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【Roxana Jones】熱意 : どこからやって来るの?

2014-03-15 16:25:56 | 翻訳

易経のウィルヘルム・バインズ版の16番、雷地豫には、この「Enthusiasm(エンスージアズム)」という単語が当てられています。

熱中とか熱意、熱誠、熱狂、忘我、夢中・・・いろいろな訳語がありますが、一般には熱意と訳されているようなので、ここではそれに倣いました。ただ、本文にもあるように語源のギリシャ語では「神にとりつかれた状態」(神のとりこになった状態)のようなので、どちらかというと、恍惚とか悦に入った雰囲気があるのかもしれません。易の雷地豫でもその意味の一つに「悦楽」というのがあります。また、喜びや楽しみを得るために準備する、といった意味合いも。高揚感を伴うパッションというか。

そしてその「準備」とは、何らかの道具を用意したり事前作業を完了させることよりも、むしろ心的状態をその喜びを感受するのに最適なコンディションにしておく、ということなんじゃないかと思います。つまり、自らの神性を伝ってくる創造性を滞りなく現実世界に流すということ(易では雷地豫の反対側に「停滞」を意味する風天小畜がある)。

過去何百年、いえ数千年もの間、僕ら人間は、神を“自分の外に存在する高貴で尊い者”として崇めてきました。そのための崇拝物も山ほど作られてきたし、 肖像画やイメージを含め、何かしらの拠り所となってきた節があります。また一方で、特定の宗教にすがったり、神の教えとされる教義や規範というものに従って生きていながら、相容れない神への信仰を主張する人々を敵とみなし、骨肉の争いを繰り返してきた歴史もあります。

しかし近現代になって、とりわけ今進行中の地球と人類のアセンション(次元上昇)の波が押し寄せてきたことによって、自らの内なる神性に目覚め始める人が出てきました。もっとも覚醒や悟りというと大それているので、単純に「気づき」と表現する場合も多いようです。当初、こうした人たちは社会の反発にあって揉み消されたり、そうした摩擦を避けてひっそりと暮らしたりしてきましたが、今では多くの人が日々の「気づき」の中で同様の内容を語るようになってきています。

既に地球自体や自然界はアセンションを経ていますが、人類はといえば未だに争いを好む性質から抜け切れてなくて、悲しみや禍根の残ることを度々してしまっています。でも、一人ひとりが自らの内に、そして相手の内に、光り輝く性質を見ることによって、だんだんと集団としての意識も変容していくはずです。

そして、これも重要なことだと僕は考えているのですが、いわゆるディスクロージャー(情報開示)というのも同様で、外部のどこかの組織やグループからもたらされるものと思っている人が多いと思いますが、実際には内的なタイムラインの同期が先に来なくてはならないでしょう。しかも、それはあらゆる個人から始まるものです。

つまり、過去とか未来にいる/いた自分自身という概念が崩れて、一つの統合された「今、この時」の中で同時進行として経験しているんだと気がつくことで、(三次元の概念での直線的な時間軸における)個々の経験から、いわゆる“歴史上”の様々な謎や未来の様相まで、色々な物事が明らかにされていくだろうと思います。まず最初はポツポツと、そして次第に滔々と。そして、パラレル的に近い状態にある人達が同じように語り出し、整合性が取れてゆく。または、そうした地球上の記憶だけでなく、宇宙の歴史の記録庫に直接アクセスして確証を得てゆく。

そうしたことは、現時点では芽が出始めたばかりかもしれませんが、結局、それもまた「時間の問題」に過ぎません。

ところで、今回の記事は前回のUteさんの記事と重なるところがあるため、よかったら時間のある時にでも「【Ute Posegga-Rudel】神なる自己:皆さんの創造は私から始まります」のほうもご覧下さい。


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熱意 : どこからやって来るの? 


