思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

近況

2018-08-02 10:33:53 | 日常
夏休みが始まる。自転車を買ったのでどこかぶらぶらしたいと考えている。近頃は抑うつ状態が続いているので、一度潮風にでもあたりに行きたい。夏休みは色々と進めなくてはならないものがある。作品や論文程度だが、ぼちぼち進めていかなくては。
  それにしても、色々と思うところがある。『夏の浜辺』という作品に少し修正を加える。駕籠真太郎辺りを意識した、あるいは『男は不安定』辺りを意識した作品に着手している。いくつかの出来損ないを混ぜて作り直す形となるだろう。
  とりあえず、休養は大切なことだ。
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バスにて

2018-07-24 12:09:34 | 日常
バスの中、前に座る男女から磯の香りがする。ふと沖縄の海を思い出す。延々とグラスボートに乗っていたいものだ。
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創作における過去

2018-07-18 14:20:24 | 日常
過去の物語を作ろうとしても、その過去がどれだけ悲惨だったかを書いたところで、今書けているのは過去のおかげでしかないことを考えると、このテーマは「過去の肯定」以上の要素を持たないのかもしれない。
  例えば、商業作家が「過去」の何かに攻撃的になったとしても、その過去によって金が貰えるのだから、結局感謝せざるを得ない。これはあらゆる分野に言える。反戦的な考えは戦争があったから生ずるだろうし、親への反感は当人の中に何らかの理想のモデルがあったから起こるのだろう。いずれにしても、その思想を持って現在があることは変わらないので、逆説的に反対の存在を肯定することとなる。
  となると、創作に用いられるテーマは案外限られている可能性がある。過去は創作される以上、根底には肯定がある。それを否定し続けても、わざとらしい自己肯定の押し付けとなるかも分からない。
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近況

2018-07-03 17:55:11 | 日常
先週の金曜日のこと。S松先生と話している最中、A山先生と出くわす。
  二人の共通理解として、僕の作品は絵画的だという話をされる。S松先生は詩を書いてみてはと提案するが、僕はその要領が掴めそうにないと答える。また、写実的な恋愛小説を書いてみてはどうだと聞かれるが、昔と違って割り切りが案外早いので恐らく苦手だろうと考える。だからこそ盛り上げようとする余裕もあるかもしれないが。
  S松先生曰く、自分は即物的なので木漏れ日の影を見るよりも台風で折れ曲がる木々の方が気になるそうで、すなわち僕は観念的であるということを伝えたかったらしい。文章は違うが三島由紀夫を連想すると言われる。確かに特に否定する要素はないものの、恐らくこの観念的な調子が強く現れているのは前半二作品が顕著だと思われるので、S松先生自身まだ前半しか読まれていないことを考えると、後半はどう思われるのか楽しみだ。
  そういえば、展覧会の日程を尋ね忘れる。

  最近は彼女にクーロン城の資料を借りてきて貰い、着々と次の作品のことを考えている。主人公を女性にするか悩んでみたものの、あまりそれが効果的な気はしないので止めることにする。建物と建物の間は電線と水道のホースが絡み合って、引っ掻き回された蜘蛛の巣のようになっている。その間の狭い路地裏に薄汚れたベッドが置かれているのが、天窓もないので恐らく雨が降れば顔面に雨粒を受けるのだろう。
  そんな景観が妙に惹かれるものがある。攻殻機動隊やカウボーイビバップなんかでもそうだが、もしかするとハードボイルド調のものと噛み合わせの良い舞台なのかもしれない。
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サブカルについて

2018-05-01 16:44:43 | 日常
サブカル系とサブカルチャーは意味が違うように考える。また、ややこしいのはここにアングラだとか、マイナーだとかいう言葉も含まれる可能性があることも考えてみたい。
  まず、根本的に言葉の意味から捉えると、「サブカルチャー」があるならば「メインカルチャー」も存在することになる。このような考え方をすると「サブカルチャー」とは一つの主義を示すというよりも、その分野が主流であるかそうでないかを示す言葉ではないかと思われる。
  今の70代ぐらいの方々はデカルト、カント、ショーペンハウエルを読むことが当然とされていたそうだが、中には漫画を読み出す層もいたそうで、そうした方々を「軟派」と呼んでいたそうだ。この頃は恐らく、漫画はサブカルチャーでメインカルチャーは哲学だったのかもしれない。これを現在に置き換えると漫画はメイン、哲学はサブ、なんじゃないかと思う。ともかく、このメインかサブの基準は売り上げや流行によって決まると思われる。流動的なもので今後も変化し続けるだろう。文学はどんどんサブカルチャー化が進むような気がする。
  次にサブカル系だが、これはその分野の中の「個性的なもの」を示しているらしい。そうなると「マイナー」「アングラ」「ポストモダン」といった言葉との区別が付けにくく感じる。何となく「奇抜=個性」と捉えている節がある。奇抜派とでも書いてみようか。僕が考えるのはこの奇抜派は別に少数派とも思えないところだ。基本的には創作者は後追いや真似事からの脱却が一つの目標だと思う。だから、自然と奇抜派に片足突っ込まざるを得ないと思う。挑戦的・反逆的な思考がどこかしらあると思われる。(もちろんこれは既存の価値体系への挑戦や反逆だ。例えば、現代の作家が好きで小説を書いても、その人の後追いになりかねない。書き手は後追いにならないために色々な分野から知識を蓄える必要がある。後追いになってしまったら、元の作家で充分になってしまう)
  ただ、問題はこの挑戦的・反逆的精神によって作られた作品を受け取る側が、その意志も知らずに個性にしか目を向けていないのかもしれないということだ。もちろん憶測に過ぎないし、所詮一例に過ぎない程度の話になるだろうが、こうした方々が作り出す作品には承認欲求の強さがあるような気がしてならない。元々の細かな技法に触れず「個性」のみを抽出したとすれば、妥当な気もしてくる。こうした方々が自分たちをサブカルと名乗り出せば「何だかサブカルってみょうちくりんな変な奴らなんだろうな」ぐらいの感想で終わってしまうかもしれない。
  思うにこうした分野の良さ(サブカルと呼ぶには何だか違和感があるし、アングラと書くとエログロナンセンスが足を引っ張る、マイナーと書くにしては需要はあるだろうし、やはりマニアックとかって言い方か、もしくはアングラの定義をそのままメジャー離れした地下のものと捉える必要がありそうな気もする。世の中の大多数は地上にいるだろうし、いたくてしょうがない方々もいるだろうが、そんな方々を傍目に少しずつ遠ざかりたいモグラ人間もいるはずだ。ああ、少なくとも僕なのだ)は技巧にこだわりすぎたせいで、多くの方には変な印象しか受けないという点であって、どこかしらシュルレアリスムやマジックリアリズムに近い分野だと思われる。いわゆる幻想・怪奇で片付けられた作品は多々あるのかもしれないが、それに気がついて評価を下してくれるのは理解ある読者だけなわけで、それもやはり運次第というところか。
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