森の隠れ家  by KEIZI

森の中の小さな俺の隠れ家。
隠れ家の中は、他人から見れば子供のおもちゃ箱のようにガラクタばかりなのかもしれない。

帰還困難区域 2014夏

2014年08月04日 | 東日本大震災
東日本大震災そして原発事故の発生から3回目の夏を迎えました。
今回は、震災から3年以上経っても現時点で帰れる見通しが付かないとされ、立ち入りが制限されている帰還困難区域の双葉町と大熊町の写真を中心にUPしてみました。




地割れやひび割れが補修されていないため、アスファルト舗装された道路なのに雑草が生い茂ってしまいました。




1階部分がつぶれて道路側に倒壊している建物も、いまだにそのままの状態です。




車が取り残されたままになった一般住宅のカーポートも、年月をかけて徐々に忍び寄る雑草の侵略に侵されています。




家族が笑顔で過ごしたであろう家の玄関も、雑草の侵略に侵されて半ば占領された状態になり、本来住むべき人の帰宅を拒んでいるようにすら見えます。




このコンビニの自動ドアは、もう何年も半開きの状態のままです。




開放された出入口から店内をのぞいてみると、震災時の地震によるものなのか、泥棒によるものなのか、はたまた食べ物などを求めて侵入した動物によるものなのか・・・、恐らくその全ての仕業だと思いますが、かなり荒らされたままの状態です。




こちらは大熊町の大野駅です




線路上だけではなく、ホームの上まで雑草が生い茂っている状態になってしまいました。












この町に人が戻り、そしてこの駅に電車が走るようになるのは・・・いったい何時のことになるのでしょう・・・。





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やっと会えたね・・・

2014年07月06日 | 東日本大震災
3年前、東日本大震災と原発事故に伴い福島第一原子力発電所を中心とした20km圏内が警戒区域になってしまいました。

そして、当時、人がいなくなってしまった双葉郡の町中を自由に歩き回っている不思議な生物の噂を耳にしました

私は、仕事で警戒区域内に入るたびに その生物に会いたいと強く思っていたのです。




そして、今回やっと思いが届いて その生物に合うことができました

そう、それはなんとダチョウさんでした。




今は、震災当時から避難せず地元に住み続けている親切な人に保護されていました



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なんか浮いてる・・・(;゜Д゜)

2014年07月06日 | 東日本大震災
仕事で、原発事故に伴い居住制限区域になっている双葉郡富岡町を車で走っていると、窓の外を見ていた同僚が『えっ なんか浮いてるよ・・・(;゜Д゜)』と言い出した。




車をバックさせて戻ってみると、なぜか赤いパイロンが・・・




もっと近づいて見ると、なんと竹の子が伸びてきてパイロンを持ち上げていたのでした






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あれから3年 ~浪江町請戸地内~

2014年03月16日 | 東日本大震災
ここは、福島第一原子力発電所から北方に約6km離れた双葉郡浪江町請戸地内の東日本大震災から3年を迎える平成26年3月10日の様子です。




小さな港町で、本来であればこの場所は民家が密集した住宅街だったそうです。




しかし、今は一部建物の残骸と基礎部分だけを残して見渡す限り荒れ野原となっています。
ある程度の瓦礫は撤去されて小学校の校庭などに移動されていますが、港から流されてきた漁船や車などは至る所に放置されたままになっていて全く手つかずの状態です。




防波堤に打ち上げられた漁船の奥に見える煙突が福島第一原子力発電所です。




戦車のようなパワーショベルも津波の勢いには勝てなかったらしく、波の力に押し潰されてサビだらけになっていました。




電柱は根元からなぎ倒されて、かろうじて鉄筋でその場に繋ぎ止められていました。




砂浜には、津波の引き潮で流されてきた車が半分埋まった状態のまま放置されています。




奥に見える何本かの煙突のようなモノが福島第一原子力発電所です。










たぶん、震災当時は原発事故により警察や消防ですら避難を強いられて近づくことが出来ませんでしたから、これらの車の中などには遺体が1ヶ月くらい残されたまま放置されていたのだと思います。










この請戸地区は、去年の平成25年4月1日から警戒区域が解除され『避難指示解除準備区域』となりましたが、同じ浪江町内でも地域によっては放射線量がまだまだ高く『帰還困難区域』『居住制限区域』に指定されている場所もあります。

