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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

どんぐりころころ泣いてたら…

2014-11-27 | 徒然なるままに
「どんぐりころころ」の歌詞をご存知だろうか。
この歌の作詞者の青木存義(ながよし)は幼いころ朝寝坊な子どもで、それを何とか改善しようと、存義の母親は庭のナラの木の横にある池にどじょうを放した。どじょうが気になって早く起きるのでは…という考えであった。この歌詞はそんな作詞者の幼少の頃の体験が元になっている。

ところで「どんぐり ころころ」に幻の3番があるのをご存知だろうか。

どんぐりが池にはまりどじょうが出てきて一緒に遊ぶのが1番。
やっぱりお山が恋しくて泣いてはどじょうを困らせるのが2番。

それで終わりでは子どもにとっては悲しすぎるだろうと別の音楽家がハッピーエンドの歌詞をつけ足したのだ。

「どんぐりころころ泣いてたら
仲良し子リスが飛んできて
落ち葉にくるんでおんぶして
急いでお山に連れてった」

というわけで、誤って池に落っこちたどんぐりは、子リスが迎えにきてくれてめでたくお山に帰ることができたのである。

なかなかこうはいかないのが人間社会である。
落っこちて泣いていても、そう簡単に誰も迎えに来てくれない。自分で這い上がるか諦めて落っこちたままか…。

夕方、久しぶりにジョギングした公園の噴水の池の底に転がり落ちているどんぐりを見て、ふと「どんぐりころころ」の幻の3番の歌詞思い出した。






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叔母の着物

2014-11-25 | 徒然なるままに

朝からメークアップアーティストの先生との打ち合わせ、予定時間をかなりオーバーしてメークの深さに話が盛り上がった。

先生の講座を一口で説明すると「断捨離メーク」
何年も前に買ったもの、海外旅行のお土産にもらったもの、使わないけれど新品同様なので捨てられないもの、あれがいいかもこれがいいかもと衝動買いしては使いさしのメーク道具、まずは山ほどたまったこのメーク道具を仕分け処分することから始まる。

厚塗りメークも余分なものを省いてその人その人に一番合ったナチュラルメーク、メーク道具の指導を受ける。
メーク道具と同時に今まで自分がやっていたメークのやり方も一旦全て捨て去り、新しいやり方を習得していくという。

先生とお話しながら、これは全てのことに通じることだと改めて考えさせられた。
古い道具・やり方を切り捨てることができなくて新しいものを手に入れることはできない、嫌なところを隠そうと上へ上へと塗り重ねていったところで、良くなるどころかどんどん見苦しくなり隠したかったところが返って目立ってしまう。

結局、新しい何かを手に入れたければ、古いモノ、古い考え方をまずは思い切って捨て去ることからはじめなければならないということである。

さて、昨夜は西の京まで出かけ、亡くなった叔母の着物の仕分けを深夜までかかってやっていた。
踊りをやっていた叔母の着物の数は半端ではない。
生前、私をずいぶん可愛がってくれた叔母の遺言に従って、新たに和箪笥が一棹必要なぐらいの着物を引き取ってきた。
女ひとりで生き抜いた叔母の生き様、踊り・着物にかけた人生、憧れ、夢、恋、苦悩…様々な叔母の想いが染み付いた着物、叔母の歴史を私は受け継ぎ、その上に新しい自分を築いていくこととなる。(明日から和装の暮らし…)

古いものをすっぱり捨て去って新しいものを築いていく、(ある人の)経験・歴史の上に新しいものを築いていく、新しい何かを築いていくということには、一見正反対にも思えるこの二つのことがあることを理解していなければならない。

この二つのことを絶妙のタイミングで学ばせてもらった。
















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出会う順番

2014-11-21 | 徒然なるままに

仕事柄、男女問わず人と出会う機会が非常に多い。
私は長年不思議に思っていることがある。

出会ったばかりなのに、まるで強い磁力が働いているかのように急接近する人もいれば、何回会っても一定の距離が保たれている人もいる。

長い付き合いでも、話すことは、挨拶、仕事に関することなどからはみ出ない人もいれば、私なんでこの人にこんなことまで話すのだろう…と自分でもびっくりするほど、知り合ったばかりなのに無防備に心開いて話をする人がいる。

この人は何?
私にとってどんな人?

