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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

落書き

2015-04-16 | 
昨日の朝、一瞬、空にこんな絵が広がった。
神様…


Dear God
I didnt' think
orange went very good with purple
until I saw the sunset
you made on Tue.
That was cool. Eugene
(かみさま、ぼくオレンジいろがあんなによくむらさきいろにあうなんておもってなかったよ、かようびにあなたがつくったゆうやけをみるまでは。あれはイケてたなぁ。ユージーン)


これはアメリカの子どもが神様に書いた手紙である。
神様はすごい、というより、
子どもはすごい!

改めて昨日の朝の空の写真を見てみると、天に突き抜ける深い青と地上に迫り来る分厚い白のコントラストが絶妙である。こんな絵は確かに神様にしか描けない。

しかし、人間が「落書き」したあの黒い線、あれさえなければなぁ…
あれが無ければ完璧なのに!

いや、完璧までもう一息、これがまたいいじゃないか!

あれさえなければなぁ、
あれさえ良くなればなぁ、
その「あれ」があるから毎日が面白い。生きていて面白いのだ。

「あれ」のお陰で今日もがんばれる!










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金魚

2015-04-15 | 

昨夕は久しぶりに大和郡山駅に降り立った。最近はどこの駅前も広いバスターミナル、大通りというのが常であるが、この大和郡山駅は改札口を出るといきなり城下町特有の細い路地のような道に差し掛かる。
夕方、学生や車で溢れる駅周辺であるが、みな慣れているのか、車と人がすれ違うのもやっとという細い道を暗黙のルールの中、器用に行き来している。
お城の桜祭りも一段落、これから町はいよいよ金魚のシーズンを迎える。


「金魚」
おとうさんと郡山に金魚を買いに行った
一匹5000円もする金魚がいばっておよいでいた
どんな人がこの金魚を買うのだろう
どんなおうちがこの金魚をかざるのだろう
ぼくの金魚は一匹5円だ
(小学生の詩)


私が小学生の頃、父が取引先の方から立派なランチュウを10匹貰ってきたことがある。1匹3000円は下らない高級な金魚だと自慢気に話していた父の顔が今も目に浮かぶ。
父はさっそく水槽を買いに行き、きれいな小石を敷き、水草も必要だろうと藻を何箇所かに植え込んだ。竜宮城の門のような陶器の置物も飾られた。
かくして高級なランチュウたちが悠々と泳ぐ、我が家の居間よりも遥かに豪華な様相の水槽が、小さな畳の部屋にどっかと飾られた。
翌朝、楽しみに水槽を覗きに行くと、一匹のランチュウが浮いていた。そして翌日にはまた一匹が、その次の日にはまた一匹が…毎日一匹ずつランチュウが死んで行くというまるでオカルト映画のような日々が続いたのだ。子供ながらに余計なものを持って帰ってきた父を恨めしく思ったものだ。
不穏な空気が漂う中、ついに最後の一匹が死んだ。
そして小さな畳の居間から豪華な水槽は撤去され、また見慣れた風景が戻ってきた。


小学生の「金魚」という詩に出会ったとき、すっかり忘れていた幼い頃のこの怖い記憶が私の脳裏にありありと浮かび上がった。

家も、車も、身につける物も、そして金魚でさえも、何でもその人に、その家に似つかわしいものがあるのだと思う。大き過ぎず小さ過ぎず身の丈に合ったちょうどいい塩梅の心地いいものが。

普段、私たちは知らず知らずのうちにちょうどいい塩梅のものの中で暮らしているのだが、時に欲を出したり、見栄をはったりして身の丈に合わないものを無理をして持ってしまったりする。そんな無理は決して長続きしないものだ。

