
ズジスワフ・ベクシンスキ「終焉の画家」1929年 - 2005年
ベクシンスキさんは、ポーランドの画家で
写真も撮る芸術家です。
上記の写真のような穏やかな顔をされた好々爺。
日本ではズジスワフ・ベクシンスキーと呼ばれ、
余り有名ではありませんが、その容姿と描く絵のギャップに
驚かされているのは私一人ではないようなので、
ご紹介させていただきます。
ポーランド南東部のサノク出身で、
少年時代にナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験しています。
祖父や父が建築関係者ということで、クラクフ工業大学建築設計学部に入学、
卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進みます。
1964年、初個展では作品の全てに買い手がつき、
すぐさまポーランドの代表的な近代芸術家として認知、
当初は抽象画を描いていたが、1960年代の間に
独自のゴシック的でシュルレアリスム的な、
あるいは幻想的リアリズムと称される画風に移行します。
1998年、妻が亡くなる。
また1999年のクリスマスイブにポピュラー音楽の評論家であり
映画の翻訳家の息子が鬱病により自殺してしまいます。
ベクシンスキさんは息子の死との折り合いを付けられず、
『 もし私がくたばった時に備えて、Tomek(息子の愛称)へ 』
と綴った手紙を壁に長い間、ピンで留めていたようです。
そして2005年、自宅にて2人の若者に殺害されてしまいます。
彼の身体には17箇所の刺し傷があり、うち2箇所が致命傷でした。
ベクシンスキの誕生日3日前の出来事であり、75歳でした。
後に主犯として、長年彼のパトロンであり、友人でもあった人物の
16歳の息子とその親族が逮捕されており、
借金の頼みを断った事が動機と報道されました。
彼自身は人当たりが良く、少し内向的で、
人との会話をよく楽しんだとして知られていて、
上記の写真とシンクロする逸話であります。
ですが政治不信、マスコミ嫌いなところがあり、
普段は隠居のように暮らし、制作に没頭しておりました。
他の芸術に触れることも嫌ったため、
ポーランド語以外は話さず、ポーランドから
出ることも生涯なかったようです。
彼の作品にはすべてタイトルがついておらず、
作品の理論付けや詮索を非常に嫌った。
作品を描く際は、常に大音量のクラシック音楽をかけており、
どこにいくにもクラシック音楽と共にしていたようです。
主に死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などをモチーフに扱い、
不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる画風が特徴。
独特の世界観から多くの支持を得た画家でもあります。
作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれるほど。
1990年以降は、それらに加えて、コンピューターグラフィックスで
写真の加工による作品も手がけており、死ぬ間際まで関心を持ち制作をおこなっていた。
Beksiński at work, 1990
ベクシンスキさんは、ポーランドの画家で
写真も撮る芸術家です。
上記の写真のような穏やかな顔をされた好々爺。
日本ではズジスワフ・ベクシンスキーと呼ばれ、
余り有名ではありませんが、その容姿と描く絵のギャップに
驚かされているのは私一人ではないようなので、
ご紹介させていただきます。
ポーランド南東部のサノク出身で、
少年時代にナチス・ドイツのポーランド侵攻を経験しています。
祖父や父が建築関係者ということで、クラクフ工業大学建築設計学部に入学、
卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進みます。
1964年、初個展では作品の全てに買い手がつき、
すぐさまポーランドの代表的な近代芸術家として認知、
当初は抽象画を描いていたが、1960年代の間に
独自のゴシック的でシュルレアリスム的な、
あるいは幻想的リアリズムと称される画風に移行します。
1998年、妻が亡くなる。
また1999年のクリスマスイブにポピュラー音楽の評論家であり
映画の翻訳家の息子が鬱病により自殺してしまいます。
ベクシンスキさんは息子の死との折り合いを付けられず、
『 もし私がくたばった時に備えて、Tomek(息子の愛称)へ 』
と綴った手紙を壁に長い間、ピンで留めていたようです。
そして2005年、自宅にて2人の若者に殺害されてしまいます。
彼の身体には17箇所の刺し傷があり、うち2箇所が致命傷でした。
ベクシンスキの誕生日3日前の出来事であり、75歳でした。
後に主犯として、長年彼のパトロンであり、友人でもあった人物の
16歳の息子とその親族が逮捕されており、
借金の頼みを断った事が動機と報道されました。
彼自身は人当たりが良く、少し内向的で、
人との会話をよく楽しんだとして知られていて、
上記の写真とシンクロする逸話であります。
ですが政治不信、マスコミ嫌いなところがあり、
普段は隠居のように暮らし、制作に没頭しておりました。
他の芸術に触れることも嫌ったため、
ポーランド語以外は話さず、ポーランドから
出ることも生涯なかったようです。
彼の作品にはすべてタイトルがついておらず、
作品の理論付けや詮索を非常に嫌った。
作品を描く際は、常に大音量のクラシック音楽をかけており、
どこにいくにもクラシック音楽と共にしていたようです。
主に死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などをモチーフに扱い、
不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる画風が特徴。
独特の世界観から多くの支持を得た画家でもあります。
作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれるほど。
1990年以降は、それらに加えて、コンピューターグラフィックスで
写真の加工による作品も手がけており、死ぬ間際まで関心を持ち制作をおこなっていた。
Beksiński at work, 1990
今後とも宜しくお願い致します。