もし「人の出会い」も神様が仕組まれているのだとしたら…

この出会いに神様は一体何を意図されているのだろう?

20代で出会う人、30代で出会う人、1年前に出会う人、1ヶ月前に出会う人、今出会う人、この出会う順番に神様は一体何を意図されているのだろう?

昨夜は「出会う順番」について、友人と話に花が咲いた。

世の中には目に見えない大切なことがたくさんあるが、その人と出会う時、出会う順番ほど不思議で、意味深く、そして大切なことはないような気がする。

今日も初めての出会いが待っている。



 


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クリエイティブということ

2014-11-12 | 徒然なるままに

クリエイティブと言うと、何かを作り出す、新しいものが増えていくイメージがある。

クリエイティブ(creative)とは創造性、創造的であることの英訳。

必ずしも何かを作り出して増やしていくことではない。
いらないものを見つけるのも創造的!

溜まりきった雑貨や小物、使わない余計なものを捨てること、そういうことではない。それは創造的と言うには少し足りない。

例えば、ティッシュ。
当たり前のように置いているティッシュの箱を除けてみたら…
きっと布巾や雑巾ががんばってくれるだろう。
手を洗う機会が増えるかもわからない。

常に充電、いつでも出動可能というハンディ掃除機を我が家のリビングから除けてみたら、い草の小さな箒と塵取りが大活躍しだした。80センチほどのこの箒がこれまた使いやすい。

雑巾、箒の復活で、生活の中からかなりいらないものを創り出した。
テーブルの上、テレビの周辺、サイドボードの上で常駐、出動待機していたお掃除グッズともお別れ。

ずらり並んでいたサプリメントの容器も除けてみた。もう久しくサプリメントといわれるものを口にしていないが、欠かさず色とりどりの錠剤を飲んでいたころと何一つ変わらない。化粧品もまた然り。

恨み、妬み、怒り…心の中にもいらないものいっぱい発見。

生活、仕事、心の中…様々なところからいらないものを見つけ出すクリエイティブな暮らし。

いらないものを習慣から省いていく創造性。

ものを増やすより意外と心地良い。














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また誰かに話したくなる話

2014-11-09 | 徒然なるままに
父がまだひとりで近鉄電車に乗って大阪に行けていた頃なのでもう10年以上前の話である。

父が立っていた所から少し離れた席に座っていた男の子は、父を見つけるとすぐに席を立ち父の方へ歩み寄り、自分が座っていた席を指差し、まずは父の背中のリュックサックを下ろして自分が提げると、父の手を引いて席まで連れて行って座らせてくれた。そして父の膝にリュックサックを置くと男の子はスッとその場を離れて行ってしまったというのだ。

名前を聞くこともできなかったのだが、父は男の子が提げていた鞄に印刷された学校の名前をしっかり見ていた。大阪の中高一貫の私立校だった。

日を改めて、父はその学校を訪問し、その男の子の素晴らしい善行とそんな教育をされている学校への敬意を表するとともに、自分がどれほど嬉しかったか、その気持ちを直接校長先生に伝えて来たのだ。

父が学校を訪問してから次の全校朝礼で校長先生が、◯月◯日、朝の近鉄電車の中で……誰なのか手を挙げなさい、と全校生徒に呼びかけられたのだ。
そして、ようやくあの時の男の子が分かったのだ。