身の丈に合ったちょうどいい塩梅のものは私たちに平凡な暮らしをもたらし、平凡な暮らしは幸せをもたらす、そんな見えない仕組みがあるような気がする。


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白い紙

2015-04-14 | 

我が家のダイニングテーブルの私の席の真上には90㎝四方の天窓がある。家の中でたった一箇所空が見える特等席である。
ちょっとしたモノ書きやパソコンに向かう仕事は私は好んでこの場所でする。
夜になって部屋の灯りを消せば、季節によっては満月が頭の真上に見えたりする。

絵のようにも写真のようにも見える空を四角く切り抜いた風景は、今日のような雨の日には一転して一枚の四角い真っ白い紙となる。そして私は余儀無く「白」の力を浴びることになる。

「一日は白い紙
消えないインクで文字を書く
あせない絵の具で色をぬる

太く 細く 時にはふるえながら

一日に一枚
神様がめくる白い紙に
今日という日を綴る」
(星野 富広)

何色にも染まっていない「白」は、決して何もないわけではない。

「頭が真っ白になる」
「白か黒かはっきりさせる」
「白紙にもどす」
これらの言葉を見てもわかるように「白」は実に強い力を発している。

色々自分を苦しめていたもの、重かったもの、迷っていたもの、自分の中にドロドロうごめいていた余計なものを排除した、そう、「白」はそうしたもの全てを削ぎ落とした決意の色であり再生の色なのである。

毎朝一枚、心の中に真っ白い紙を広げてみたらどうだろう。
もっと生きやすくなるような気がする。







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土手のぺんぺん草

2015-03-25 | 
つくしが生えていないか土手を注意深く見上げながら歩いていたら、とつぜん青空に昔懐かしいシルエットが浮かび上がった。
ナズナである。いや私にはぺんぺん草という名前の方が馴染みが深い。子供の頃の遊び場だった堤防にも春になるとたくさんのぺんぺん草が風に揺れていた。

星野富弘さんの詩による「ばら きく なずな」という合唱曲に始めて出会ったのは次男が中2の時であった。

その頃の私は次男のことで精神的にかなり参っていた。その日も朝から大喧嘩して、学校に行かずに寝ている息子を家に残して私は合唱の指導に出かけたのだった。

「神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が
本当に来るような気がした」

切なく美しい旋律に乗ってこの「なずな」の部分の詩が流れたとき、我が息子があまりにも情けなくて、悲しくて、溢れ出る涙をおさえることができなかった。そして泣いていることに気づかれぬよう、下を向いて涙をぬぐいながら、震える声を抑えながら私は必死で指導を続けた。

今日は、冷たい風に吹かれて揺れている土手のぺんぺん草をじっと眺めながら、あんな時もあったなぁ…としばし足を止め思いに耽っていた。

「ぺんぺん草も生えない」という慣用句がある。それほど痩せてどうにもならない荒地であるという意味。
つまり、ぺんぺん草はどうにもならないような荒地にも育つ逆境に強い草なのである。
お目当てのつくしには今日もお目にかかれなかったが、土手のぺんぺん草に元気をもらった。



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見えない根たちの願い

2015-03-15 | 
「ねがい」 坂村真民
見えない
根たちの
ねがいがこもって
あのような
美しい花となるのだ



人は乗り越えた苦悩の数、大きさの分だけ輝きを与えられるのかも分からない。

人は、あたたかく見守ってくれている人、支えてくれている人、見えない人たちの想いの分だけ輝きが与えられるのかもしれない。

その人の奥深いところから放たれている輝きを私たちはその人の魅力として感じているのだ。顔かたち、肩書きなどから与えられる輝きは、ほんの飾りに過ぎない。

昨夜はそんなことをしみじみと思った夜だった。

宮沢りえの渾身の舞台に感謝。










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星くず交換

2015-02-10 | 

「エーまいどおなじみの星くず交換」
これは『星くずやの唄』(狩野敏也 詩/磯部 俶 曲)の曲中に出てくる台詞。
今は亡き恩師がリサイタルの中でステージを歩き回ってこの歌を歌われた。そしてこの台詞を客席に向かってユーモラスに叫ばれたあの瞬間…私は一生忘れない。
……………………
「星くずやの唄」
みなさんわたしは星くずや星くずや
涙もかれた かわいた心の
かけらを集めてまわる星くずやです

