森の隠れ家  by KEIZI

森の中の小さな俺の隠れ家。
隠れ家の中は、他人から見れば子供のおもちゃ箱のようにガラクタばかりなのかもしれない。

いじめと自殺問題

2006年12月23日 | ひとりごと
いま、子供のいじめによる自殺が社会問題として大きく取りあげられていますよね?

可愛いい我が子を喪った親や遺族の方々、そして自分の命を断とうまで思い悩んだ子供の気持を考えると、他人事とは思えず胸が張り裂けるような思いです。

この様な悲惨な出来事を無くすために、マスコミなどでもこの問題を毎日のように取り上げて、原因の追及などをおこなっています。
しかし、いじめによる自殺は、はたして子供の世界だけなのでしょうか?
皆さんの身近な所…つまり職場等でも『大人のいじめ』そして『自殺』はありませんか?
大人の世界でも『いじめ』が存在し、無くならないのですから、善悪を判断する能力に乏しい子供の世界にいじめがあるのは当然だと思うのです。

だからといって、いじめや自殺があっても良いなんて言ってる訳じゃありませんよ。

良く考えてみると、私達の身の回りには、大人の世界にも子供の世界にも『いじめ』が蔓延しているのが分かります。

気が付かないのは麻痺していたり、現実から目を背けているからなのかも知れません。

例えば、先生などと呼ばれて、国の将来や方向性を決める責任ある立場の政治家達も国会という神聖な場所で毎日のように繰りひろげられているのは、国会討論と言う名の『揚げ足取り』『いじめ』にしか私は見えないのです。

確に、子供の自殺など悲惨な出来事が二度と無いように大人達は原因を解明し、そこに人為的なミスや落ち度があれは反省し、責任追求も致し方ないのかもしれません。

しかし、マスコミの報道などを見ていても、真実を追求する正義感というよりも、その報道の仕方には『悪意』すら感じ、学校、教師、教育委員会などに対する一種の『報道に名を借りたいじめ』と感じるのは私だけでしょうか…?

この様な『大人のいじめ』が、世間にとってとても影響力のあるテレビなどのマスメディアから毎日のように垂れ流されて、子供たちは、このような環境の中で育っているのですから『いじめに対する罪悪感』薄れたり欠如してしまうのは、致し方ないのかもしれません。

私達大人は、いじめの現場という狭い範囲だけで原因を見付けようとするから結果的に誰かに責任を擦り付けるだけで、問題は何一つ解決されないまま現在に至っているのです。

そして、この『誰かに責任を擦り付ける』行為も『大人のいじめ』に他ならないのではないでしょうか?

もっと広い範囲と視野で、大人達は、一人ひとりが自分を見つめ直して襟を正し、子供の見本となる生き方をしなければ、本当の意味での問題解決や、子供にとっても大人にとって本当の平和解決はないような気がするのです。

このような社会にしてしまったのは、誰か特定の人のせいではなく、私たち大人一人ひとりに責任がるのですから・・・。


コメント
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