私は、大阪の私立校と言えば、未だにこの学校の名前が一番に浮かび「いい学校だ」というイメージが頭にこびりついて離れない。

私はどれだけの人にこの話をしたか分からない。父も同じくである。
ひょっとしたらその場に居合わせて男の子の鞄の学校名を見逃さなかった人も誰かに話しているかもしれない。
それを聞いた人からまた人へ…。

学校の名前が印刷された鞄を提げる重み、会社の名前が印刷された作業服を着る重み…その重さがどれほどのものかちゃんと感じている人はどれぐらいいるのだろうか。

満員電車に乗る度に思い出す出来事、また誰かに話したくなる話。

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ひとり暮らしということ

2014-11-08 | 徒然なるままに

今日は母の誕生日。
父を施設に預けてから母は女ひとり暮らし。

母は「女は三歩下がって男について行く」の時代の女性、私たちの年代の女のひとり暮らしとはわけが違う。

勤めに出たこともなく、ひたすら家庭を守って来た女性である。
夕飯のおかずも父のものは私たちのものとは何か違っていた。父はお酒を飲むせいもあるだろうがそれだけではないと思う。
一滴もお酒が飲めない母が、毎年大量の梅酒をつくるのも酒豪の父のため。ささっと酒の肴を作る技も父に鍛えられたもの。突然父が連れ帰ってきた仕事仲間にもいやな顔一つせず対応した。
『早く帰って』なんて思いながら襖の隙間からのぞいていたことを思い出す。

夫のために生きてきたみたいな女性にとってひとり暮らしとはどんなものだろう。
自分のために料理をしているのか、ちゃんと食べているのか…。先日、夜中に恐ろしい雷鳴が轟き渡った時などは「怖いだろう」と母のことが気になって寝られなかった。

体を大切に、体が資本、無理をしたら駄目…今は娘の体のことばかり心配している母である。
昨日電話で高熱があることだけを知らせた。心配しているといけないので先ほど実家を訪ねてきた。

顔を見るなりまさかの一言。
「移さんといてや!」

ひとり暮らしということはこういうことなのだ。
誰にも迷惑をかけないように細心の注意を払って生きているのだ。きっと私より健康的な食事をしているに違いない。

強い母を見た。

母84歳の日に。


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手からこぼれるほどのオッパイ

2014-11-07 | 徒然なるままに
先日の講座では印象的な自己PRの練習をした。
日本には「謙遜する」「自慢話はひかえめに」という文化があるせいか、自己PRが本当にへたくそである。サラッと自分のいいところ、自分の趣味を言ってしまえばいい。

外車に乗るのが趣味という人は誰がどう思おうとそう言ってしまえばいい。
「僕は外車に乗るのが趣味です。今、黒のベンツと紺色のBMと赤のアウディの3台を持っています。今日は赤い気分なのでアウディで来ました」
それが自分らしさであるなら隠す必要はない。そういうことができるのもその人が頑張った証拠、その人の甲斐性である。
その日50人が自己紹介をしたところでその人は強烈に印象的、しかも車の色まで報告しているところがいい。「外車に乗るのが趣味」という文字情報を左脳に、「黒いベンツ、紺色のBM、赤のアウディ」という画像を右脳訴えたことで、かなり高い確率でその人のことは忘れない。

話し方の受講生の中に胸のマッサージをされる方がおられる。先日はそのキャッチコピーで盛り上がった。
「バストが大きくなるのも夢ではない」
「手からこぼれるほどのオッパイになるのも夢ではない」
この二つを比べると明らかに後者の方がインパクトが強い。なぜならば後者は右脳に訴えている。いやでも画像が頭に浮かんでくる。
私も後者のマッサージに行きたい!笑

話をするときはできるだけ平易な言葉で、誰にも分かる言葉で伝えたい。
できれば小学校低学年の子供に説明しているつもりで話したい。
テレビのCMに難しい言葉はない。簡単な言葉だから誰の頭にもスッと頭に入る。
平易な言葉の極致は絵である。絵を見せられたら「あぁ」と大抵理解できる。
絵を伝えるように話すのである。
これは私が歌を歌う時にも朗読する時にも心がけていることである。

