「人は何のために走るのか、何に向かって走るのか」
深く考えさせられました。
震え立つ感動、込み上げる躍動…
久しぶりに、清々しい、瑞々しい舞台に出会いました。
作・共同演出:倉本聰
演出:中村龍史
富良野GROUP特別公演 『走る』
数々の名作を生み出してきた倉本聰と身体表現を要とするパフォーマンスで世界に名を馳せた中村龍史、この奇跡のコラボレーション、並みの作品になるわけがないことはわかっていました。
しかし、その舞台は想像を遥かに超えるものでした。
大掛かりな道具も何もなく、ただひたすら演者が舞台を縦横無尽に駆け抜けぬける、まさかの演出でした。
駆け抜けるといってもたかだか舞台のあのスペースじゃないか…と思うのが我々凡人の考えること、あの小さな舞台が何十キロ、何百キロの広大な大地に見えるのです。一年中走っているという莫大な時間に感じるのです。
観客皆が、演出の魔法にかかっていきます。
自分は席にじっと座っているだけなのに、息が切れてくるような不思議な感覚に陥ります。
心臓の鼓動にも聞こえる力強い足音、あまりにも美しい走るフォーム。殆ど前に進んでいないはずなのに、風を切って前へ前へと駆け抜けているかのように見せる表現術、そんなことに圧倒されている間に、次第に、ランナーたちが自分の走る姿に自分の人生を映し出している「人間ドラマ」であることがわかってきます。
気がつけば、何度も涙が頰をつたいました。
倉本聰さんは、映画・ドラマ・演劇が届ける感動が、スポーツがもたらす大きな感動になぜ及ばないのかという葛藤を、長年感じておられたといいます。
両氏が命を懸けて作り上げられた『走る』、この舞台は、まさに「スポーツ」と「演劇」の融合、それぞれの感動を一つにすることに成功されたもの、そんな作品であることは、観れば誰もが気づくことだと思います。
帰り、マラソンのゴール直後のやり切った感に紅潮しているかのような感覚の中で、倉本聰さんと握手させて頂きました。
ふっくら柔らかい手に込められた力を感じた瞬間、生きている喜びが込み上げてきました。
原点に戻って生きていこうと思います。
人間は人間らしく、
自然は自然らしく、
今日という日に感謝して…。
深く考えさせられました。
震え立つ感動、込み上げる躍動…
久しぶりに、清々しい、瑞々しい舞台に出会いました。
作・共同演出:倉本聰
演出:中村龍史
富良野GROUP特別公演 『走る』
数々の名作を生み出してきた倉本聰と身体表現を要とするパフォーマンスで世界に名を馳せた中村龍史、この奇跡のコラボレーション、並みの作品になるわけがないことはわかっていました。
しかし、その舞台は想像を遥かに超えるものでした。
大掛かりな道具も何もなく、ただひたすら演者が舞台を縦横無尽に駆け抜けぬける、まさかの演出でした。
駆け抜けるといってもたかだか舞台のあのスペースじゃないか…と思うのが我々凡人の考えること、あの小さな舞台が何十キロ、何百キロの広大な大地に見えるのです。一年中走っているという莫大な時間に感じるのです。
観客皆が、演出の魔法にかかっていきます。
自分は席にじっと座っているだけなのに、息が切れてくるような不思議な感覚に陥ります。
心臓の鼓動にも聞こえる力強い足音、あまりにも美しい走るフォーム。殆ど前に進んでいないはずなのに、風を切って前へ前へと駆け抜けているかのように見せる表現術、そんなことに圧倒されている間に、次第に、ランナーたちが自分の走る姿に自分の人生を映し出している「人間ドラマ」であることがわかってきます。
気がつけば、何度も涙が頰をつたいました。
倉本聰さんは、映画・ドラマ・演劇が届ける感動が、スポーツがもたらす大きな感動になぜ及ばないのかという葛藤を、長年感じておられたといいます。
両氏が命を懸けて作り上げられた『走る』、この舞台は、まさに「スポーツ」と「演劇」の融合、それぞれの感動を一つにすることに成功されたもの、そんな作品であることは、観れば誰もが気づくことだと思います。
帰り、マラソンのゴール直後のやり切った感に紅潮しているかのような感覚の中で、倉本聰さんと握手させて頂きました。
ふっくら柔らかい手に込められた力を感じた瞬間、生きている喜びが込み上げてきました。
原点に戻って生きていこうと思います。
人間は人間らしく、
自然は自然らしく、
今日という日に感謝して…。
