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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

老い

2015-02-07 | 徒然なるままに
自分が死ぬ間際の夢を見た。

原因は分かっている。
義父が数日前から風邪で熱を出している。熱のせいと、数日寝込んでいるせいで歩けなくなってしまっている。ただでさえ歩くことが困難だった足は、とうとう立つこともできなくなってしまった。

抱えて、おんぶしてトイレに連れて行く。ズボンをはかせる。ベッドに寝させる。
深夜、バタンと言う音に慌てて駆けつけると床に倒れている。迷惑をかけまいと一人でトイレに行こうとしたのだ。

「情けない」「申しわけない」と涙を浮かべながら連発する義父。

この風邪が治ったら、熱が下がったらまた歩けるようになるに違いない、また優しい笑顔が戻ってくる、そうなると信じている。そうなって欲しいと祈っている。

若い頃は短距離の選手だったらしい。仕事へは、50年間、徒歩電車で通った。運転免許は持っていたが滅多に車には乗らなかった。70歳で退職した後も、進んで歩こう会などに参加していた。
健脚、姿勢がいいこと、そしていつも凛としていて、自分にはとても厳しく人には優しく穏やかで、紳士で有名な人だった。

今、義父はどんな気持ちでいるのだろう、ベッドに横たわりながら何を考えているのだろう…昨夜は、壁の向こうの義父の物音に耳を傾けながらそんなことを考えていたらなかなか寝付かれなかった。

義父90歳。
老いは誰にも必ずやって来る。
そんな当たり前のことに気づいた。


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『知行合一』を教わる

2015-02-01 | 徒然なるままに

先日、ある方からこんな言葉をいただいた。

「…私は『知行合一』でありたいと願い、信条としております。
知るは行動を伴わなければ無知と同じであり、知りて動かざるは不実と思っています。
評論のみは私の一番気性に合わないことで、如何にすべきか、何が出来るのかを考え、1ミリでも前進することです…」

心深いところで受け止めさせてもらった。胸に刻ませてもらった。

イスラム国で起こっていることの連日の報道を見るたびに、いただいたこの言葉を思い出している。

評論の渦である。

様々な想いはつのるが、目の前で起こっているできごとだけしか知らない私などは軽率に意見はできない。してはならないと思う。

ただ画像の端々に写り込んでいる子どもたちの悲しい表情はわかる。怯えている様子はわかる。
生まれてからこのかた戦争のない世界を知らない子どもたち、飢え、貧困、病に苦しむ子どもたちがたくさんいることは忘れないでいたい。




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片付ける

2015-01-31 | 徒然なるままに
「断捨離」という言葉はいつごろから使われるようになったのだろうか。
私の母は「断捨離」という言葉を嫌う。私が「断捨離」という言葉を使うと不機嫌になる。

昭和一桁生まれ、モノのない時代を生きてきた母はモノをとても大切にする。そして口癖は「もったいない」

先日、実家で着物を着る準備をしていたら「明日はこれを来て行きなさい」と母が洋服の箱を抱えて部屋に入ってきた。
取り出したるは50年近く前に母が誂えたというカシミアの着物用の防寒コート。

「5、50年⁉ いややそんなん!絶対着いひんし!しかも何?この古臭いボタン!無理無理、絶対無理!」
「こんなものに流行はない!」と言い張る母と険悪なムードになり、着る気など全くなかったが一応家に持って帰った。

箱にきちんと折りたたまれて入っていたコートは、まめに防虫剤を入れ替えていたというだけあって虫に食われることもなく新品同様の美しさを保っている。

翌日、帰りに実家に立ち寄った。着物を着たまま、コートを着たまま…。
そして得意満面で話す母の話を我慢して聞いた。

一昨年大掛かりな「断捨離」をしたはずの我が家はまたモノに溢れている。
また「断捨離」しないといけないと思うほど家の中が乱れているのは、いらないモノが増えたからではなく、モノをきちんと片付けることができないからかもわからない。これでは何度「断捨離」しても同じ状況から脱することはできない。

今年はモノを捨てる「断捨離」ではなく「片付ける」ことに徹してみたいと思う。




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ぶっつけ本番

2015-01-29 | 徒然なるままに

舞台打ち合わせ中にふと思った。

舞台にはリハーサルがあり、おまけに事前にこんな打ち合わせまでする。

人生、自分が主役の舞台であるとすれば、誰もがその舞台をぶっつけ本番で演じている。
一度きりの人生に打ち合わせもリハーサルもない。みんなぶっつけ本番で生きているのだ。