たとえ講演のために準備した原稿を忘れたとしても、画像として頭に収まっていれば何ら心配はない。
文字で縛られない方が返って魅力的な話ができる。






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「惚れる」と「好き」

2014-11-04 | 徒然なるままに

服を入れ替える時、私はいつも服だけのプチ断捨離をすることにしている。
昨日、秋冬ものの服を出しながらふと思ったことがある。
去年買ったばかりなのに断捨離に引っかかる服もあれば、10年以上も断捨離をくぐり抜けている服もある。
この違いはなんだろう。

いつだったか「惚れる」と「好き」の違いについて友人と議論し合ったことがあるが、ひょっとしたら、これが「惚れる」と「好き」の違いなのかもしれない。

10年以上も断捨離をくぐり抜けて私のクローゼットに居残り続けている服には私はきっと惚れている。惚れ込んでいる。
今年の流行と少々違っていても、材質、色形全てに心底惚れているからよほどの痛みがない限り捨てようとは思わない。

これに対して、このブランドだから好き、あの人が着ていた服に似てるから好き、今年の流行だから好き、この飾りが好き、そういう条件付きで好きな服は、たとえ買ったばかりのものでも、突然「嫌い」になってしまう可能性がある。

これを人に置き換えるとどうだろう。
お金持ちだから好き、地位・名誉があるから好き、顔が広いから好き、男前(美人)だから好き、優しいから好き、こんな条件付きの「好き」は、いつかそうでなくなった時に突然好きではなくなってしまう可能性がある。

お金はないけど好き、出世のことなんてお構いなしだけど好き、男前(美人)じゃないけど好き、冷たいけど好き、とにかく好き、これが「惚れる」ということ。「惚れる」というのは無条件、何があってもいちいち動じない。
「惚れる」と「惚ける」の漢字が同じというのも何となくわかるような気がする。


恋人同士に限った話ではない。
先輩、先生、仕事仲間、友人…何があっても動じない無条件で惚れ込んでいる人は一体どれぐらいいるだろうか。
その人は条件付きで好きな人ではないだろうか。

惚れ込んだ人やモノと付き合いたい、昨日は服を入れ替えながらそんなことを思った。

ちなみに今日私がはいていた赤いタータンチェックのスカートは30年以上前に買ったものである。






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キジも鳴かずばうたれまい

2014-11-03 | 徒然なるままに

1回目の目の手術の日からかれこれ4ヶ月、公演活動を休止しているせいか、ここ数年味わったことがないほど穏やかな日々が流れている。

失敗もしなければ批判を耳にすることもない。準備に胃を痛めたり、眠れぬ夜を過ごすこともない。風邪を引かないようにと神経質になることもなく、翌日の声のことを気にせず不用意な声で思い切りしゃべれることもできる。

何て楽なのか。

失敗や批判や産みの苦しみが嫌なら、何もしなければいいんだ。なるほど!
何もしなければ無難に穏やかに暮らせるんだ。
「キジも鳴かずばうたれまい」と言うではないか。
そうか!鳴かなければいいんだ。声を潜めていればうたれることもない。

しかし、

失敗もしなければ批判を耳にすることもない代わりに、最近そう言えば、達成感もなければ認められることもない。

失敗は何かやった証拠。
批判は何かしたことへの勲章。
撃たれたのは声を上げたから。

そろそろ退屈…

久しぶりのジョギング










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LINE

2014-11-02 | 徒然なるままに

LINEという便利なものができて大変重宝させてもらっている。
しかし、相手が女性にしろ男性にしろ、LINEでのやり取りについては私は自分なりのルールを持っている。

