土手の桜並木の足元に、花の絨毯が広がった。耳成山、畝傍山、そして天香具山、大和三山に囲まれた都の跡に、菜の花が一斉に開花した。古の都を埋め尽くす花々に集まる人々。その光景に、一瞬、古代大都市の賑わいを見たような気がした。
今から1350年余り昔、日本で最初の本格的な首都がここに誕生した。長閑な田園風景からは俄かに信じがたいが、あの山々に尋ねると答えてくれるだろう。「確かに、ここには平城京や平安京をしのぐ古代最大の都市があった」と。
2年あまり前のこと、天香久山の麓で牛乳を搾る小さな牧場を訪問した。
その前日まで、私は北海道にいた。酪農の現場を見学しに、はるばる北の大地を訪れた私は、そこで思いがけない言葉を耳にしたのだ。「日本に酪農が伝わったのは飛鳥時代の奈良なのですよ」、なんと日本の酪農の発祥の地は奈良だというのだ。
北海道からほとんど直行でやってきたその牧場で、古い文献をもとに再現された蘇(そ)なるものをいただいた。それはチーズというよりは、生キャラメルに近いような感じで、高級スイーツとして現代にも十分通じるような味わいである。
当時、酪農と言っても、牛乳や、ましてや大量の牛乳を煮詰めて作られる貴重な蘇などは、貴族や高級官人たちの滋養強壮の薬であったり、また彼らの贅沢な食膳を飾るだけのものであったという。
酪農の需要と同様、都には、恐らく相当高い文化や技術が集結していたのだろう。しかし、そんな都も地中深くに埋もれてしまい、今となっては、『万葉集』に収められた古の人々の歌などに、その幻影を遺すばかりである。
新元号「令和」が発表された。出典は『万葉集』第五巻の梅花の歌三十二首の序文、「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、欄は珮後の香りを薫す。」から引用されたという。
「悠久の歴史と四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄をしっかりと次の世代に引き継いでいく」、一言一言、かみ締めるように述べられた総理の言葉、とりわけ「日本の国柄」という言葉に、私の心は震えた。どうか一時しのぎの言葉ではなく、真にそうであって欲しいと、心で手を合わせた。
これまで247ある元号は、すべて中国の古典から引用されてきており、こうして日本の古典に由来する元号が選ばれるのは今回が初めてのことだという。
「令」という思いがけない字に驚いた国民は少なくないことだろう。私もその一人である。しかしこの字、改めて見れば、何と「たおやか」であることだろう。むやみに媚びへつらうことも、惑わされることもない、凛としたこの字の姿がとても清々しい。
私がこの3年見つめてきた《たおやかな風景》が、実は「日本の国柄」であったことにも気づくことができ、何やら胸のつかえがとれたような、爽やかな気分である。
「日本の国柄」を次世代に引き継ごう、そんな決意に満ちた「令和」の時代の幕開けに、こうして生かしてもらっていることへの感謝、そして重責の念がこみ上げる。
いわゆる古き良き時代と、目まぐるしく変化する新しい時代、二つの時代の狭間を生きる我々世代の役割、それは、新しい時代にしっかりと引き継ぐことなのではないだろうか、「日本の国柄」を。
(新聞掲載日 2019年4月12日)