いずれにしても、東日本大震災から3年が経過しても復興どころか瓦礫を近くの広場へ移動して山積みにしただけの状態で、その後は全く手つかずのままになっている・・・これが現状なんです。

しかし、この請戸地区ではありませんが震災直後の津波被害の状況を見ている私にとっては、こんな荒れた風景すらある意味生々しさが無くなってきた分穏やかな風景に見えてしまうんです・・・。
それだけ、当時は凄まじい地獄のような状況だったんです。



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津波のあと・・・

2013年09月10日 | 東日本大震災
大震災のような大津波に備えてなのか、港近くでは今まであまり見たことがないような巨大なテトラポットが造られていた。





海沿いの場所は、雑草が生い茂っているものの、家の基礎や壊れたブロック塀が残っていることで、そこに多くの人達の生活があった証しを見せている。




かつて、そこには家族の日常があった・・・そして笑顔があった・・・。




最近では、原発事故の関連ニュースしか取り上げられないが、原発事故の避難区域よりもはるかに広大な範囲で津波や地震、液状化などにより住む場所を追われ、家族を失い、何の補償も受けられず必死に生活を立て直そうとしている人達が大勢いることを忘れてはいけない。



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東日本大震災から2年

2013年08月05日 | 東日本大震災
東日本大震災から約2年半の月日が流れました。
福島県は、地震や津波の被害だけではなく原発事故という重大な被害が加わり、福島第一原子力発電所から半径20kmが立入の出来ない警戒区域となってしまいました。

現在は、放射性物質の汚染状況により帰還困難区域居住制限区域避難指示解除準備区域などに区別され、人は住めないものの、かなりの範囲が誰でも自由に出入りできるようになりました。

しかし、それらの場所の復興は殆ど手つかずの状態で、いまでも水道や電気は復旧していない場所が殆どですし、建物は壊れたままで雑草が生い茂り、町全体が世の中から取り残されたような状態になっています。

今回ブログにUPした写真は、順不同ですが今年の5月頃から7月にかけて撮影したものです。




下の写真は、JR富岡駅の写真で震災直後から比べれば、瓦礫などはきれいに片付けられて撤去されていますが津波で流された車の一部は、いまだに一旦集められた場所に放置されたままの状態です。




ホームの間の線路は、雑草が生い茂りレールはまったく見えない状態で、津波で流されてきた車が放置されままになっています。







本来であれば海にあるはずの漁船も、流されてきたままの状態で雑草が生い茂った荒れた田んぼに放置されたままになっています。




こちらは、JR夜の森駅前の自転車置き場。




自動車学校の荒れた教習コース。




建物が道路まで崩れ落ちているのに撤去されることなく2年以上も放置されたままの状態です。(双葉町)




今にも崩れ落ちそうな建物があちらこちらにあるのに取り壊されることもなく放置されています。(浪江町)




人が住んでいない町は、野生化した動物の天国となっています。
写真は、野生の猪と家畜の豚が交尾して出来たイノブタと思われます。イノブタは繁殖力が強く今後増え続けていけば大きな問題になりそうです。




ここまで植物に飲み込まれてしまうと、もはや建物にたどり着くのは不可能な状態です。





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希望の灯り

2013年04月20日 | 東日本大震災
散歩していたら、こんなものを見つけました。
以前から、何か作っているなぁ・・・とは思っていたのですが。



ガラスケースの中を覗いて見ると小さな灯がともされていました。



この灯りは、平成7年1月17日に起きた阪神・淡路大震災により犠牲となられた方々への鎮魂と地域復興の象徴である「1.17希望の灯り」を真言宗の青年僧侶により分灯され、神戸市より徒歩にて福島県いわき市まで運ばれたものだそうです。

そして、その灯りを平成23年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災により失われた多くの尊い命への鎮魂と甚大な被害を被った被災地の復興を願い平成25年3月11日に建立されたものだそうです。



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原発20km圏内の記録 『夜の森の桜』2012

2012年04月19日 | 東日本大震災
7か月ぶりに福島第一原発20km圏内へ入る機会が巡ってきました。
この桜の季節に20km圏内へ入るなんて絶妙すぎます
なぜならば、原発20km圏内には福島県の桜の名所夜の森の桜並木があるからです

