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植物は思考するのか?(全文翻訳)

2012-06-29 18:24:20 | 翻訳

これから二回に分けて、「Do Plants Think?: Scientific American」の翻訳をお届けします。
今回は、その前編です。(2012-06-29 18:20:40 前後編を合わて一つにしました。)

題名が「植物は考えるか?」なので、どんなことが書かれているんだろうと興味津々でしたが、いざ最後まで読んでみると、それほど意外なことが書かれているわけでもなく、ちょっと期待しすぎたようです。

でも、こういうテーマについて考えることも、自然や動植物に対する感受性を高めるには有意義だと思ったので、関心のある方々にも読んでいただこうと翻訳を行いました。

科学系の話題ということで専門用語などを含む難しい表現も幾つかあり、学術的に適切な訳になっていない箇所もあるかもしれませんが、ご了承願います。


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[原文] Do Plants Think?: Scientific American:
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=do-plants-think-daniel-chamovitz

植物は思考するか?

科学者のダニエル・チャモヴィッツは、植物が見る、感じる、嗅ぐ ― そして記憶するという驚くべき世界を明らかにします。

by ガレス・クック | 2012年6月5日 |

植物はどれくらい気がついているのだろうか? これが、ダニエル・チャモヴィッツ(テル・アビブ大学 植物生命科学 マナ・センター長)による非常に興味深い新刊本、“植物が知っていること”の背後にある中心的な問いです。彼は、植物は見ることができ、嗅ぐことができ、感じることができると主張します。それは包囲された際に防御に取り掛かることを可能にし、その途中で、トラブルについて近隣に警告することもできます。植物は記憶することさえできるとも言われます。しかし、これは植物が思考することを意味するのでしょうか ― もしくは、人は花の“神経科学”について話すことができるのでしょうか? チャモヴィッツはマインド・マターズの編集者 ガレス・クックからの質問に答えました。

1.まず、どうしてあなたはこのトピックに興味を持ったのですか?

植物と人間の感覚との間の類似における私の興味は、私が、1990年代半ばのエール大学 シン・ワン・デンの研究所で博士課程終了後の若い研究員だった時に始まりました。私は生物学的なプロセスを研究することに興味を持っていました。それは植物に特有のもので、ヒト生物学には結び付けられていないものでした(たぶん私の家族の中の他の6人の“医者達”への反応として。彼らは皆、内科医ですが) それで私は、どうやって植物が、自身の発達を調節するために光を感知するのかという問いに惹かれたのです。

植物が、光合成だけでなく、植物が育つ方法を変えるシグナル(信号)としても光を使うことは数十年間に亘って知られてきました。私のリサーチ(研究・調査)で私は、植物にとって光の中にいるのか闇の中にいるのかを判別するのに必要とされる遺伝子の珍しいグループを発見しました。私たちが発見を報告した時、これらの遺伝子が植物界にとって独自であるように見えました。それはヒト生物学に言及するどんなものも避けたいという私の欲求によくフィットしました。しかし大変驚いたことに、そして私の計画の全てに反することでしたが、私は後に、この同じ遺伝子のグループは人間のDNAの一部でもあることを発見したのです。

このことは、これらの一見“植物特有の”遺伝子が人々の中ですることとは何なのかという明白な疑問へと導きます。長年が経過して、私たちは今や、これらの同じ遺伝子が動物における細胞分裂のタイミング、ニューロン(神経細胞)の軸索突起の成長、及び免疫システムの適切な働きにとって重要であることを知っています。

しかし最も驚愕したのは、これらの遺伝子がまた、動物における光への反応を調節していることです! 私たちが、光に対する反応で植物がするようには形態を変えることができない一方で、私たちは自らの体内時計のレベルにあるラボに影響を受けています。私たちの体内の概日時計は24時間リズムを刻み続けており、それが、私たちが世界中を片道旅行をする時に時差ボケを経験する理由です。しかし、この時計は光によってリセットが可能です。数年後、私はNYU(ニューヨーク大学)のジャスティン・ブラウとのコラボで、こうした遺伝子の幾つかを失っている突然変異のショウジョウ・バエが、光に対して反応する能力を失っていることを示しました。言い換えると、私たちが彼らの時計を変えたならば、彼らは時差ボケ状態のままなのです。

このことは私を、植物と動物との間の遺伝的差異は、私がかつて単純に信じていたほどには有意義ではないという理解に導きました。それで、この分野を積極的に調査していない間、私は植物とヒト生物学の間の類似点に疑問を持ち始めました。私自身の研究が、白血病のショウジョウバエにとって、光に反応する植物を研究することに端を発するものだったにも関わらず。

2.植物について人々がどう考えるか変える必要があるということを、あなたはどのようにお考えですか? 

