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ズジスワフ・ベクシンスキ「終焉の画家」1929年 - 2005年

2018年01月30日 | アート
ズジスワフ・ベクシンスキ「終焉の画家」1929年 - 2005年
 
 ベクシンスキさんは、ポーランドの画家で
写真も撮る芸術家です。
上記の写真のような穏やかな顔をされた好々爺。
日本ではズジスワフ・ベクシンスキーと呼ばれ、
余り有名ではありませんが、その容姿と描く絵のギャップに
驚かされているのは私一人ではないようなので、
ご紹介させていただきます。

ポーランド南東部のサノク出身で、
少年時代にナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験しています。
祖父や父が建築関係者ということで、クラクフ工業大学建築設計学部に入学、
卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進みます。
1964年、初個展では作品の全てに買い手がつき、
すぐさまポーランドの代表的な近代芸術家として認知、
当初は抽象画を描いていたが、1960年代の間に
独自のゴシック的でシュルレアリスム的な、
あるいは幻想的リアリズムと称される画風に移行します。

1998年、妻が亡くなる。
また1999年のクリスマスイブにポピュラー音楽の評論家であり
映画の翻訳家の息子が鬱病により自殺してしまいます。
ベクシンスキさんは息子の死との折り合いを付けられず、
『 もし私がくたばった時に備えて、Tomek(息子の愛称)へ 』
と綴った手紙を壁に長い間、ピンで留めていたようです。
 そして2005年、自宅にて2人の若者に殺害されてしまいます。
彼の身体には17箇所の刺し傷があり、うち2箇所が致命傷でした。
ベクシンスキの誕生日3日前の出来事であり、75歳でした。
後に主犯として、長年彼のパトロンであり、友人でもあった人物の
16歳の息子とその親族が逮捕されており、
借金の頼みを断った事が動機と報道されました。

彼自身は人当たりが良く、少し内向的で、
人との会話をよく楽しんだとして知られていて、
上記の写真とシンクロする逸話であります。
ですが政治不信、マスコミ嫌いなところがあり、
普段は隠居のように暮らし、制作に没頭しておりました。
他の芸術に触れることも嫌ったため、
ポーランド語以外は話さず、ポーランドから
出ることも生涯なかったようです。
彼の作品にはすべてタイトルがついておらず、
作品の理論付けや詮索を非常に嫌った。
作品を描く際は、常に大音量のクラシック音楽をかけており、
どこにいくにもクラシック音楽と共にしていたようです。
主に死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などをモチーフに扱い、
不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる画風が特徴。
独特の世界観から多くの支持を得た画家でもあります。
作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれるほど。
1990年以降は、それらに加えて、コンピューターグラフィックスで
写真の加工による作品も手がけており、死ぬ間際まで関心を持ち制作をおこなっていた。


Beksiński at work, 1990


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1 コメント

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はじめまして! (ワンズママ)
2018-01-31 09:06:53
読者登録有り難うございます。

今後とも宜しくお願い致します。
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