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【DL Zeta】知覚のレンズが私たちの経験の特性と質を決める

2015-03-09 16:20:54 | 翻訳

現代社会はとかく忙しく、生活するのにこせこせしていて、なかなか「今この時」に焦点を合わせて落ち着くことが難しい世の中です。

この記事は先月の初旬に投稿されたものですが、この時期の日本では確定申告やら納税申告やらで余計に忙しくなっている時です。また、そうした時期じゃなくても、毎日が抗えないほどの慌しさで過ぎていくような方も大勢いらっしゃるんだろうと思います。

たぶんスピリッツの視点から見れば、人間生活のあれやこれやの仕組みなど本当は瑣末なことなんでしょうけど、この社会を現実とみなして生きている僕らにとっては、単純に「どうでもいいこと」だと切り捨てることはできないわけです。なんなんでしょうね、この矛盾は。

人にとって「真に生きる」とはどういうことなんでしょう。
亡くなったロビン・ウィリアムズさんが教師役を演じている映画のタイトルにもありますが、「いまを生きる」とは実際にはどういうことなのか。
それはスピリチュアルな話の中で盛んに出てくるテーマですが、人間は、そのことと真剣に向き合う領域に間違いなく入っていると僕は思います。


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http://www.celestialvision.org/2015-channelings-by-dl-zeta/2015/2/7/our-lens-of-perception-determines-the-nature-and-quality-of.html


Our Lens of Perception determines the Nature and Quality of our Experience

知覚のレンズが私たちの経験の特性と質を決める

チャネラー/著者: DL Zeta


人生経験の特性と質は、私たちの見方・物事の捉え方の水準(levels of seeing/訳注: 以下、視野レベルとします)と直接的に結びついています。すべてがここにあり、常にここにあり続けています。しかし私たちは、自ら望んでいることや、知覚(認識)のレンズを通して見ることのできる範囲に制限されています。

私たちが見てきたものよりも、もっとずっと多くのものがいつでもあります。もし私たちが今の視野レベルをとことん上げるとしたら、そこに見えるのは一つの小さな点だけでしょう。私たちの可能性と素質は、宇宙の無限なる本質に入ってゆくための最良の窓を開いてくれます。この神聖なパターン(原型)は私たちの周りに溢れ、私たちの中を通って流れています。あらゆる経験の粒子はコードと情報を伴っていて、こうしたコードは地球生活という夢の中で目覚める用意のある人にとって、いつでも利用できる状態にあります。この目覚めが、新しいレベルの内的視力を使えるようにしてくれるのです。

私たちの視野レベルを決定付ける諸要因

多くの要因が一人の人物の視野レベルを決めるのに関わっています。ほとんどの魂が濃いヴェールに覆われた物質的実体に入っています。このことが、一人ひとり違う形での経験を通じて人間状態の微妙な違いを学んだり、地球での生活を送るための基本を学ぶことを可能にするのです。いったん一人の魂が40歳程度の本当の魂の年齢に入ったら、そのヴェールは溶けていきます。実際にはヴェールが消し去られるというよりも、私たちの視野レベルがそのヴェールを超えるのです。時々ライトワーカーは、数多くのヴェールを一度に通り抜けるという加速度的な目覚めの期間を経験しますが、理想的には、感情の浄化と癒しがそうした加速期間に伴うのがよいと言えます。

ひとたび目覚めると、私たちは癒しの必要性に応じて存在の各側面を認識できるようになります。これらは過去の感情的なトラウマに囚われた若い自己たち(yonger selves)です。魂の理解と、弧を描く幾多の生涯における今生の立ち位置によっては、癒しを必要としてパラレルな生涯をも認識し始めるかもしれません。パラレルな生涯とは過去に存在したり、隣接していたり、未来の生涯であったりするものです。それぞれの生涯には、私たちの総合的な意識の地図における郵便番号があります。

こうした他の生涯は同時に生じていますが、私たちの“今この瞬間にある意識”が拡大してそれらを包含する時までは気づきが限定されています。別の生涯を認識することが、どの生涯でも起きるというわけではありません。それは逆に言えば、ある人が地球転生の完了を迎えるために、今の生涯を他の生涯との調和領域に導くという目的をもった、一つの頂点的な生涯としての特徴なのです。これは大きな視点での展望と認識です。ここからは刻一刻と移り変わる経験について考えていくことにしましょう。

