昨日の今日で、深い喪失感から、まだまだ気持ちの整理はついていませんが、過去の記事を読んで我が家のわんこの心配をしてくださった方もいらっしゃるので、ひとまず簡単にですが、ご報告とお礼を申し上げます。
マイケルは1993年の6月28日に我が家に来た、と母親が記憶しており、その時すでに数ヶ月ほど成長した仔犬でした。そこからの概算で4月が誕生月じゃないかということになっています。なので、この春、この4月を以って、彼は18歳になっていたと思います。
26日は友引で斎場がお休みであったため、一日間を空けて、27日の今日の午前中に火葬していただきました。友引であったことで一日氷漬けにして綺麗な状態を保つ必要がありましたが、お蔭でその夜、近所に住む妹とその子供達も最期のお別れの挨拶をすることができ、幸いだったと思います。
老体に堪える厳しい冬を乗り越え、一緒に桜を見ることができましたし、さらには新緑に命の息吹を感じ取ることができたのではないかと思います。
なにより、雨が苦手なマイケルにとって、ジメジメした梅雨が始まる前の穏やかな気候の時に旅立てたことは本人としても望んでいたことではないかと、勝手な考えですが、そのように家族としては心を慰めています。
今、少しずつですが、胸の内を解きほぐしながら、これまでのマイケルの人生や、ここ数年、そして特にこの半年の苦闘の日々を思い出しています。
27日の夜から、その様々な記憶をかみ締めながら言葉を紡ぎ出し、文章に認め始めていますが、今はまだ心が揺れていて落ち着かず、文脈も思うように整ってくれません。しかし、こうして綴っている内に悲しみや苦しみも受け止めることができそうな気がするので、焦らず、徐々に書いていこうと思います。
マイケルのお蔭で、僕の思春期から青年期にかけて滋味が生まれました。いくら感謝しても足りないくらいです。兄や弟がいない自分にとっては、人間と動物という種族の違いはあっても、気持ちとしては兄弟のような存在でした。
今まで一緒に生きてくれて、本当にありがとう。
Farewell, マイケル。
~ 追伸: マイケルへ ~
きっとこの時期は、先の東日本大震災で亡くなった人々や動物達が向こうの世界で待ってくれているから寂しくないよ。お前なら、友達もすぐできるさ。それか、もし互いに生まれ変わって再会することがあれば、その時はまた家族や友達として生きられるといいね。
体力の続く限り全力で生きた姿を見せられて、僕は自然とお前を尊敬せずにはいられなくなった。僕も見習ってそうありたいと思ってる。だから、別れは辛いけど、ありがとうと言って送り出すよ。一緒に過ごした日々の記憶が、きっとこれからも僕を支えてくれると思うから。
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