ないちょの雑記帳

日々心に浮かぶこと、世の中のことをそこはかとなく書き綴ってます

沖縄における創価学会

2005-10-15 | 創価学会関連
例のごとくネットをぶらついていると、沖縄における
創価学会の歴史について、解説しているブログがあっ
た。
羊蹄学園大学社会学部講義集
である。

沖縄における創価学会組織の広がりについて詳細に
解説している。
詳細はそのブログを参照してもらいたい。

-------------------------引用------------------------

(略)

まぁそうですね…思えば、政教分離をここでは問う気はないものの、この政教分離とともに、創価学会は宗教団体としての組織の閉鎖性を問題視されることが多いとされています。
この県知事選挙もまた然りです。
組織でどういう力がはたらいて、「基軸」などというわかりにくい方針をとり、そして票集めをしたのかまったく見えてきません。
否、その前に末端の学会員、党員が見えてきません。
「基軸」などという曖昧模糊な言葉に、疑問を感じなかったのでしょうか。

だけれど、重ねて言いますがそういった末端の人間の顔は見えないし、声は聞こえてきません。

安見が創価学会を沖縄に広め始めたときを紐解けば、安見をはじめとする信仰に思い巡らす人間の様が外部にも知れ渡っています。
生活の苦しさの中で、村八分とされる覚悟で入信するのは二重の苦しみでありました。
だがその苦しみの中で生きた人々が、沖縄にある種の地殻変動をもたらせた。記録に残らないわけがないのです。

ところが今では…そういった末端の学会員の姿は、せいぜい学会内の機関紙で語られる程度です。
組織内で収められているだけなのです。
個々人の姿や個性が組織の中で埋没し、外部に見えてこないのです。
昨今のそうした創価学会・公明党の特徴が、この県知事選挙で如実に現れたのではないのでしょうか。

そして…2005年9月11日、自民党圧勝、民主党激減と言う総選挙の結果の中で、連立の一翼を担う公明党は2議席減となりました。
2議席減のうち1議席は小選挙区沖縄1区の現職、白保台一氏の落選によるものです。
勝ったのは元職で無所属、民主党推薦の下地幹郎氏。

下地氏はもともと自民党の議員でしたが、党本部が公明党との連立を重視した結果、前回の選挙では公認をはずされ落選、公明党の白保氏の当選を許しますが、自民党を離党した今回は地道な運動で当選を勝ち得ることに相成りました。
私は下地氏の復活は、田中角栄→竹下登→野中広務→鈴木宗男→下地氏という系譜である以上、他の政治家にはない、他を圧倒的にしのぐ利益誘導を軸にした情念と、その情念が自民党にくっついた、この数年のいびつな沖縄の公明党の有り様にどこか県民が疑問や反感を掘り起こしたことで、予想外の当選と言う結果をもたらしたと私はとらえています。

しかし、やはり重ねて言いますが沖縄の創価学会は一粒種によって、辛苦の末に華開いた歴史がある、これも事実です。
この歴史に学び、今一度、ともすれば県内政治情勢すら左右するこの組織に座する人々に対し、組織とうまく距離をとって意志・表現・行動を見せてほしいと思うのは、私だけでしょうか。
それがあるべき姿なのでは、と思うのです。
組織としても人としても。

今のままでは属する人間の顔が見えてきません。

(略)

喜茂具理佐の沖縄論第17回~創価学会の沖縄席捲(6)~

----------------------引用終わり----------------------

沖縄での事例でもあるとおり、初期の学会は周囲の差別や
偏見と戦いながら、次第に組織を拡大していった。
そして、沖縄でも本土同様に政界へ進出していった。
当初、沖縄の公明党・創価学会は知事選挙では革新系の候
補を推していた。
しかし、1998年の知事選挙では革新系の太田氏ではなく、
自民党の推す稲嶺氏を推した。

このとき公明党は以下のような対応をした。

-------------------------引用------------------------

(略)

ところが、この選挙では公明党は「大田支持」を表明せず、かわりに「大田支持を基軸に一部党内事情に配慮し、その部分については自主判断にゆだねる」という曖昧なものに変容しました。”

(略)

----------------------引用終わり----------------------

おそらくこれは公明党と自民党の連立に配慮したものである
と考えられる。事実、この翌年から自公連立政権が成立し、
現在に至っている。
ただこの過程において、紹介しているブログの管理人が指摘
しているように組織の論理が優先し、個人の顔が見えなくな
っていった。
このことは、個人的な見解であるが全国的にあると思う。
つまりは組織の論理が優先し、”個人の顔”が見えなくなると
いうことは沖縄に限ったことではなく創価学会全体に言えるこ
とではないのだろうか。

公明党と創価学会の関係は政教分離の原則に抵触するので
はという批判は以前から言われてきた。
政教分離の原則に抵触するかどうかは微妙な問題であるが、
政権連立与党の枠組み維持という組織の論理が優先し、支
持する学会員の意思が埋没していく現在の公明党と創価学
会との関係が、政党と支持政党のあり方として健全なものと
していいのかどうか考える必要がある。

もう一度、学会員は公明党支持について疑問を持ち、いった
い何を支持しているのか自問する必要がある。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
偶然 (喜茂具理佐)
2005-11-20 18:43:22
はじめまして。



私の講義内容を引用していただきありがとうございます。

偶然発見し、驚きと喜びでいっぱいです。



とりあえず感謝を。



では。
返信する
コメントありがとうございます (ないちょ)
2005-11-20 20:30:42
喜茂具理佐さん、コメントありがとうございます。

なかなか、学会の歴史的な変遷について学会外部からみた評論というは本当に貴重なんです。



一説には、学会のマスコミ支配によるためといわれることがありますが、実際のところははっきりしません。ただいえることは、近年客観的に学会を取り上げられることがほとんどなくなったということです。



そのなかで喜茂具理佐さんのように学会について論説されることは非常に貴重であるといえます。



また何かありましたら宜しくお願いします。
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