下の写真は、平成24年4月18日現在の『夜の森の桜並木』です。
原発事故で立入禁止区域になっていなければ、この写真にはを見に来た多くの人達が写り込んでいるはずなんです。
こんなに桜が満開の季節に、この場所で人が誰一人として写っていない写真を撮ることは絶対に不可能だったはずです

本来であれば何千人・何万人という人たちに見てもらえるはずなのに・・・




JR夜の森駅周辺にある桜も人間の都合など全く関係なく、ただ自分のやるべき仕事を全力で全うすべく咲き誇っていました




下の写真は、去年の夏に同じ場所から撮影した写真です。
去年の夏は、写真のように線路上にまで雑草が生い茂っていましたが、現在は雑草も枯れて線路が見えるようになっています。
しかし、今年も夏がやってくれば、去年のように・・・いや、去年以上に雑草の侵略が進んでしまうのだと思います。




去年の夏にはなかったもの・・・・・・チョット分かりずらいかもしれませんが夜の森公園のグラウンド(下の写真の奥)には黒いビニールシートが被せられて除染で削り取られた土の山ができていました。

結局『除染』なんて言っても消えてなくなるわけでもなく、目の前から脇の方へ邪魔なモノを移動するだけなんですよね。
浄化されて無くなるわけでもないし、こうして視界から消えてなくなるわけでもない・・・・。
行き場を失ってどこかに溜め込まれるだけなんですよ




コンビニの扉も思いっきり破られて店の中が荒らされていました。
去年の夏にこのコンビニを見たときには、ここまで壊されてなかったんですから今でも何者かが我が物顔で悪さを続けているんですね・・・許せません




震災から1年以上の月日が経ってしまい、その時間が経過した分、店内に展示されていた雑誌も色あせて形が崩れてしまいました。




夜の森からJR富岡駅周辺に場所を移動すると、相変わらず線路上は荒れ果てたまま手つかずの状態です。
写真の奥に見えるのは福島第二原子力発電所です。
何やら巨大な煙突のようなものの周りには足場のようなものが作られて工事をしている様子です。
また発電所を稼動させるつもりの工事なのか、震災による被害箇所の修復工事なのか、補強工事なのか・・・・いずれにしても福島県民は不安になってしまいます・・・




振り返ると、同じく荒れた線路越しにJR富岡駅を見ることができます。



この線路に以前のようにスーパーひたちなどの電車が走るのはいつになるんでしょうか?



今回、久しぶりに原発20km圏内へ入る機会に恵まれて、福島県の桜の名所夜の森の桜を見てくることが来ました。
丁度、このブログを書いているときに、このブログの1枚目の写真と同じ場所で、テレビ局が桜並木の生中継をしていました。
福島県民として全国に誇れる桜の名所が、原発事故で封印されてしまうのは悲しすぎます。
線量の高さから考えると、近い将来に帰宅するのはまだ難しいのかもしれませんが、一日でも早く普通に夜の森の桜を見に行ける・・・そんな日が来ることを祈ります。



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ゴーストタウン~原発20km圏内『富岡町』

2011年09月15日 | 東日本大震災
今回は、福島第一原子力発電所の爆発事故に伴う20km圏内立入禁止区域である『双葉郡富岡町』の写真を掲載してみます。

まずは『JR富岡駅』です。
駅舎は、津波で破壊され改札口の金属フレームだけが残され、その先のホームの奥には海が見えます。




6ヶ月前まで普通に特急電車も走っていた線路上には、雑草が生い茂り、津波で流されてきた乗用車が残されたままになっています。(9月13日現在)




下の写真は、約5ヶ月前の4月20日の富岡駅の写真です。
当時は、震災後、全く手つかずの状態でしたから、現在のように雑草は生えていないものの、まだ津波による瓦礫に覆われたままの状態でした。