たくさんの人が「熱意・熱中(enthusiasm)」という言葉を、その秘められた性質を知ることなく使っているのをみるのは、ごく一般的なことです。

正直なところ、私が何を知らないかを数年前に私の友達が教えてくれるまで、私はそうした人達の一人でした――数百万人が今も当然のことだと思っている、という意味で。

メリアム・ウェブスター辞書を当たれば、熱意には次のように書かれているのを見るでしょう。「何かについての強い興奮、好んだり楽しんだりする事柄への積極的な関心の元になる強い感情」

これが、理解するお決まりのやり方です。でも、この興奮や強い感情はどこから来るのでしょうか? それを知るために私達は若干、語源の研究をしなくてはなりません。神にとりつかれたとか、神によって霊感を与えられたという意味のギリシャ語の「enthous」を読み解くために。

言い換えれば、あなたの内側に神が宿っていなければ熱意を持つことはできない、ということです。だってそうでしょう、たくさんの異なる姿の悪が、少しも実際的でなかったり永続的な成功のない気まぐれで操ろうと試みてきた、この素晴らしい惑星の歴史の間中、私達が心に抱いている神は、突如として(その操作を)無効化される時まで立ち退かなくてはならなかったのですから。

どうやってそれが起きたのでしょう? 強制的に『信じ』込まされてきたか、でなければ、神を『外側にいる』神格的存在と見なし、また私達自身を「罪人」として見るように規定されたのです・・私達を通して、私達として神が流れ続けることを選ぶかどうか。

時が経つにつれて、私達の意識から記憶が消されていきました。けれど、私達の潜在意識の深い所には、なんだかんだでこの「切り離された」印象が伝わっています。

そうして熱意という単語が私達の言語に残されたのですが、新たに課せられた信念が「弱い(劣った)」熱意というものを作り出しました。それは、神の力を欠いた者、私達のように脆い者、すべては自分達のために神の熱意を持とうとした少数の者達におとなしく従わざるを得なかった世界の男女です。

話を今に戻すと、どうすれば私達の社会が熱意の下で豊かになり、創造的になり、インスピレーションに溢れるようになるのかしら? もしそうした人達の大多数が内なる神に値しないと未だに信じているんだとしたら、そして、今もまだ自分達の外側にある神を崇拝しているんだとしたら。これは単に、人生で成功するのに必要な力である外的なソース(源)を手にしようとしているに過ぎず、しかもそれを人為的に私達自身に移し替えているだけです!

それが上手くゆくことを願いますが、今一度よく考えてみましょう。もしこれが正しいやり方だとしたら、誰もが熱意に満ち溢れて街の通りで踊るようになると思いますか? 私にはとても多くの無表情な顔が見えますし、たくさんの打ちひしがれた目が見えます…どうしてこんなにも多くの絶望や自殺が今日の世界にはあるのでしょう? それは私達が熱意を忘れてしまっているからです。エネルギーの源、スピリット(魂/精神)を忘れてしまっているからです。

このために、神-信仰する宗教の枠を超えて―は、私達全員に思い出すように求めています・・私達の神性(divine self)と再び結びつく時が来たことを。そう、私達の内側のね。

今こそ、経験し楽しむために生まれてきた熱意を取り戻す時です。それは私達の権利なんです。10分間や2週間、または1年しか生きられないかのような気持ちで生きるのです。私達は日々、残りの人生に心血を注がなければなりません! これこそ、宇宙が私達に対して意図したことです。だから、今度は私達が既に自分達のものであるものを取り戻す番です――私達の神聖なる遺産を。

「ギリシャ人は最高に美しい単語の一つを私達の言語に授けてくれた。「熱意」という言葉であり、神が宿っている。人が行う活動の偉大さはインスピレーションによって測られるが、熱意はそこから湧き出す。幸福とは神を内に抱いている者達のことだ。」~ルイ・パスツール

ではまた次回。愛でいることを忘れないでね!

ロクサーナ・ジョーンズ

原文リンク:
http://roxanajones.com/2014/02/20/enthusiasm-where-does-it-come-from/

翻訳:C.I.

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