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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

ヤマトタケルと白鳥と鏡餅

2019-03-19 | 《たおやかな風景》奈良新聞連載エッセイ

  大和は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる大和し美し 

  東国を平定し大和へ帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ傷を負ったヤマトタケルは、能褒野(三重県亀山市)で力尽き薨去。故郷への帰還が果たせなかったタケルは、望郷の念を込めて、最期にこう歌った。
 大和から駆けつけた后や御子たちは、御陵を造り葬ったが、タケルは白鳥となり大和へと飛び立ち、琴弾原(奈良県御所市)に降り立った。そこで、ここにも御陵を造ったところ、白鳥は再び飛び去り、今度は河内国の旧市邑(大阪府羽曳野市)に舞い降りたので、その地にも御陵を造った。その後、白鳥はついに天高く翔け昇っていった。

  大きな節目を迎える年が明けた。白鳥タケルが降り立った故郷「美し大和」の地に立ってみたくなり、思い立って琴弾原へと車を走らせた。
 厳かな新年の空気に包まれる富田の集落はひっそりと静まり返り、さきほどまでの国道の喧騒が嘘のようだ。「日本武尊白鳥陵」の看板を頼りに、民家の間の路地を抜け、その先の階段を上ると、ほどなく白鳥陵に到着。しめ縄の飾られた門扉の前方には、夕日に染まる空に、葛城の山が黒々と横たわっている。愛する故郷に永久の別れを告げ、あの峰越えて河内国へと飛び去った一羽の白鳥の姿を想うと、たとえ神話の中の話であっても胸に迫りくるものがある。
 奈良時代に編纂された風土記の中にも、この時期、興味深い白鳥伝説を見ることができる。村人がお餅を弓矢の的に射ると、そのお餅は白鳥となって飛び去り、人々は死に絶え、水田は荒れ果てたという。
 空を飛ぶ鳥に畏敬の念を抱いていた古代人であるが、中でも白鳥は神の使いと崇められていた。稲魂を宿す白鳥が田に寄り付けば稲は豊作に、離れると稲は枯れて不毛の地となるという。なるほど、12月に訪れた越後の広大な田んぼでは、大きな鏡餅さながら、無数の白鳥が餌をついばんでいた。
 古来、白餅は白鳥に連想され、決して粗末に扱ってはならないものと考えられてきた。色形が白鳥に似ているからだけではない。稲魂の宿る米粒を搗いて凝縮されたお餅は、特に霊力が高く、太古より神が宿る特別な食べ物とされてきたのだ。ハレの日にはお餅をいただく、この国の風習が生まれた所以である。
 三種の神器のひとつである鏡の形に似ていることからその名が付けられたという鏡餅はまた、その形が望月(満月)を連想させることから、拝むと望が叶えられると信じられてきた。お正月、家々に新しい生命力をもたらしにやって来られる年神様が宿られるのも、この鏡餅なのである。

 近年は、お餅も糖質が高い、カロリーが高いなどと敬遠されがち、大きな鏡餅はなおさらのこと、お供えしないという家が増えてきた。
 
そういえば、今年のお正月、門松もしめ縄も飾っていない家がまた増えたような気がする。新しい年の初めに年神様を迎えるこの国の厳かな伝統行事、心豊かな風習はどこまで薄れていくのだろうか。

 鏡餅を模したプラスチックの外装の中から小さなお餅がころころ8つ、我が家の鏡開き。その霊力はいかほどのものか…、些か心細くもあるが、まあ、お善哉でも煮て、新しい年を生きる力をいただこう。

(新聞掲載日 2019年1月11日)

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