これだけ打ち合わせをし、リハーサルをして迎えた舞台でも予想もしなかったことが起こる。失敗もする。
後悔することしきり!次は気をつけよう、次は絶対失敗しないぞと思う。

しかし人生という舞台は打ち合わせもリハーサルもなければ「次」もない。

予想もしなかったことが起こって当たり前。失敗しても当たり前。
やり直したくてもやり直せない中途半端なことがあっても当たり前。くよくよ後悔しても仕方ない。
毎日体当たりで生きて行くより他ない。

だって私たちは前も後もない、たった一度きりの舞台をぶっつけ本番で生きているのだから。

舞台から観客の誰もいない客席を眺めながらそんなことを思った日。


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スタートすること

2015-01-27 | 徒然なるままに

「ゴールよりスタートの方がワクワクする」
この間テレビから聞こえてきて思わず手帳に書き記した言葉。

先日京都で行ったお店のママの言葉が今も耳から離れない。
「還暦と言うのは巡り巡って0歳に戻ることやねん。またスタートするときや。何でもかまへん、新しく始めたらいいねん」
お店に飾られていた大きな油絵はママが還暦から始めた油絵の作品。見事なものだった。次に始めたのがサックスで今度ライブに出るという。料理屋を切り盛りしながらの話である。
68歳とは思えないパワフルさ、潔さに圧倒されて帰ってきた。

「どうせ無理」と同じくらい最低の言葉、絶対口にしたくない言葉が「もう遅い」。
還暦に限らない。何歳でもスタートはできる。新しいことを始めることができる。そしてワクワクすることができる。
生かせてもらっている限り「もう遅い」はない。

大切なのはゴールするかどうかではなくスタートするかどうかである。なぜならばゴールなんてもともとないのだから。

キラキラ輝いている人はゴールした人ではなくスタートした人、動き出した人。

この1月はそんなことを思わせてくれるキラキラ輝いている人たちとたくさん出会った。



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闇の中の子どもたち

2015-01-21 | 徒然なるままに
今どきと思われるかもわからないが、現代の日本には最低限の衣食住も満足に守られない子どもたちがたくさんいる。世界の果ての話ではない。今の日本にである。

どうしたら殴られないか、
どうしたら放り出されずに家においてもらえるか、
どうしたらご飯をたべさせともらえるか、
日々恐怖に怯えながら、貧困に、孤独に耐えながら生きている子どもたちがたくさんいる。

暗闇の中を独りとぼとぼ歩いている子どもたち、社会の陰で息をひそめて生きている子どもたち、そんな子どもたちのことを私たちは真剣に考えたことがあるだろうか。

家から、学校から、社会から逃げ出し、行き場を失った子どもたちは夜の街に逃げ出す。そしてお酒、シンナー、覚せい剤にと手を染めて行く。
買春行為をしている幼い女の子たちがたくさんいる。

自分なんか生まれて来なければよかったんだ、生きている意味がない、死んだって構わない…生きている価値が見出せないでいる子どもたちに、
「そんなことをしたら捕まるよ、処罰されるよ、体を壊すよ」
そんな言葉が何の意味を持つというのか。

親のせい?ではその親はどうして?
辿って行けばそこには「社会」がある。
弱いものが泣き寝入りしなければならない「社会」があるような気がする。

犯罪者になろうと思って生まれてくる人間なんてひとりもいない。
いつか自殺しようなんて思って生まれてくる人間なんてひとりもいない。

自分さえ良ければ…これではいつまでたっても「根」の部分が解決されない。
他人事ではない。
政治なんて興味がないという人も、女性も、お母さんたちも、若者たちも、みんなが「社会」についてもっと真剣に考えなければならない時がやってきている。

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どこかで笑っていて

2015-01-21 | 徒然なるままに
思い出して欲しい、子どもが生まれた時のこと。
生まれてくれただけで、笑い顔を見るだけで、そこにいてくれているだけで幸せだと感じていたはずだ。

ところが、子どもが成長するにつれ親の欲までも成長してくる。

あの子はもう喋れるのに、もう歩けるのに、もうオムツが取れたのに、もう字がかけるのに、もう計算ができるのに、もう自転車に乗れるのに…。

悲しいことに、子どもの成長より親の欲の成長の方がはやい。

あの子はあんなに勉強がよくできるのに、あの子は塾であんなに頑張っているのに、あの子は部活もあんなにがんばってるのに、
あなたはなぜそんなにだらだらしてるのか…。

あの子は○○高校に、○○大学に、○○会社に…あなたはなぜ…

あの子の結婚相手の学歴は、家柄は、勤務先は、収入は…

あの子の子どもは3歳から塾でお勉強して○○幼稚園に合格したらしいわよ、なのに…

こうして文字にしてみると滑稽で馬鹿げていてとんだ笑い話に思えるが、現実に溢れている話である。

いつも他人と比べながら生きて行く先には幸せはない。
永遠に欲求が満たされることはない。

思い出して欲しい、子どもが生まれた時のこと。


「お願い、どこかで笑っていて
それだけでいい
それだけがいいのよ」
(「おひさま」より)





