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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

お雛さまがいっぱい

2017-03-02 | 日本の行事・習わし
息子が二人、長年、お雛さまとは全く縁のない私でしたが、今年はどういうわけか「お雛さまを観に行こう!」「お雛さまを飾ったから見に来て!」と友人たちから、たくさんお誘いの声がかかります。
世の中全体に、古き良き習慣を見直そうという動きがあるのかも分かりませんね。
日本古来の儀式や習慣が薄れて行く中で、とても素晴らしいことだと思います。

心惹かれる斬新なデザインのものから、その土地に伝承される職人技の光るもの、江戸時代から代々受け継がれているもの、もちろん豪華な段飾りも、この数日の間に、本当にたくさんのお雛さまと出会いました。

スマホに収めたたくさんのお雛さまの写真の中から、ほんの一部ですが、ご紹介させて頂きます。
お気に召すお雛さまはいらっしゃいますでしょうか?


ステンドグラスのお雛さまが、古い日本家屋によく似合います。



うっすら桃色を帯びた陶器のお雛さま。
お部屋に凛と張り詰め空気が漂います。



さり気なくお雛さまってところが素敵。
これだと一年中飾っていそう…



お重の中のご馳走の細かな手作業に思わずため息。どのお料理も、小指の先より小さいんです。



奈良県の一刀彫りのお雛さま。
やはり上品な風格があります!
(わたくし奈良県民…)



島根県松江で友人が一目惚れしたお雛さま。売り物ではないと言われているのに、「そこを何とか」と無理を言って分けてもらったそうです。



山形県のお雛さま。



小さな小さなお雛さまも、ちゃんと何枚も着物を重ね、丁寧に作られています。


気がつかれましたか?
男雛と女雛の並び方の違い。

昔、朝廷では左大臣より右大臣の方が位が上だったことにより、向かって右側に男雛を、左側に女雛を飾りました。

ところが、明治の文明開花に伴い、左の方が位が上という西洋式に習うようになり、向かって左側に男雛を、右側に女雛を飾るようになりました。
しかし、京雛や古い時代のお雛様には、今でも男雛を右側に女雛を左側に飾る習慣が残っています。
つまり、どちらでも間違いではないのですね。



これも奈良の一刀彫り。
巫女さんが手にする三方の上のお人形さんは、季節毎に入れ替えるようになっています。
今はもちろん、可愛いお雛さまが乗っています。



小さな箱の中に、5人がお行儀よく並んでおられました。ちりめん細工ですね。



小さなガラス玉で作られたお雛さま。
影が素敵ですね。
仲良く肩を寄せ合っています。



吊り雛は見ていて浮き浮きして来ます。
一つ一つ想いを込めて作られたお飾りは、どれも優しい遊び心が溢れています。



今回、貝合わせのお雛さまにもたくさん出会いました。
これはその中の一つです。



扇型の箱の中身にとっても心が惹かれました。見ているだけで幸せな気持ちになります。



手のひらの大きさぐらいの藁で編まれたお雛さま。以前、このお雛さまが川に流されているのをテレビで観たことがあります。
流し雛なんですね。



伊賀焼のお雛さま。
ゴールドがゴージャスで、冠が王冠のように見えます。



お雛さまとお皿の鶯色がぴったり。
このお皿が食卓に登場するだけで、気分は一気にひな祭り。



江戸時代にはこれが立っていたんですね。
お雛さまも、遊び道具から、次第に飾り雛に変わっていきました。



江戸時代のお雛さま。



伊賀焼のお雛さまですが、とってもモダンです。



二つの急須、よく見ればやさしく唇を寄せ合うお雛さまです。



もう何だってお雛様に見えてしまいます。



友人の細やかな心遣いが嬉しいです。
たっぷりのよもぎを使った草餅は、春の味でした。



おばあちゃんの家の市松人形が怖かった記憶がなかなか拭えなかったのですが、なんていいお顔なんでしょう。
市松人形、欲しいなぁ…。
近々このお人形が作られている工房を訪ねます。



たくさんのお雛さまに刺激されて、今日、デスクの上に、昨年母が焼いたお雛さまを飾りました。

来年からは、私ももっとひな祭りを大切にしよう!と心に決めました。

とりあえず明日のひな祭りは、久しぶりに美味しいちらし寿司を作りましょう。





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あんこ

2015-09-20 | 日本の行事・習わし
映画「めがね」(荻上直子監督)の中で、もたいまさこ演じるさくらさんが「あんこ」を煮るシーンがたまらない。火を切る瞬間のあの張り詰めた空気。1秒早くても遅くてもいけない。じっと小豆を見つめて…焦らない焦らない…はいっ、今!