人々は気がつかなければなりません。植物は豊かに生きていて、官能的な生活をしている複合生物(複雑な有機体)であることに。ご存知のように、私たちの大部分は植物を無生物に関連付けていますよね、石と大差なく。多くの人々が、本物に対してシルクフラワーで、あるいは生木に対して人工的なクリスマスツリーで代用するという事実はまさに、どのように私たちが植物を関連付けるかについて、あるレベルで典型的なものです。本物の犬の代わりにぬいぐるみの犬を飼う人なんて、私は誰も知りませんよ!

ですが、全ての植物生態学が植物を不動のものにし続ける“根付き”の進化論的収縮に起因するということに、もし私たちが気がつくなら、その結果、私たちは葉や花の中で非常に洗練された生物学が進行していることを認め始めることができます。もしあなたがこのことを考えるならば、根付きは巨大な進化論的制約なのです。それは、植物が悪環境から逃れることができないことや、食物または交配相手を探すために移動することができないことを意味します。だから、植物は信じられないほど繊細で複雑に、変化する環境の中でさえ彼らを生き延びさせるように知覚機構を発達させなければなりませんでした。つまり、もしお腹が空いていたり喉が渇いていたら、あなたは近くの水飲み場(または酒場)へと歩いていくことができますよね。暑ければ、あなたは北へ移動できるし、結婚相手を探しているならば、あなたはパーティへ出かけることができます。ところが、植物は不動なのです。彼らは食料がある場所を見る(認識する)必要があります。彼らは天候を感じることが必要ですし、彼らは危険を嗅ぎ分けることが必要です。それから彼らは、この非常にダイナミックに変化している情報の全てを一本化できる必要があります。単にそういう理由であって、私たちが植物の移動を見ることができないことは、植物の中で極めて豊かでダイナミックな世界が進行しているのではないということを意味しません。

3.あなたは、植物が嗅覚を持っていると言っていますね?

確かに。しかしこれに答えるには、私たちは“嗅覚”とは何なのかということを私たち自身のために定義しなければなりません。私たちが何かを嗅ぐ時、私たちは空気に溶け込んだ揮発性の化学物質を感じ、そして次に何らかの方法で、この匂いに対して反応します。植物における分かりやすい例は、果実の熟成の間に起きていることですね。あなたは聞いたことがあるかもしれませんが、もしあなたが熟した果実と熟していない果実を同じ籠の中に一緒に入れたのなら、熟していないものはより早く熟すでしょう。これが起きるのは、熟したものが空気中に熟成フェロモンを放出するからです。そして熟していない果実はそれを嗅ぎ、そして次に自身を熟し始めるのです。これは私たちのキッチンの中だけで起きるのではなく、他でもまた起きますし、あるいはそもそも自然の中においても同様に起きています。一つの果実が熟し始める時、それはこのエチレンと呼ばれるホルモンを放出します。それは、共時的に木全体や果樹園が大体熟すまで、近隣の果実によって感じ取られるのです。

匂いを使っている他の植物の例は、ネナシカズラと呼ばれる寄生植物が、どうやってその餌食を見つけているかです。ネナシカズラは光合成ができません。そしてそのために他の植物を食べて生きなければならないのです。ネナシカズラが寄生する植物(親木)を見つける方法は匂いに拠ります。ネナシカズラは、近傍の植物によって空気中に解き放たれた微量の化学物質を嗅ぎ付けることができます。そして実質的に最も美味しそうなものを一つを選ぶのです! 一つの古典的な実験において、ネナシカズラは小麦よりもトマトを選ぶことを科学者は示しました。というのも、それは匂いを選り好むからです。

3B.聴覚についてはどうなんですか?

