思考ダダ漏れ

なんとなく書こう

怒り

2020-02-04 05:55:00 | 日常
他者と相容れない場合の一つに、思考回路の差がある。よくある、感情的と論理的が合わないのもそうしたところにあるようだ。
  抽象的な話を続けることになるが、難しいのは、一方の思考に飛躍が見られる場合(つまりは感情的とも言えるのだろうか)、もう一方はそれを理解するために詳細な情報が必要になることだ。それが時に、皮肉や嫌味にも捉えられがちかもしれない。どうやって、感情的な人の感情を逆なでしないように相手の主張を理解できるか、ネゴシエーターのようなものかもしれない。
  いや、もしかすればあれは感情的というよりも、被害者意識が強いのかもしれない。
  少なくとも、被害者意識の強い相手であれば、嫌味を言うつもりではないことを再三説明する必要がありそうだ。こうした人は、責められていると感じると、感情的な思考回路に陥りがちなのかもしれない。そうなると恐ろしいのは、正当性に固執している自分に気づけていないことだ。
  しかし、今更になって、という話でもあるのだが、正常と異常の差異は思いの外曖昧で、自己の認識で裁定する他に方法はないことを理解していない人々がいるようだ。そういう人の方が多いのかもしれない。友人が最近のテレビは怒る人が増えてきたと言っていたのを思い出すが、世の中正当性に固執することが社会の流れとなっているのかもしれない。
  誰もが異常だと捉えることもできると思うが、明確に特定の誰かを異常と定めることで、自分はそうではないと安心することはできるのだろう。誰もがそれぞれの特徴を有していて、その相性というだけの話ではなかろうか。そんな考えは、理想主義なのだろうか。どうにしろ、疲れがぶり返す。

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