人体に害を与えずに、選手の競技能力を高める方法があれば、しかも、その手段が公平に与えられるならなんら問題はないはずです。
現在ドーピングの主流は血液の入れ替えや遺伝子操作へと進んでいると聞いています。
もし仮に遺伝子操作で運動能力の高い子供の出産が可能になった場合、WADAやIOCはどうするのでしょう?
現に優秀なスポーツ選手の婚姻による選手生成を国家プロジェクトとして行っている国もあったとも聞いています。
これは優勢交配であって遺伝子操作ではありませんが、今後は遺伝子操作とまでは行かなくとも、人工授精で優秀なスポーツ遺伝子を交配させることは簡単にできるはずです。
将来的には遺伝子操作でさらに優秀な運動能力を備えた選手が人工的に生成されることも充分に考えられます。
そうした時代に私たちは生きていることを忘れてはならないと思っています。
ドーピング問題を薬物使用云々の問題としていては、いつまでたっても解決できないのは当然のことだと私は考えています。
薬物ドーピングは自然と消滅して行くはずです。少なくとも検査にかかる薬物は・・・
そして優秀な遺伝子を人工的に注入されたり加工された選手が薬物反応のないクリーンな選手として脚光を浴びることになる時代が来るに違いありません。
ドーピング問題はあくまでも倫理として考えていかなければならないのではないでしょうか?
それは単にスポーツ精神やスポーツ倫理にとどまることなく、私たち人間全体の倫理の問題として、私たちスポーツ・ファン自らも真剣に考えていかなければならない問題ではないでしょうか?
ドーピングをした選手を責めることは簡単です。
しかし、それを自分の身に置き換えて考えることは意外と難しいものです。
仮に記憶力を良くする薬があれば私は躊躇なく服用するでしょう。たとえ身体に害があったとしても・・・
しかし、それを自分の子どもに勧めることは決してしないでしょう。副作用がある限りは・・・
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