これはもう少し手が込んだ問題です。なぜなら、植物が見て、嗅いで、味わって、感じるという考えを、たくさんの研究調査が支持しているからです。聴覚の優れた能力をもつ植物に対する支持は、その方法に関して私たちが有している事例データの総数と間接的に比例しています。その中で音楽は、どのように植物が成長するかということに影響を与えているかもしれません。私たちの多くが、クラシック音楽を聴いて部屋中に繁茂する植物についての話を聞いています。主としてですが、音楽と植物に関する多くの研究調査は、控えめに言って、科学的手法に基づいた調査員たちによっては成されていません。驚くことではありませんが、これらの研究のほとんどで、植物は実験者も好んだ音楽の中で繁茂しました。

進化論的見地からは、植物は聴くことを実際には必要としないということも可能でした。人間と他の動物において聴くことにより作り出された進化論的な優位性は、私たちの体が私たちに、潜在的に危険な状況を警告する一つの方法としての役割を果たしています。私たちの早い時期の人間の祖先は、危険な捕食者が森を通って彼らに忍び寄る音を聴くことができました。一方、今日の私たちは近づいてくる車のモーター音を聞きます。聴覚(聴力)はまた、個人間や動物間の敏速なコミュニケーションを可能にします。象たちは亜音速波を発声することで広大な距離を越えてお互いを見つけることができます。その音波は、物体の周りでゴロゴロ鳴くと何マイルにも渡って伝わるのです。イルカの群れは嘆きの泣き声を通して、海で迷子になったイルカの子供を見つけることができます。これらの全ての状況で共通するものは、音は迅速な情報通信と反応を可能にすることです。それはしばしば――火から逃げること、攻撃を回避すること、家族を見つけること、という動作になります。

しかし、植物は根付いている、定着性の生物(有機体)です。彼らは太陽に向かって成長していける一方で、重力に屈しますし、逃げることもできません。彼らは避けることもできません。彼らは季節に伴って移住することもしません。そのようなものなので、おそらく私たちが世界中で使っている音響信号は植物にとって関連性がありません。

言われていること全てに、私は自分自身の耳を覆わなければなりません。幾つかのかなり最近の研究調査が、植物は音に反応するかもしれないと示唆している点を指摘することによって。音楽があなたの気に障るものでなくても、ある振動を除けば、それは植物にとって無関係です。どうすればこれが良い結果をもたらすかを確かめるのは非常に興味深いことになります。

4.植物は互いにコミュニケーションを行うのでしょうか?

基本的なレベルでは、そうです。しかし、それはあなたがコミュニケーションをどのように定義するかということに集約していくと思います。植物が他の植物からの合図に対して反応することは疑いありません。例えば、カエデ(モミジ)が虫に攻撃された場合、それは空気中にフェロモンを放出して隣接する木々にとらえられます。このことは、受け取る木々に化学物質を作り始めることを誘発します。その化学物質が、差し迫った虫の攻撃を撃退することで木々を助けるのです。だから表面上は、これは紛れもなくコミュニケーションです。

しかし、私たちは意図(意志)の問題も尋ねなければならない、と私は思います(もし私たちが植物を表現する時にその言葉を使うことができるのならば。でも、ほんのユーモアですからね、擬人化する際の)。木々がコミュニケーションすることは、攻撃された木が自分の周りの木々に警告を発していることを意味するのでしょうか? それとも、もっと繊細でしょうか? たぶんそれは
、攻撃された枝が自らの生存の努力の中で同じ木の他の枝とコミュニケーションをとる、という更なる意味をなすでしょう。近くにある木々は、そうですね、ただ盗み聞きして、その信号から恩恵を得ているのです。

他にもこういうタイプのコミュニケーションに関する事例があります。例えば非常に最近の研究は、植物は根から根を伝う信号を通してコミュニケーションしているとも示しています。この場合の“会話”する植物は干ばつ(日照り・渇水)によってストレスを掛けられていました。そしてそれは、近隣の植物に水の不足に対して準備するように“告げました”。私たちは信号が根を通して伝わることを知っています。なぜなら、このことは二つの植物が単に近接する鉢植えの中にある場合では
決して起きなかったからです。それらにはお隣の根が必要でした。

5.植物は記憶するのでしょうか?