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自分との約束

2015-01-16 | 徒然なるままに

約束、一番守れないのは自分との約束ではないだろうか。

明日は歩くぞ!…こんな寒い日に歩かなくても…
庭の草抜きをしよう!…何も今日しなくても…
間食はやめるぞ!…ちょっとぐらいいいじゃない…
服の整理をしよう!…別に今のままでも死にはしない…
今日こそあの人と仲直りしよう!…私だけが悪いわけじゃないし…
煙草をやめよう!…やめるストレスの方が体によくないって言うよ…

こんな具合に自分の中の悪魔がすぐに誘惑にやってくる。
秘かに心の中で決心したこと、誰に言ったわけでもない自分との約束はかくしていとも簡単に破られて行く。

それをしなくても別に誰に迷惑をかけるわけでもなし、自分への評価が下がるわけでも恥をかくわけでもなし、というところだろうか。

以前、毎月X-dayを決めて、自分が決めた約束を互いに相手に公言しX-dayまでに必ず実行する、そんなことを友人とやっていたことがある。最初は遊び感覚で楽しくやっていたのが、徐々にお互い真剣そのもの!お陰で手付かずだった押入れの中の物も整理・処分、食器の整理・処分、クローゼットの洋服も半分以下に、希望の体重・体型に、気まずいままだった友人とも仲直りした。

その1年間の間に、家の中も体も心もかなりスッキリしたことを思い出し、昨年から仲の良い友人たちを誘って「ご褒美の会」を始めた。仕組みは以前やっていたX-dayと同じ。

昨日は今年の第一回目であった。
「着る服やら着ない服やらがぐちゃぐちゃだったクローゼットがスッキリしました!」と報告する人、無言の人(笑)、誰が何を深く追求するでもなく「よく頑張ったね」と自分にそしてお互いに声かけあった。

私は自分と三つの約束していたが二つはちゃんと守れたが実は一つは守れていない。来月までのひと月に先送り!
さて、今年一年でどれだけ自分を変えていけるか…非常に楽しみである。

なりたい自分を目指して「お約束」と「ご褒美」(よく頑張ったね、と声をかけるだけ^^)ただただこれだけを繰り返す会。必要なのは自分の決意とお弁当代だけ。あと一つ、女性であること(*^^*)

いっしょにいかがですか?









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言葉 ~行き詰まったら動物園に行く

2015-01-12 | 徒然なるままに

猿の親子を見て思った。子どもを育てるのに言葉はいらないのだと。
猿の夫婦も仲間たちも言葉を使わないで愛を伝えていた。
「おれがボスだ」と言葉で伝えていないのに猿たちは誰がボスか知っている。ボスをちゃんと認めている。

言葉は相手に気持ちを伝えるためのひとつの道具である。道具であり愛ではない。愛を表すことはできるが愛そのものではない。
威厳を表すことはできるが威厳そのものではない。
心を偽って怒りを言葉で表現したところで、愛のある怒りはちゃんとその愛が伝わる。
逆に言葉だけで上手く取り繕てもそんなものはすぐに見抜かれてしまう。
ヒトにも言葉以外の部分を感じる力、猿たちと同じ動物的な力がちゃんと備わっているのだろう。


今年もたくさんの若者たちが成人を迎え大人としての一歩を踏み出す。
彼らに、そして自分にももう一度言いたい。

言葉ではなく態度で示せる人になろう。

言葉巧みな人ではなく言葉やさしい人になろう。

人を言葉でコントロールしようとするのではなくまず愛をいっぱい注ごう。

本当に大切なことは言葉だけでは伝わらないと知っていよう。

 

行き詰まったら動物園に行ってみる。











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胎盤の神秘

2015-01-08 | 徒然なるままに

今話題のiPS細胞は体をつくるどの細胞にもなれるという夢の細胞である。
皮膚はもちろん将来的には様々な臓器もつくれるようになり再生医療が実現できると大きな期待がかかっている。
ところがこのiPS細胞、体をつくる細胞でひとつだけなれない細胞があるという。
「胎盤」である。
人工的に作り出したiPS細胞、胎児が育つのに非常に重要なはたらきをするこの胎盤の細胞にだけはなれないという。

そしてこの「胎盤」は父親の遺伝子のみでつくられるということが分かったと言う。
母親の血液と子どもの血液が決して混じり合わないのはこの「胎盤」のお陰である。だから母親と子どもの血液型が違っていても大丈夫なのだ。「胎盤」なくして胎児は絶対育たない。

父親の遺伝子によってつくられた胎盤で胎児が育つ…何たる胎盤の神秘!

