文政6年(1823年)に長崎のオランダ商館付きの医師として着任したシーボルトは、プラントハンターでもあり、西洋医学を日本に広めながら、一方で日本の植物を熱心に採取しました。
シーボルトは帰国後に著した『フロラ・ジャポニカ』(日本植物誌)の中で、日本の紫陽花として「ハイドランゲア・ステルラタ」和名「シチダンカ(七段花)」を紹介しました。
しかしこの紫陽花の所在は全く分からず、この花を見たという情報も標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。
シーボルトが日本で発見してから130年間「幻の紫陽花」であった「シチダンカ」が発見されたのは昭和34年7月5日、六甲山ケーブルの沿線で六甲山小学校の職員によって偶然発見されました。
その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされ、現在では各地の庭園に植えられ、また庭木としても親しまれています。
先週、その「シチダンカ」が友人の庭から我が家の庭にやってきました。丁寧に丁寧に梱包され、まるでお姫様のご到着!
その時はまだ固い蕾だったお花が、今日、ついに開きました。
夕方の空の色を写したような、
お星様のような、
愛らしいお花。
線香花火のような、
ガラス細工のような、
可憐なお花。
シチダンカに、そして、
友に、
ありがとう。
シーボルトは帰国後に著した『フロラ・ジャポニカ』(日本植物誌)の中で、日本の紫陽花として「ハイドランゲア・ステルラタ」和名「シチダンカ(七段花)」を紹介しました。
しかしこの紫陽花の所在は全く分からず、この花を見たという情報も標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。
シーボルトが日本で発見してから130年間「幻の紫陽花」であった「シチダンカ」が発見されたのは昭和34年7月5日、六甲山ケーブルの沿線で六甲山小学校の職員によって偶然発見されました。
その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされ、現在では各地の庭園に植えられ、また庭木としても親しまれています。
先週、その「シチダンカ」が友人の庭から我が家の庭にやってきました。丁寧に丁寧に梱包され、まるでお姫様のご到着!
その時はまだ固い蕾だったお花が、今日、ついに開きました。
夕方の空の色を写したような、
お星様のような、
愛らしいお花。
線香花火のような、
ガラス細工のような、
可憐なお花。
シチダンカに、そして、
友に、
ありがとう。