今も変わらないだろう。O野君はほぼ同じ趣味らしい。
・ビリーバーズの後半をようやく読めた。ずっと前半しか読んだことがなかったのだが、どうやら母の部屋にあったらしい。感想は難しいところだが、結局あの乾いた空気感の不気味さが妙に良いんだろうな。
・今日の僕は祖父母の庭のレンガに腰を下ろしていた。蜘蛛が何匹も花壇を走っていた。棉のやうに群がった羽虫がアーチ型に曲がりきれない歪な薔薇の根元を飛び回っていた。『冬の日』でいうところの、痴呆のような幸せだ。
コメント

死体

2018-03-22 05:34:25 | 日常
祖父の死体に触れる機会があった。ドライアイスで冷やされているために冷たかった。死後硬直により全く指が開かなかった。
  なんだか鶏肉みたいな触り心地だった。香料?  よく分からないがお香の粉を隣の器に入れるという行為をさせられた。親族一同揃っているわけではないが、なんだかそう暗い雰囲気でもなく、ようやく肩の荷が降りたってところのようだ。親父が涙目になっていたので、泣いたの?  と聞いたら、涙がこみ上げたり、引いたりしたそうだ。
  告別式は24にあるのだが、三百人規模になるらしい。弟が函館の人口の半分は来るんじゃないかと言い出したが、そんな規模ではないだろう。よくて一割じゃないか?  ともかく、祖父の仕事ぶりを垣間見ることになるだろう。供花が一本300から400円かかるらしく、それでは費用がかかりすぎるそうだ(確かに三百人いれば12万以上か?)
  祖父は小さな葬式にして欲しいと頼んだそうだが、祖母はそれを許さなかったらしい。寝たきりの祖父に説教したそうな。
  葬儀屋の連中が死体の顔が綺麗だという話をしていた。

  で、武器調整どうなんですか?  イビルジョーは?
コメント

通夜へ

2018-03-21 14:18:00 | 日常
  今日祖父が死んだ。僕は悔やんだ。明日実装のイビルジョーと武器調整の試運転がどうにも出来なさそうだからだ。いや、それだけではない。ブリギッテが実装されるのは今日だったのだ。
  この時、三人でフォートナイトをやっていた。酒は飲んでいなかったが、中々下劣な話で盛り上がっていた。
「〇〇さん。ヴァギナってフランス語だとどう言うんでしたっけ?」
「ヴァッギフッナ。フランス語のRの音は特殊なんだよね(そもそもRが入ってない)」
「ドイツ語は?」
「ヴァッギゥルルルナ」
「じゃ日本語は?」
「×××」ここで僕らはげらげら笑った。
「ばっかでい」
「いや、言わせられてっけどね」
  そんな矢先に弟から祖父の死が伝えられたのだが、感想は冒頭の通りなので、ひたすら面倒だということを話した。
「ビデオ通夜なんてどうです?」(今振り返ると、これはビデオ通話をもじった上手いやつだったようだ)
「いいなぁそれ。なんかあれじゃない? どうせ行ってもレッツゴーヘブンハレルーヤってな感じでちゃちゃっと終わってくんねえかな」
「あ、そうだ。マルセイバターサンド買ってきてくださいよ」
「いいよー買う買う」
「やったぜ。僕マルセイバターサンドが親より好きなんですよ」
  という調子だが(概ね間違っていないが正確でもない。つくづく事実を元に書くというのは難しい)とにかく通夜に行ってきます。レッツゴーヘブンハレルーヤ。
  あと彼らと遊び終えてから(その時点で3時半を回っていた)ブリギッテが実装されていた。腹いせに5時まで遊んでやった。
コメント

軒裏論争

2018-03-21 13:35:33 | 文章
今書いている小説で次のような描写をした。

軒裏は鮫の歯並びで輝いていた。

  場面は真冬、しばらく整備されていないために、氷柱が出来上がっているという状況でこうした表現を用いた。雪がせり出ていると抉るような角度で氷柱が生えることがある。それをサメの歯並びと書いてみたわけだ。ただ、彼女はこの「軒裏」に疑問を呈して、厳密には軒先ではないかと言ってきた。面白いのは、恐らくこれはどちらでも間違いではないことで、何が違うのかと言えば、どれだけ主観的か客観的かにあるんじゃないかというところだ。
  確かに氷柱が生えるのは軒先だが、「私」が見ているのは「輝いてい」る「軒裏」だ。軒裏の前面に氷柱があるというわけだ。どちらで表現するかは各々好きにすれば良いだろう。ただ、軒先を「見る」場合は氷柱の根元しかないと考えるので、これを見ているということであれば軒裏の方が良いような気がする。逆に三人称視点的な描写説明とするなら、正確な表現として軒先にした方が良いように思う。とりあえず、現状は一人称なので軒裏を見ているということにしておきたい。
  しかし、肝心な点でお互いこの軒先と軒裏の感覚が違うことに気がついた。それは本州では瓦屋根を基本として軒裏が見えづらいということだ。地元の屋根は軒裏が狭く短いために、下からよく見えるようになっている。この違いもあるらしい。  ただ、普段歩いていてなんだかんだ軒裏は見える気もするから、やっぱり表現の違いでしかないんだろうな。一応「軒裏は輝いていた」となるので「軒裏の方は」と書いた方がより正確だろう。何なら「軒先からせり出した氷柱が鮫の歯並びで輝いていた」とした方が良いのだが、これだと妙にしつこさを感じる。「鮫の歯並びのような氷柱」は「軒先からせり出して」いなければ生まれないために、わざわざ「せり出している」とまで書く必要を感じないのだ。といっても、そこまで見ていない人が大半だと思うし、そもそも、読者はたかがこの一文ぐらいなら流して読むことだろうから、結局好きにすれば良いって話なんだろうな。いいからさっさと作ってまとめようや。

コメント