どんな瞬間も意識における一つのポータルである

あらゆる瞬間、一回一回の呼吸が、意識の拡大したレベルへと私たちを運ぶポータルとしての力を備えています。ポータルの認識を強めるにつれて、私たちはそれらの中に入ろうとするかもしれません。古い魂たち(old souls)、特に新しい時を根付かせるためにここにいる者たちは、若い魂たち(younger souls)とは違った方法でポータルを選び、アクセスします。これが意味することを理解するために、周囲の人々とは大きく異なる方法で、同じ物質的組成(肉体)の経験をしているあなたに気がついた時のことを思い出してみましょう。私たちは他の人々の脇に立つことができますが、それでも体験する現実は完全に違っています。それは精神的な気づきや魂の年齢、精神的な理解、目覚めの度合い、その他の要素によります。どんな風にこれが作用するのかをもっと深く理解するために、“一瞬の間”にあなたがどこまで内面を旅することができるのか考えてみましょう。ほんの束の間だけ表面に立つでしょうか、それとも、その内側に入ってパターンやシンボルや、内部で脈動しているエネルギーを目撃するでしょうか? もしも十分に長く“一瞬”の内側に留まれたら、私たちはその中で美を見つけます。そこに刻まれた深い意味を見つけます。一見、私たちの人生と無関係に思える出来事の間にもつながりを見出します。過去の生涯における他者との結びつきに気がつきますし、もちろん未来の生涯での経験をもたらす流れと方向性にも気がつきます。生命力の潮流が奏でる透き通った音楽を聴いたり、すべての生きとし生けるものとつながった光の糸を目撃します。“一瞬”の内側に存在するとき、私たちはソース(源)へと帰還する動きの中で脈動する生命のウェブを眺めることができるのです。

トラウマ的な忘れられない出来事は、濃縮された経験の束である

では、トラウマ的な瞬間とは何でしょうか? それらは相反するエネルギーがぶつかり合って生まれる濃縮された経験の束です。また、それらはエネルギーが力強く交差する意識の交点に位置しています。そうした経験の幾つかは運命付けられているか、私たちの意識の中に刻印されて生命エネルギーと一緒にブックマークされています。そのため、私たちはそこに込められた理解を時間をかけて抽出するために、何度も何度もここに戻ってくることができるのです。この理解は、私たちの成長と目的には欠かせない本質的なものです。私たちの意識が大きな変化を遂げるとき、新しいレベルのトラウマ的出来事を抜き出せるようになります。それは、トラウマ的出来事の周りを取り巻いているエネルギーを解放して精神的な理解に変えるというプロセスです。この変容は私たちをあらゆるレベルで癒し、内的な旅路を進める間、鼓舞し続けてくれます。困難だけれど遣り甲斐のある人生経験を通じて得られる理解は、ヴェールを引き剥がしたり、私たちが新しい視野レベルに入ってゆく際の助けとなるのです。

現象化させる経験の選択

いずれ私たちの視野を全方位に拡大する時が来ます。そして、それは未来の瞬間をセッティングしているパターンやエネルギーを私たちに知覚させることになります。私たちは、回避もしくは活発化しないように選ぶ可能性を知覚するかもしれません。意識的には私たちはそうした可能性に気づいていることができますし、そこから理解すべきことを汲み取ることもできます。私たちの知覚がこのレベルにまで拡大すると、物質的なレベルでそれを具現化することなく、意識の中で理解を受け取ることを選べるようになります。

忙しさが意識を囚われ状態にする

視野を明瞭にするに当たり大きな障害となるものの一つは、慢性的な忙しさです。慢性的な忙しさは気づきの土台を揺るがし、生活の中で“今に在る”ことから人々を遠ざけます。人が今この瞬間の中にいない時、彼らは寄生する思考ウイルスや日和見的なものに感染しています。(今この瞬間に対する)存在の欠如は、人間の意識が囚われ状態に陥ってしまうメカニズムです。今この瞬間に在ることにしっかりと根を下ろしていなければ、私たちは自分という存在の端っこで生きている奴隷なのです。これ以外に言いようがありません。あなたが現在に立脚しているか、今この瞬間の中で目覚めていなければ、あなたは人生を奴隷のように生きているのです。

忙しさは恐れに基づいた回避策の一種です。人々は得てして、ハイレベルの忙しさを維持することで自分自身の恐れに直面することを避けます。彼らは単純に時間がないことを理由に“今に存在し、自らの内側に留まる”ことができないと正当化します。しかし本心では、内側に留まり耳を傾けることで、そこから何が表面に染み出してくるのか不安で一杯なのです。慢性的に忙しい人たちは深層の自己との関わりを持っていません。それは、人生に対して意味と目的を与える、私たちの最も深い部分にある自己との関係です。この深層の意味と目的とを持たない人々は、あらゆる種類の寄生的なエネルギーのいいカモです――それが思考ウイルスの形式であろうと、囚われ状態にするものやその他のエネルギーを吸い取る形式であろうと。

今にあること VS. 囚われた意識

慢性的に忙しい人は、自制的なコントロールではどうにもならない要因によって、エネルギー的に囚われた状態になる可能性が遥かに高いのですが、この主な影響は潜在意識レベルで作用するため、彼らがそれを察知するのは難しくなります。あなたが今にいない場合、あなたの焦点はデフォルト(初期値)状態に向かいます。このデフォルト状態では、あなたは思考ウイルスや略奪的な人(個体)を見抜く力がありません。このデフォルトは、意識の中でのあなたの感情や思考と最も一致した場所に方向付けられています。これが必ずしもあなたの自覚的な思考であるとは限りません。あなたはポジティブなアファメーションを唱えることもあるでしょうが、その言葉に含まれた言外の意味が恐れや不安である場合、このアファメーションはあなたが意図することとは違った経験を作り出すでしょう。そうなると今度は、「私には何も影響しない」と言いたくなるかもしれませんね。明らかに何かが作用を及ぼしていないのであれば、それは無意識のテンプレートがあなたの意識レベルでの努力を台無しにしていないか確かめるために、より深い部分を調べてみなさいとの合図です。