ひと昔前には想像もつかなかったコミュニケーションツール「LINE」、大変便利である反面リスクも大きい。たくさんの危険が潜んでいる。

今、LINEにまつわるトラブルが多発している。特に、若者達の間、ママ友の間ではかなり深刻なトラブルが多発し問題となっている。そして、ここにもまた出会い系のような世界があるようだ。全て他人事だと思っていたが、最近、身近でも様々なトラブルを耳にするようになり考えさせられる。

LINEは従来のメールより手軽でスピーディでより会話に近いやり取りができる。おまけに多種多様なスタンプが文字だけでは伝えにくい気持ちを伝えてくれたりもするのでかなり立ち入った会話もできる。

面と向かっては言いにくことも、かえってLINEでなら言えたりもする。しかもそこには密室感もあり、いい意味でも悪い意味でも一気に親密な関係になることができる。

そんなに深い想いはなかったのに、相手の顔を見ないで言えるという気軽さゆえに、軽率に発してしまった言葉で喧嘩になり、大切な人と思わぬトラブルを起こしたり、なんでもなかった人と突然親密な恋人同志になってしまったりもする。
LINEは時に錯覚の世界を簡単に作ってしまう。

私たちの若い頃は、好きな人に愛の告白をするなんてそれはそれは勇気のいることだったが、今の若い子たちはLINEで簡単にやっているのかもしれない。羨ましくないでもないが、簡単に告白できるかわりに簡単に断られる可能性もあるわけで、そう思うと、手紙を渡してドキドキしながら返事を待ったあのやり取りがなかなか良かったじゃないか、と思う。

スマホ中毒、LINE中毒…若者だけではなく大の大人の中にもこういう人が非常に増えてきた。
人が作った文明の利器が間違いなく人を犯し始めている。

今日、仕事を一緒にやって行こうと思う女性にFacebookを勧めた。
彼女はFacebookには全くいい印象を持っていない。Facebookを始める前の私と同じである。
「賢く使えば大丈夫!」
と言い切ってはみたが、確かに一つ使い方を間違えるとFacebookもLINEと同じ、たくさんの危険が潜んでいる。

自分自身もこのスマホという文明の利器の使い方を今一度考え直すよいチャンスだと思っている。







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女の時間

2014-11-01 | 徒然なるままに
子どもが大きくなったとき、娘と姉妹のように見えるような母親でいたい、息子と恋人に見えるような母親でいたい…そんな願望を持っている女性は少なくないと思う。
いつまでも若々しくいたいと思う気持ちは素晴らしいが、あくまで子どもが基準の考え方に私は違和感を感じる。

現に知り合いの中には娘と姉妹のようにどこへ行くのもいつも一緒という人が結構いる。
「嫌ならいつでも帰っておいで!無理に我慢することはないよ」結婚する娘にこう言ったと嬉しそうに言われたときは内心呆れてしまった。
子離れできていない極みである。

子どもたちの手が離れると思いがけない時間が戻って来る。
「母」としていっぱいいっぱいだった毎日に、少しずつ「ひとりの時間」が戻って来る。
「女の時間」である。

やっと戻って来た女の時間をまだ子どもと一緒にいたいと思うのか?
息子の彼女ったら…、うちの嫁は…などと愚痴を言う時間に使ってしまうのか?
すべて孫に捧げるというのか?

いつか「女の時間」が戻って来たとき、自分は子どもを頼らずに楽しむことができるだろうか…

今、子育て真っ最中のお母さんたちに言いたい。

母親の仕事は、子どもを心身共に健康に育て世に送りだすこと。親ではなく社会の役に立つ人間に育てること。

これは25年前、私がある人に言われた言葉である。

昨夜、梅田にて。


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まねぶ (真似ぶ)

2014-10-31 | 徒然なるままに
鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺

あれっ?と思うこの俳句のリズム。
実はこれは夏目漱石が書いた俳句である。
かの有名な正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の下敷きとなった俳句である。
決して漱石が子規の俳句を真似たわけではない。漱石の「鐘つけば…」の方が子規の「柿くえば…」より2ヶ月早く世にデビューしている。