そねみと憎しみに
ゆがんだ心 かわいた心
悩みと悲しみに
いじけた心 くだけた心
それらのかけらをお出しなさい
そいつをたくさん集めて
いっぱい涙をそそぎ
私はつくるのです ひと粒の真珠を
たったひとつぶの小さな真珠を
その代わりあげましょう
きらりと光る美しい星つぶをひとつ

それをあなたの胸にだいて
やさしい愛のことばをふりそそげば
やがては大きな星になるでしょう

みなさんこちらは星くずや
「エーまいどおなじみの星くず交換」
涙もかれた かわいた心の
かけらを集めてまわる 星くずや
………………………

「そねみ」「憎しみ」なんてゴミに出してしまいたい心、人間には全くいらない心だと思うこの頃。
できれば怒りの心もゴミに出してしまいたい。そう、人を非難する心も!人を非難する資格なんて自分にあるのか…。

『星くずやの唄』を歌いたいと何度も挑戦するのだが、「エーまいどおなじみの星くず交換」この台詞がどうしても上手く言えない。
どうやらまだ捨て切れない心が私の中にあるようだ。





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今日もひとつ…日日草

2014-12-19 | 

「日日草 」    星野富弘  

今日もひとつ
悲しいことがあった
今日もまた一つ 
うれしいことがあった
笑ったり 泣いたり 
望んだり あきらめたり 
にくんだり 愛したり
そして これらの一つ一つを
柔らかく包んでくれた
数え切れないほど沢山の
平凡なことがあった 


生きていたら色んなことがある。それが生きている証拠かもしれない。
どんなに悲しいことがあった日も、どんなに辛いことがあった日も、たちまち感謝の日に変えてくれる魔法の詩、私を柔らかく包んでくれる陽だまりのような詩、星野富弘さんの「日日草」。

毎年、塀にそって植えている日日草、今年も約半年間、毎日花を絶やさなかった日日草がついに最後の花を終えた。
どんな日もやさしく迎えてくれてありがとう!

週末はガーデニング。
次の日日草を迎えるまで何を植えようかしら…


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祝婚歌

2014-02-04 | 

祝婚歌

            吉野 弘

二人が仲睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派すぎない方がいい

立派すぎることは

長持ちしないことだと

気づいている方がいい

 

完璧を目指さない方がいい

完璧なんて不自然なことだと

うそぶいているほうがいい

 

二人のうちどちらかが

ふざけているほうがいい

ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても

避難できる資格が自分にあったかどうか

あとで疑わしくなるほうがいい

 

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと

気づいているほうがいい

 

立派でありたいとか

正しくありたいとかいう

無理な緊張には色目を使わず

ゆったり ゆたかに

光を浴びている方がいい

 

健康で 風にふかれながら

生きていることの懐かしさに

ふと胸が熱くなる

そんな日があってもいい

そして なぜ胸が熱くなるのか

黙っていても

二人には わかるのであってほしい

 

 


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カレーライス

2012-12-29 | 
カレーライス

カレーライスを
ひとにめがけて
ぶっつけたことがある。
一瞬
泣きそうな顔をみせて
そのひとは
皿を拾い
ごはん粒を拾い

ごはん粒を拾い
胸のカレーを拭いた。
こするほどに
黄色い染みがひろがって
食べ汚した幼な子のようだった。
それから
ゆっくりと
トレーナーを脱ぎ

トレーナーを脱ぎ
裏返して
それを また
すっぽりと着たのだった。

記憶が匂いを放つので
カレーライスの日は
あの夜
私を送る電車の中で
「匂うね」
と 笑ったひとを
思い出す。

ひょいと
トレーナーを裏返せば
何もなかったのも同じ。
くらしとは
そのように
許すことなのだと
私にもわかった
いくつもの
いくつもの夕暮れの中で。


先日の大学での言葉小箱公演で朗読した草野信子さんの詩です。
言葉小箱公演では、歌だけではなくたくさんの詩の朗読を聴いていただきます。そのため、私は常にいろんな詩集を開いて心にドーンと入ってくる詩を探し求めています。