駅前の小さな商店街も、瓦礫は撤去されて片付いているものの店の出入口やサッシ戸などは、地震や津波で壊れたまま、がら空きの状態で店先には雑草も生い茂っています。







せっかくクリーニングした衣類も壊れた店内に残され、持ち主の手に返らないまま外気にさらされて汚れてしまいました。




国道6号線沿いのセブンイレブンも店先に雑草が生え、ごみが散乱したままの状態です。




震災当時に陳列されていた雑誌は、ガラス越しに日に焼けて色あせてしまい、6ヶ月という時の流れを物語っていました。




同じく、国道沿いの一見なんの被害もなさそうなレストラン。




確かに建物自体は、地震などの被害はなさそうです。

しかし、立入禁止区域で、もう何ヶ月も人が居ないのに、出入口の内側には「営業中」「OPEN」の札が掛けられたままでした。

原発事故のせいなのでしょうか。
よほど慌てて避難した様子がうかがわれます。



どこかの大臣が20km圏内の立入禁止区域を『死の町』と言ったことを発端に辞任に追い込まれてしまいましたが、誰が見ても本当に『死の町』なんです。

そして、私が直接話すことが出来た多くの避難者達は、意外にも『死の町』という表現に対して「それだけひどい状況なんだ」と伝えるための表現であれば問題ないと考えているようです。

しかし、「放射能をうつしちゃうぞ」発言はチョットまずいと思います・・・。
だいたい、放射能はうつらないし・・・。
そう言う誤解を招く言動をするから「福島県民お断り」などと張り紙をされたり、病院で診療拒否されたり、福島ナンバーの車にイタズラされたりするんですよ。


今回は、8月から9月にかけて立入禁止区域内に入る機会があり、時には113μSv/hと通常自然界の2,260倍の放射線量の中に入ることもありましたが、こうして町の様子を写真におさめることができました。

今後も、立入禁止区域内に入る機会があれば被災地の記録として写真に残していきたいと思います。



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「あたりまえ」から『ありがとう』

2011年09月10日 | 東日本大震災
東日本大震災と原発事故の経験から「あたりまえ」だと思ってきたことが『ありがとう』に考えが変わってきた。





今までの生活は、科学の進歩や経済の発展にともなって平和ボケしすぎてしまい、現在の

・安全や平和
・高い技術の医療行為
・豊かな物資・・etc

全てがあたりまえで恒久的なものだと誤信していた。






例えれば

・水道から水が出てあたりまえ
・電気が通っていてあたりまえ
・コンビニが開いててあたりまえ
・ファミレスが開いててあたりまえ
・金さえ払えば食事が出来たり、品物を買えてあたりまえ
・ガソリンスタンドが開いててあたりまえ
・車が走ってあたりまえ
・医者が病気を治してあたりまえ
・安全であたりまえ





それが、大震災と原発事故後は、お金を持っていても

・水がない・・・
・電気がない・・・
・ガソリンがない・・・
・ガソリンがないから逃げることも出来ない・・・
・風呂にも入れない・・・
・店が開いてないから食料がいつ底を尽きるか分からない・・・
・医療行為が受けられない・・・

・こんな生活がいつまで続くのか分からない・・・






あたりまえだと思っていたことが、全て音を立てて崩れ落ちていった




コンビニすら1軒も開いていない暗い街の中で、店の品物はほとんど売り切れて残っていないのに、

「それでも店にある品物を必要としている人がいるかもしれない」

と、避難もせずに開店している店の灯り・・・
その灯りにどれだけ安心感と人の温かさを感じただろう

それは、「この機会に儲けよう」などという卑しい根性ではなく、純粋に『人のため』という善意による行動だった。



電気や水道の復旧のために昼夜を問わずに作業をしてくれた人たち・・・

命がけで避難誘導にあたってくれた人たち・・・

行方不明者の捜索や救護にあたってくれた人たち・・・

搬送されてきた怪我人や病人を家へも帰らず治療にあたってくれた人たち・・・

未知の恐怖と危険を顧みず原発事故の収束にあたってくれた人たち・・・


これらの人たちばかりじゃなく、普通に作物を作ってくれている農家の人たち・・・

それらのものを輸送して販売してくれる人たち・・・

ガソリンスタンドの店員さん・・・


そして、家族・・・・・




普段の生活の中で自分を取り巻く環境は「あたりまえ」じゃなかったんだ・・・


頭では分かっていたつもりだった・・・

でも実感したのは今回が初めてだった・・・

ひとりでは生きていけない、全ての人達に『ありがとう』だったんだね




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