子規は友人である漱石の「鐘つけば…」を知っていてこの「柿くえば…」を書いたのである。
決して盗作ではなく、子規の代表作となったこの俳句は、実は漱石との友情の結晶であると文献に記されている。漱石の俳句に学び、子規がはこの俳句を書いたというわけだ。

お寺の鐘と銀杏という平凡な組み合わせに対し、お寺の鐘と柿という意表を突いた組み合わせが人々を驚かせ、下敷きとなった俳句はほとんど知られることもなく、「柿くえば…」がこれほども有名になったのだろう。

「学ぶ」の語源は「まねぶ(真似ぶ)」真似ることから学びが始まった。

真似ることは決して悪いことではないと思う。恥ずかしいことでもないと思う。
尊敬する人の素晴らしい技を、理想の技をどんどん真似たら良いと思う。
一生懸命真似て、吸収して、そして自分らしいものを生み出していけばいいのだ。

いろんな習い事がそうであるように、ファッションも、ビジネスのノウハウだって、変なプライドは捨てて、素直に一生懸命真似ることから始める、それが自分の理想の方向に成長できる一番の近道であるように思う。












         

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素敵な自己PR

2014-10-30 | 徒然なるままに
昨日開講、今日開講の講座で一気にたくさんの女性と素敵なご縁をいただいた。

私は、初めての講座の時は自己紹介とこの講座を受けようと思った理由・目的などを述べていただくことにしている。
72億人もの人がいる中で、偶然にも同じ時間に同じ場所で机を並べるという奇跡的なご縁をいただいた人同志なのだから、授業の間、せめてお名前とどういう人なのかぐらいは分かり合っていたいというのが私の考え。

しかし「◯◯と申します。よろしくお願いします」というような判で押したような自己紹介をしてもはっきり言って殆ど無駄である。そんな自己紹介を一気に何十人分聞いても名前や顔が覚えられるわけがない。その人がどんな人か分かるわけがない。

「できるだけ短い言葉で、自分のことをみんなに覚えてもらうための自己PRをして下さい」
と私が言うと、
「えーっ」
とみなさん一瞬困った顔をされるが、それがなかなかお上手でいつもびっくりする。
みんなやればできる素敵な自己PR!

「崖っぷち阪神、あと一勝して絶対ホームに帰ってきて欲しいです。◯◯です、よろしくお願いします」
(周りからも拍手!さすが大阪のクラス!)
「西城秀樹のファンです。最近のコンサートに行ってファンになりました。応援して行きたいと思います。◯◯です」
「5年前に乳がんをしました。引きこもってしまって鬱になりそうで、これではいけないと思って積極的に外に出るようにしています。◯◯です」
「関西生まれ関西育ちなのに、主人の転勤で東京で20年間生活したため関西弁がうまくしゃべれなくなりました。◯◯です」
「今年定年で退職しました。夏に母を亡くし、気持ちがふさぎがちで気分を変えようと思って参加しました。◯◯です」

今日もこんな風に楽しい自己紹介が進んでいった。
〈女の生き様〉が見え隠れするみなさんの自己紹介に私はいつも胸が熱くなる。

授業が終わり、みんなでお一人ずつ名前を呼び合ってお別れの挨拶をした。
見事に全員が全員の名前を覚えていた。

また会いましょう!と笑顔でお別れ。

他人と関わることは面倒くさい、無駄な会話はしたくない、そんな風潮を感じる今日この頃である。
今は、喋らなくても済むツールがたくさん存在する。
「みなさん」とまとめてご挨拶すればそれは合理的で手っ取り早い。