今年最後に素晴らしい詩に出会いました。初めて読んだときには心が震えました。

「ひょいとトレーナーを裏返せば何もなかったのも同じ」

辛いこと、悲しいこと、腹が立つこと…嫌なことを無理して忘れよう、消してしまおうとしなくてもいいのです。裏返せばいいのです。裏返せば何もなかったのも同じなんです。

「くらしとはそのように許すこと」

忘れよう、気にしないようにしようとすると余計に心が苦しくなることがありますが、それも許してしまえば簡単、一気に心が軽くなります。今泣いていたくせにもう笑ってる、そんな自分に気づきます。「裏返す」ってすごいです。

この詩に出会ってから、私はさっそく1回トレーナーを裏返しました。
「でもなー」とかモヤモヤとしたものが全く残らないのです。心が一気に黒から白に変わる感じです。

間もなく2012年が幕をおろそうとしています。

大晦日の夜、私はまたトレーナを裏返そうと思います。

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二番目に言いたいこと

2011-09-18 | 
「二番目に言いたいこと」  星野富弘  

二番目に言いたいことしか
人には言えない
一番言いたいことが
言えないもどかしさに耐えられないから
絵を描くのかもしれない
うたをうたうのかも知れない
それが言えるような気がして
人が恋しいのかもしれない


この詩に、なかにしあかねさんが作曲された「二番目に言いたいこと」(むらさきつゆくさ)を歌いました。
『そうかあ…そうなんだ…』この詩を読んだ時、私は難しい問題が解けた時と同じような感動を味わいました。

人間はみんな一番言いたいことは言わずに、いや、言えずにいるんですね。だから、絵を描いたり、うたを歌ったり、人が恋しかったり…。そう言えば、旅をするのも、美容にお金をかけるのも、無駄な買い物をしたり、美味しいものを食べたりするのも、お酒を飲むのだって、みんな一番言いたいことが言えないもどかしさに耐えられないからかもしれないですね。
人間って、一番言いたいことではなくて、二番目に言いたいことぐらいを言い合っているから、優しくて温かいのかもわかりません。
いつも、一番言いたいことが言えない私は、だから人間なんだ…と問題が解けたというわけです。


Official Site
http://cotonohacobaco.com/


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あめ

2011-09-06 | 
   『あめ』
   あのね せんせい
   どうしてあめがふるかしってる?
   木には手がないので水がのめないから
   かみさまがかわいそうにおもってあげるのよ
   せんせい しってた?

先週の金曜日に予定されていた吹田市での《ことのは・こばこ》が台風のために中止になりました。この詩はその公演の中で朗読しようと思っていたものです。小学1年生の女の子の書いた詩です。
私はこの詩に出あってから雨の日が好きになりました。雨が降ると空を見上げてはじょうろで水を撒いている神様の姿を想い、木々を見ては彼らの喜んでいる顔を想ってしまいます。
子どもの感性、子どもたちに芽生えたばかりの言の葉の瑞々しさ、美しさには本当に感心させられてしまいます。

ところがこの台風がもたらした大雨は、たくさんの命を奪い、各地に大きな爪痕を残して行きました。
どうしてこんなに惨いことを…。
雨が恨めしい…。
こんな貧相な言の葉しか浮かばない私、もし子どもなら、この雨をどう感じどんな言の葉で綴るのだろう…。
そんなことを思いながら今日の空を見上げました。

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