どれだけ文明が発達しても、どれだけiPS細胞が素晴らしいものでも、人は人でしかつくれない、生きものは生きものでしかつくれないということである。
当たり前のことのようでもの凄いことである。

私たちは「いのち」「生きる」と言うと生まれてから死ぬまでのことを思いがちだが、母親の胎内ですでに280日という実に緻密で神秘的な時間を過ごしている。

大自然の力、「いのち」の重さに圧倒される。




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仮面夫婦 …モラルハラスメント

2014-12-14 | 徒然なるままに

「娘が離婚することになって…」
昨日、突然やってきた友人が涙ながらに話した。結婚してまだ数年目、幼子を連れて実家に戻って来るという。

友人が帰った後、友人の口から何回も出てきた「モラルハラスメント」という言葉を改めて調べてみた。

モラルハラスメントとは、モラルによる精神的な暴力、嫌がらせのこと。フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱した言葉。外傷等が残るため顕在化しやすい肉体的な暴力と違い、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力は見えづらいため長い間潜在的な物として存在していたが、イルゴイエンヌの提唱により知られるようになった。イルゴイエンヌは、社会は精神的な暴力に対しては対応が甘いが、精神的な暴力は肉体的な暴力と同じ程度に、場合によっては肉体的な暴力以上に人を傷つけるもので、犯罪であると述べている。

身体的ではなく、精神的・情緒的な次元を通じて行われる継続的ないじめ、嫌がらせ、しかもそれが隠ぺいされていることで「モラル・ハラスメント」が成立するという。
友人は娘夫婦に「仮面夫婦」という言葉を遣った。主人の外づらは極めて良いという。

今、友人は弁護士さんと共に、娘さんの主人が2年半の間に娘さんに継続的に行ってきた「モラルハラスメント」、お酒を飲んだ時のDV(ドメスティック バイオレンス)を全て書き上げ、水面下で裁判に持ち込む準備をしていると言う。

私には詳しいことは分からないが、親に心配をかけまいとそんな状態であることを隠し通し幸せそうなふりをし続けてきた娘さん、私の長男と同い年、幼馴染のように育った彼女が切なく可哀想でならない。

「モラルハラスメント」は受ける側が弱い立場であったりなどしてなかなか表に出て来ないが、最近、私の周りだけでも耳にすることが非常に多くなった。
肉体的暴力・嫌がらせは減少したが精神的暴力・嫌がらせが増加している、ネット社会の落とし穴かもしれない。
最も陰湿で許し難い。




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大きな古時計は実は・・・

2014-12-07 | 徒然なるままに
昨日は仕事の合間に義父を連れて義父の身の回りのものの買い物に出かけた。
車椅子になってからデイサービスと病院以外は外に出かけようとしない義父は、全部私に任せると言ったが、私はクリスマスムードでいっぱいの街の中に義父を連れ出したかった。

すっかり体が小さくなり服がどれもこれも大きくなってしまっている。
ジャケット、薄手のダウンのベスト、ヒートテックのハイネックシャツ、あったか下着…かつてLサイズを着た人が今は全てSサイズ。
どのお店もこの時期は赤や緑のクリスマスバージョンの袋に入れてくれるので、膝に荷物を積み上げるほどに白髪のおじいちゃんである義父がサンタクロースに見えて来る。
「ほら、おじいちゃん、しっかり持って!」
荷物に埋れていくその格好がおかしくて二人して笑った。

私は後ろで笑い泣き…涙が止まらない。

先日、義父がポツンと私にこう言った。
「悪いなぁ、あんたも忙しいのに わしの世話まで…。可哀想になぁ…。もうちょっとやし辛抱してや」

「大きな古時計」の歌詞をご存知だろうか。

「♪大きなのっぽの古時計おしいさんの時計…百年休まずにチクタクチクタクおじいさんと一緒にチクタクチクタク 今はもう動かないおじいさんの時計」

この歌は元はアメリカの歌で私たちは保富康午の訳詞で歌っているわけだが、一箇所だけ原詩と全く違うところがある。
時計がおじいさんと一緒に動いていたのは百年ではなく実は90年、おじいさんは90歳で天国に昇ったのだ。
百年を90年に置き換えて歌ってみるとお分かりのように、メロディに対して字余りで歌いにくい。訳詞者の粋な計らいで百年になったのだ。