しかし、叶う人数なら、せめて挨拶ぐらい名前を呼び合っておひとりずつと丁寧に交わしたいものである。








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自分の考え

2014-10-28 | 徒然なるままに

今日、ある男性と話をしていて、たまたま原発の話になった。

原発を全く廃止してしまったら日本はどうなるのか、地球はどうなるのかというその男性の自信に満ちた話を聴いているうちに「やっぱり原発は必要だ!」と思えてきた。

先日、放射能が子どもの体に及ぼす影響などを力説する人の話を聴いたときには「すぐにも原発を廃止するべきだ!」と思った。

人の話を聴くたびに原発に対する自分の考えが揺れる…これはつまり私が原発というものをよく識らないという証拠だ。
自分の考えというものが全くない。

トイレットペーパーを備蓄した方がいいと聞けば、どれぐらい備蓄しておけばいいかなど考えもせず、とにかく我先にと馬鹿みたいにトイレットペーパーを買い込む。
数年前の鳥インフルエンザ騒動では店頭からマスクが消えてしまった。
ママ友の井戸端会議では、よその子の話題にいちいち一喜一憂したり、我が子も負けまいと飛びつくママがたくさんいる。

これらは全て「よく識らない」ことに原因がある気がする。
きちんと識らないから、人の話を丸呑みしてしまう。
悪いことに、ある人が丸呑みしただけの根拠のない話は、まるで事実かのように人の口から口へと伝わっていく。
まるで伝言ゲーム。口に虚しいと書いて「嘘」、時にはまるっきり「嘘」にまで発展してしまうこともある。

私も含め、女性にありがちな現象である。

今、テレビから大阪都構想の話が聞こえている。
なになに、こうなったら住民投票で決める? 住民、大丈夫か…
大阪府が大阪都になったらどうなるのか、暮らしはどんな風に変化するのか、みんなちゃんと識ってるのかな?

「原発に賛成か反対か、こうなったら国民投票で決めます」

もしこんなことになったら…。

原発に限らない。何でもそうだ。

人の話や噂話にいちいち左右されない、丸呑みしない。
ちゃんと自分で識る、考える。
ちゃんと自分の考えを持つ。

そんなことを思った日。
わたし、一歩だけ前進。









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友だち

2014-10-25 | 徒然なるままに

笑い涙で悲しみを拭いとってくれる友だちがいる。
昨夜、彼女から電話がかかってきた。二ヶ月ぶりぐらいだと思う。

「今日、急にれいちゃんの顔が浮かんでさ…」
私は霊感・神様的な話は苦手だが、彼女が電話してくるタイミングにはいつもびっくりする。

「今日さ、レジのお金が合わなくて、モニターで誰が間違ったか確認するってことになって…私もう心臓が止まりそうになったわ!」
「えっ?◯◯ちゃんが間違えたん?」
「お金?そんなんどうでもいいねん!私が鉛筆と喋ってるのんがバレへんかなぁと思って…」

彼女は自分の大切なもの何にでも名前をつけて愛おしむ癖?がある。
自分がレジに入る時は、鉛筆の「しんちゃん」「ぜんちゃん」「びーちゃん」(真善美に由来^^;)を側に立てて、手が空いたらその鉛筆と喋るらしい。その日も何度か声を出してその鉛筆くんたちと喋っていたらしく、モニターで、お釣り間違いよりそれがバレるのが怖い…という話。
(「◯◯さん、いったい何してるの?…結局バレたらしい…^^;)

この話に始まって、私の想像力が追いつかない奇想天外な話が彼女の口から次から次へと飛び出てくる。
お腹の皮がよじれるほど笑った。笑って泣いて泣いて涙でぐちゃぐちゃになった。
彼女は、一言も「どうしたん?」「何かあったん?」と聞いてこない。余計な詮索はしない。ただただ馬鹿な話で私を笑わせてくれる。

20年来の友だち。
ご主人のリストラで自分が働かねばならなくなったのだが、彼女にはその暗さ、辛さを全く感じない。底抜けに明るい。
彼女の特技は幸せ探し。

人の悲しみにそっと寄り添える、私も彼女のような人になりたい。


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