意識が囚われの状態にあると、あなたの視野レベルはとても雲っていて限られてしまいます。あなたは霧の中にいるような気がするでしょう。この知覚の靄(もや)の中では、あなたはその一瞬において申し分なく行動するには力不足なのです。仮にあなたが、ある人やある境遇により直接的に害されていると分かっていても、そこから抜け出すために心を落ち着かせることができません。この状況にあなたが気がついた時は、減速することであなたはそれを「見通す」ことができ、平静さを取り戻しつつ、あなた本来のクリアな存在に立ち返って行きます。

クリアで、目覚めている、意識的な存在(※1)を保つこと

人生を意識的に生きることは、かなりの存在力や意志力、集中力、エネルギーを要します。そのような人生のご褒美は、努力して得るにふさわしい価値があります。この存在力がなければ、あなたはただ三次元リアリティの奴隷として過ごすだけになってしまいます。自分自身を終わりなき被害者とみなしたり、デフォルトの感情状態に捉えられたり、状況を変えようにもできない無力さを痛感したりしながら。

あなたが“一瞬”の内に存在している間は、どんなことも可能です。あなたは意識の中で他の場所へと旅行することができますし、あらゆるレベルで自分を癒すことも、生活上の色々な事に対してテレパシー的なガイダンスを受けることもできます。どんな状況も変えることができますし、将来の創造ビジョンを感じ取ったり、ソウルメイトの関係に入っていったり、あなたの人生の目的を果たすために必要な豊かさを受け取ったりできるのです。あなたは意識における別の側面とつながりを持つこともできます。たとえそれが、この生涯での若い自己(younger self)であろうと、過去・パラレル・未来の生涯の自己であろうとも。あなたはリモート・ヴューイングを練習したり、他のスピリチュアルなツールや技術の腕を磨くこともできます。クリアさや“今にある”意識を養うことを通じて、どんなことも可能になるのです。

©2010-2015 DL Zeta, Celestial Vision, All Rights Reserved www.celestialvision.org

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Posted on Saturday, February 7, 2015 at 10:57AM by Celestial Vision


翻訳: CI

※1 Conscious Presence
どんな思考や感情のあり方にも同化することのない自由な存在。意識の光とも。
参考リンク 〔http://www.innerpeacenow.com/Conscious-Presence.html]

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【転載される方へのお願い】

ブログの右欄外にも書いていますが、改めて記します。

僕は翻訳記事の転載を認めていますし、その際の連絡も特に求めていません。
ただ、以下の二点だけは守って欲しいです。
 

1.出典となるソース記事のアドレスと著者名を入れる

2.この翻訳ページのアドレスと翻訳者名を入れる


僕の場合、訳す時はいつも上下に「=======」などの区切りを入れて、その中に元記事のURLと著者名、翻訳者名(CI)を入れています。
ですので、その範囲を丸ごと使うようにしていただければ、あとは翻訳ページのアドレスを追加するだけでOKです。

早い話、訳文だけを抜き出して転載するのは止めてください、ということなんですが、
結局そうされてしまうと、元記事にしても翻訳記事にしてもオリジナルを辿れなくなってしまいます。

元記事を確認できなければ、それに対する翻訳記事の信憑性もまた評価できなくなります。
ソースが何か、誰が書いたのかが分からないまま、その中身だけが一人歩きするのはよくありません。

それに英文に慣れている人であれば、翻訳に頼らず自分で原文を読んだ方がいい、と考える方もいると思います。

ちょっと面倒に思うかもしれませんが、よろしくお願いします。

 



2 コメント

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Unknown (まるまるまるた)
2015-03-11 11:26:12
ご無沙汰しております。

良質な記事だとおもいました。

エックハルトトールも「今にあること」を強調していましたが、同じことを他の記事から、別文体で拝読させていただくことで、意味がより深く理解できます。

今の瞬間の気づきから抜けてしまうことで、意識の光が失われる。

記憶を参照し、思考と感情にとらわれた「デフォルト」にハマる。

しかし、大抵は自分が「デフォルト」かどうかに気づけない・・・ここを、いつも、確認・認識するところからスタート・・・というメッセージと受け取りました。
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 (CI)
2015-03-12 00:39:45
これを訳している自分自身が、「今」ということを本当に実感できているのかどうか(^-^;)

ところで、presence(存在)という単語が、原文に何度か出てきます。

前にプレゼントしてくださったエックハルト・トールさんとウェイン・W・ダイアーさんの対談ビデオ、日本語タイトルが「存在を超えて」になっていて、「これ、どういう意味なんだろう?」と思い、それ以来、ずっと目の前の本棚に入れています。

で、時々ふっとその文字を見ては、「存在って? 超えるって?」って自分に疑問符を投げかけているんですが、まだ返答は返ってきてないみたいです(^^;)

「デフォルト」、普段、自分がどんな思考や感情を抱いて生きているのか、まずはそれに自覚的になることが大切なのかもしれませんね。
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