義父、ただ今90歳。
訳詞者の粋な計らい通りになって欲しい。





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叱ってもらえること

2014-12-04 | 徒然なるままに
歳を重ねる毎に減るものというと色々頭に浮かぶが、その一番大きなものは「叱ってもらえること」「注意してもらえること」であると思う今日この頃である。

みんなその人の欠点、悪い癖などを感じていてもそう簡単に口にしない。
特にファッションセンスや仕草、振る舞いのことなどは、なかなか「おかしい」とは言ってもらえない。
喋り方や声、言葉遣い、表情などにいたっては皆無!相手にかなり不快感を与える人でも指摘してもらえない。

今日の授業でも、私はいつものごとくお一人お一人にかなりきついことを指摘した。より素敵な女性になって頂きたい一心であるが、かなり覚悟しないと言えない。
それを言っても許される状況、素直に受け入れてもらえる空気を作ることに充分時間をかけ、またフォローの言葉を準備することも忘れない。

欠点を指摘するということは、一つ間違うと怒り、決別を招いてしまうほど難しいことであるが、それを乗り越えない限り本当の意味での成長はない。
授業では、私はあえてその役を買って出ている。

私は?
私には有難いことに欠点をズバリ指摘してくれる友が何人かいる。素直に受け入れられず喧嘩をしながら学生時代から何十年という付き合いの友もいれば、最近、ズバリ痛いところをついてくれた友もいる。感謝すべきことである。

叱ってもらえるということ、注意してもらえるということは、まだ自分に「のびしろ」があるということである。
成長する可能性があるということである。
幸せなことである。






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落とし穴がいっばい

2014-12-02 | 徒然なるままに
パソコンの受信箱のチェックが今ようやく終わった。2~3日放っておくと大変なことになっている。大量のどうでもいいメールの中に大切なメールが埋れているので、注意深くチェックしながらいらないものを削除していく。

溢れる情報に溺れ惑わされ、大切なものを見失っている今の社会現象に似ている。
下を見ればスマホ、上を見れば大型液晶パネルや電光掲示板に情報が満載。
本、雑誌、広告…何が本当なのか嘘なのか分からない。大量の情報の中に真実があるはずなのに見つけ出せない。

錯綜する情報に呑まれてしまいそうな今、私たちに一番必要な力は、いちいち惑わされない力、簡単に誘惑されない力、冷静に判断する力かもしれない。

ねずみ講まがいの怪しい誘惑も非常に多い。特に女性の周りには落とし穴がいっぱいある。その落とし穴にはまった友人知人がたくさんいる。
ある知人は親から相続した遺産を全て失った。それなのにまだ凝りず別の同じような怪しい仕事をしている。何度か忠告したが聴く耳を持たない。

子どもの教育にヒートアップするお母さんたちもまた情報に惑わされている人たちだ。

私も含め、女性ももっともっと社会に目を向け、興味関心を抱き、学ぶ機会を持ち、いちいち惑わされない力、簡単に誘惑されない力、冷静に判断する力を身につけるべきだと思う。

そんな場をこれからどんどん作っていきたいと思う。






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意外な出会い

2014-11-30 | 徒然なるままに

味噌にヴィバルディの『四季』を、食パンにはベートーヴェンの『田園』、日本酒にはモーツァルトを…原料の発酵や醸造させる過程でクラシック音楽を聴かせると美味しくなるという話を聞かれたことがあるかもしれない。
まさか…の話には科学的な根拠があることを知ったのはもう15年ほど前のことである。
発酵段階で活躍するタンパク質(アミノ酸)の持つ振動を音に置き換え出来上がった音配列の作用である。
例えば味噌の発酵で大活躍するアミノ酸 アクチンの音配列にそっくりな形が『四季』の冒頭「春」の中に含まれている。味噌は音楽を聴いているわけではなく、アクチンの振動と同じ形の振動を音楽の中に感じているわけである。

音楽と味噌、意外な出会いが化学反応を起こす。

人の出会いも同じかもしれない。

10年以上前のこと、日本でも屈指の人口知能(ロボットの頭脳)の研究者の方との出会いで私の現在の公演が生まれた。
《ことのは・こばこ》は、実はクラシック音楽とロボットの出会いが起こした化学反応である。
その時から学びの場がレッスン室から研究室、図書館に変わった。
教材が楽譜から分厚い脳科学、感情心理学などの研究書に変わった。

意外な出会いが起こす化学反応に思いを馳せる朝、お味噌汁を作りながら…。




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