中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

幻の紫陽花 シチダンカ

2016-05-23 | 草花
文政6年(1823年)に長崎のオランダ商館付きの医師として着任したシーボルトは、プラントハンターでもあり、西洋医学を日本に広めながら、一方で日本の植物を熱心に採取しました。
シーボルトは帰国後に著した『フロラ・ジャポニカ』(日本植物誌)の中で、日本の紫陽花として「ハイドランゲア・ステルラタ」和名「シチダンカ(七段花)」を紹介しました。
しかしこの紫陽花の所在は全く分からず、この花を見たという情報も標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。

シーボルトが日本で発見してから130年間「幻の紫陽花」であった「シチダンカ」が発見されたのは昭和34年7月5日、六甲山ケーブルの沿線で六甲山小学校の職員によって偶然発見されました。
その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされ、現在では各地の庭園に植えられ、また庭木としても親しまれています。

先週、その「シチダンカ」が友人の庭から我が家の庭にやってきました。丁寧に丁寧に梱包され、まるでお姫様のご到着!
その時はまだ固い蕾だったお花が、今日、ついに開きました。

夕方の空の色を写したような、
お星様のような、
愛らしいお花。

線香花火のような、
ガラス細工のような、
可憐なお花。

シチダンカに、そして、
友に、
ありがとう。









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長浜 旧開智学校

2016-05-23 | 旅の風景
長浜の町を歩いてきました。
母が生まれ育った町で、私も小さい頃から何度も何度も行った懐かしい町です。

祖父も祖母も他界、親戚もみなこの地を離れてしまい、すっかり遠のいていたのですが、先日、明治初期に建てられた「擬洋風建築」を探していると、なんと長浜にその貴重な建物が残っているということを知り、さっそく長浜へ!

改めて見ると何とレトロな町並み、子ども頃はただ古いと思っていた町が、実はこんなにモダンでノスタルジックな魅力溢れる町だったとは…。

さて、色々気になりますが、今回のお目当は「旧開智学校」、時間もないので目的の建物に直行です。

開国と同時に訪れた洋風建築ブーム。それは瞬く間に日本中に広まり、地方の洋風建築は地方の宮大工らの手に委ねられました。
伝統の技が光る「和」と宮大工らの創意工夫が盛り込まれた「洋」が入り混じる独特な洋風建築「擬洋風建築」が次々と地方に生まれて行きました。そのひとつが、ここ長浜に今も残る「旧開智学校」です。

明治7年に建てられた木造3階建、八角の塔屋、白壁に緑の木枠の上下窓、アーチ型の玄関に優美な木柱、交差点にぽつりと立つ文明開化の名残り。

開国当初の情報不足の時期に生まれた「擬洋風建築」の貴重な建物、長浜「旧開智学校」、大切にしたいものです。

「旧開智学校」から東に歩くこと7~8分、同じ大通りに面する藤本屋さんで、今回のもう一つのお目当「がらたて」を購入して、帰路につきました。



子ども頃から何気なく食べていた「がらたて」。長浜にしか売ってないと知ったのは大人になってからのこと。母へのお土産も忘れずに!中はあっさり美味しい粒あんです。


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