植物は明らかに幾つかの異なった記憶の形態を持っています。ちょうど人がするようにです。彼らは短期記憶と免疫記憶、そして世代に伝わる記憶ですら持っています! このことは、ある人々にとって把握するのが困難な概念であるということは分かっています。しかしもし記憶が、記憶形成(情報の記号化)、記憶保持(情報の保管)、そして記憶の呼び出し(情報の回収)を伴うとすれば、それなら植物は間違いなく覚えています。例えばハエトリグサは、触れてきた虫を閉じ込めるため、その葉の上に2本の毛を持つ必要があります。だから最初の一本は触れられたことを記憶しています。しかしこれは直近の約20秒間だけで、その後は忘れてしまいます。小麦の苗木は、花を咲かせ種を作る前に、冬を潜り抜けてきたことを覚えています。そしてあるストレスを掛けられた植物は、同じストレスに対してより抵抗力をもつ子孫の元になります。あるタイプの世代間の記憶は、また最近、動物においても示されました。ハエトリグサにおける短期記憶が神経作用にそっくりな電気に基づく一方で、長期記憶は後成的なものに基づきます ― 突然変異体がするようなDNAコード内の変質を要しない遺伝子作用における内容変更、それは今もなお親から子へと次世代に伝えられています。

6.それでは、あなたは、植物が“考える”と仰るのですか?

いえ、そうは言ってませんが、たぶんそれは私自身の思考の中で、私がまだ制限を設けているところでしょうね! 私にとっては、思考と情報処理は二つの異なった構成なのです。私はここで気をつけなければなりません。これは本当に哲学の境界線上のことですから。しかし私は、目的を持った思考は高度に発達した頭脳と自動認識論、もしくは少なくとも認識論や意識を必要とすると考えています。私の理解では、植物は考える能力を含まない不可解な意識の要素を示しています。ちょうど、植物が脳の欠如にあって主観的な痛みに苦しむことがないように、私も植物が思考するとは思いません。

7.あなたは、植物がすることと人間の脳がすることの間に何らかの類似を見ていますか? ニューロン(神経細胞)を差し引いた、植物の神経科学はあり得ますか?

まず、そして何人かの私の親友を不愉快にさせるリスクにおいて、植物の神経生物学という専門用語は馬鹿げていると、私は考えています。ヒト花生態学と言うのと同じくらいに。植物には神経細胞がありません。ちょうど人間に花がないように!

しかしあなたは、細胞と細胞のコミュニケーションや情報蓄積や処理のために神経細胞を必要としません。動物においてさえ、脳内に全て情報が処理されたり蓄えられるとは限りません。単純な動物ではなく、より複雑な動物の中で、脳は高次命令処理において支配的です。植物がコミュニケーションを取り合うことでの異なる部分は、生理的および環境上の状態を細胞上で情報交換することです。例えば根の成長は、新芽の先端で生成されて成長する根に向けて輸送されるホルモン信号に依拠しています。新芽の発達は、部分的には根の中で生成された信号に依存します。葉は、花を作り始めるようにと告げる信号を新芽の先端に送ります。このように、もしあなたが本当に何度か大げさに手を振る(ごまかす)ことを望だとしても、植物全体は脳に類似しているのです。

しかし植物は神経細胞を持っていない一方で、神経刺激性の化学物質を生産すると同時に、それに影響を受けています! 例えばグルタミン酸受容体は、人間の脳内において記憶形成と学習にとって必要な神経受容体です。植物が神経細胞を持っていない一方で、彼らはグルタミン酸受容体を持っています。そして興味をそそられることは、人間のグルタミン酸受容体を抑制するのと同じ薬が、植物にも影響するということです。植物におけるこれらのプロテイン(たんぱく質)を研究することから、どのようにしてグルタミン酸受容体が細胞から細胞へのコミュニケーションを仲介しているのか、ということを科学者たちは学んできました。だからたぶん、神経生物学者に質問が提示されるべきです。花を差し引いた人間の植物学があり得るのかどうか!

偉大な植物研究家の一人であるダーウィンは、“根の脳”仮説として知られるようになったものを提案しました。ダーウィンは分裂組織(成長点)と私たちが呼ぶ、その根の先端部が、感覚上の入力を受け取ることや直接の動作として、下等動物たちの脳が行うように活動しているということを提示しました。幾つかの今日のリサーチ・グループは、この一連の研究調査を徹底的に追究しています。

あなたは神経科学や認知科学、または心理学を専門に扱う科学者ですか? あなたがそれについて書きたいと思う最近の同業者の総括書(査読論文、新聞)を、あなたは読みましたか? どうか提言を送ってください。ピューリッツァー受賞者でボストン・グローブ新聞社のジャーナリストであるマインド・マターズの編集者ガレス・クック宛に。garethideas AT gmail.com または Twitter @garethideas にて、彼に連絡を取ることができます。

- translation by CI



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前半翻訳:2012-06-28 11:42:11/後半翻訳:2012-06-29 18:20:40



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