あの映画を観てから、突然、それも忙しい時に限って、私は無性に「あんこ」を煮たくなる。

その昔、小豆の赤い色は邪気を祓う魔除けの効果があると信じられ、また砂糖は超高級品だった。
つまり「おはぎ」はとても贅沢な食べ物で、特別な日にだけ、お祝い、お供え、大切な人に食べて頂くためなどに作られた。
春と秋のお彼岸に、ご先祖様に「おはぎ」をお供えするのもこうした習慣から。

ただし、春は正式には「おはぎ」ではなく「ぼたもち」と呼ぶ。それぞれ季節のお花の名前がつけられているのだ。
春は牡丹、だから「牡丹餅」と呼び、秋は萩で「お萩」。萩餅じゃないところが優しくていい。

秋は小豆も収穫したばかりで皮も柔らかいので皮も全部使う「粒あん」で、春は固くなった皮を取り除いて「こしあん」で、つまり「お萩」は粒あん、「牡丹餅」は「こしあん」というのが正式らしい。

仏教では、東はこの世、西はあの世をさし、太陽が真東から上がり真西に沈むこの日は、ご先祖に一番思いが通じる日、ということで、お彼岸の日にはご先祖に「お萩」や「牡丹餅」をお供えして手を合わせるようになったという。

どれどれ、煮えてきただろうか…

実はこれ、明日作る「お萩」の「あんこ」が煮えるのを待ちながら書いている。

さて、そろそろ火を切るころなので、このへんで。



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鬼はどこにいるの?

2013-02-03 | 日本の行事・習わし
今日は節分、「鬼は~外、福は~内」という声があちこちから聞こえてきそうですが、この「鬼は~外」という言葉を聞くたびに、私はある物語のことを思い出します。

「泣いた赤鬼」と言えば、浜田廣介さんの代表作、教科書にも取り上げられている児童文学ですが、その昔、この物語を子どもたちに初めて読み聞かせてやった時、物語の終盤、私は感極まって泣いてしまいました。子どもたちは、ひょっとしたら赤鬼が泣いたことより、母親が泣いたことのほうが印象に残っているかもわかりません。

その後、朗読でも何回か取り上げたことがあるのですが、この物語の不思議なところは、感動するところ、考えさせられるところが読むたびに違うということです。

嘘をついてまで人間と仲良くなりたかった赤鬼、それでも憎めない赤鬼、優しい青鬼、人間社会と鬼社会の壁、手に入る代わりに失うものがあるということ…子ども向きのお話と言いながら、私たち大人にとっても随分考えさせられる深い深お話です。

「鬼」の語源は「隠」、昔の人は隠れて見えないものを恐れて「鬼」という化物に仕立て上げていたのでしょう。
本物の鬼って見たことありますか?誰も見たことがないくせに、人間が勝手に想像してあんな姿かたちを作り上げたんですよね。

じゃあ鬼ってどこにいるんでしょう?私たちの心の中に潜んでいるんじゃないでしょうか?
「鬼は~外!」って、実は自分の心の中の鬼を外に出すための掛け声なのかもわからないですね。

今日が節分、そして明日は立春、いよいよ春の始まりです。
心の鬼を追い出して、晴れやかな心で春を迎えたいものです。

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花会式

2010-04-07 | 日本の行事・習わし
 薬師寺の「花会式」は正確には「修二会」と呼ばれ、奈良時代から脈々と続いてきた法要です。東大寺の「修二会」に「お水取り」という俗称がついたように、薬師寺の「修二会」には十種の色鮮やかな造花がご本尊に備えられるところから「花会式」と呼ばれるようになり、「お水取り」と同様、奈良に春を告げる行事として親しまれています…と偉そうに解説する私、5日、奈良に住み着いて28年目にして初めて友人に誘われてこの「花会式」のに参列したのでした。
 最終日、金堂の前では「鬼追い式」が行われ、鬼が現れ暴れ回り出すと、私は子どものように興奮してしまいました。千年以上も昔の人と同じことを体験しているのだと思うと何とも不思議な感じで、震えるような感動を覚えました。
 平城遷都1300年、県は奇妙なマスコットキャラクターを誕生させ、観光客を集めるのに一生懸命のようですが、本来は文化・歴史が連綿と続いたことをお祝いし、奈良の都を作った多くの先人たちの偉業に、改めて心から感謝する年、そんな年なのではないでしょうか?
 

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お水取り

2010-03-12 | 日本の行事・習わし
 東大寺のお水取りも15日の満行を控え、今夜、巨大な籠たいまつが登場し二月堂周辺の夜空を焦がしました。お堂からせり出した欄干から籠たいまつが突き出され、大量の火の粉が流れ落ちると、お堂を見上げる大勢の参拝客から大歓声があがります。
 学生のころ、京都からわざわざこの光景を見に来たものですが、奈良に移り住んでからは一度も足を運んでいません。今度こそは今度こそはと思いつつ、今年もやっぱりテレビのニュースで拝見。これではご利益もありませんね。
 お水取りとは、二月堂の本尊十一面観音に、東大寺のお坊さんたちが、人々に代わって罪を懺悔し国家の安泰と人々の豊楽を祈るという法要のことで、今年でなんと1259回目。いったい何人の人の祈りがあの火の粉に込められてきたのでしょう。
 平城遷都1300年のこの年、街のあちこちにふと歴史の重みを感じている今日この頃です。お水取りが終わると奈良にもようやく春が訪れます。
 

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