昨夜からちょっと風邪気味で、宇陀松山で買ってきた吉野本葛で葛湯を作り、ふーふーしながら飲みました。

お湯呑みに葛を小匙1杯、同量程度のお砂糖を加え、まず少量のお水で溶き、木匙でよく混ぜながら沸騰したお湯を注ぎます。
すると白く濁ったサラサラの汁が、透明なトロトロに変わります。

風邪を引いたり、お腹の調子が悪かったりすると、我が家はこの葛湯が登場したのですが、この優しい味とトロトロの食感が子どもの頃から大好きで、風邪の振りして母にせがんでよく作ってもらったものです。
近年は、葛以外のデンプンが混じったものや、外国産のものが出回り、混じりけのない国産のた本葛はとても貴重なものになってきました。
この「吉野本葛」は、先日、宇陀松山の葛屋さん「黒川本家」で買ってきたものです。ここでは、今でも昔ながらの方法で、真冬の冷たい水に何度も晒して、この真っ白い葛を作っておられます。

文豪・谷崎潤一郎は小説『吉野葛』の執筆のために吉野を歩いた際、この黒川家に逗留されました。
文豪が愛した吉野葛は、その後もずっと自宅に送られていたそうです。
昭和天皇もお元気なころから、こちらの葛を愛され、晩年、床に伏せられてからも、この葛で作る葛湯を召し上がっておられたと言います。
創業400年、タイムスリップしたような店先で、奥様が物静かな口調でお話をお聞かせくださいました。


宇陀松山は、古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
宇陀松山が城下町として発展した一つの理由は交通の要衝の地であったということ。
すぐ北を通る伊勢街道、すぐ南を通る紀州街道、この大きな二つの街道を繋ぐのが松山街道です。
古代には、壬申の乱に際し、大海人皇子ら一行がここを通ったといいます。

町並みには前川と呼ばれる水路が走り、せせらぎの音と共に独特の景観を作っています。

宇陀松山をゆったり散策した後、造り酒屋「久保酒造」に立ち寄り、店主おすすめの辛口「初霞」を購入!

宇陀川にかかる橋の上から造り酒屋さんを臨みました。
実に風情があります。

この日は観光客も殆どなく、秋晴れの空の下、歴史街道を堪能させて頂きました。

お湯呑みに葛を小匙1杯、同量程度のお砂糖を加え、まず少量のお水で溶き、木匙でよく混ぜながら沸騰したお湯を注ぎます。
すると白く濁ったサラサラの汁が、透明なトロトロに変わります。

風邪を引いたり、お腹の調子が悪かったりすると、我が家はこの葛湯が登場したのですが、この優しい味とトロトロの食感が子どもの頃から大好きで、風邪の振りして母にせがんでよく作ってもらったものです。
近年は、葛以外のデンプンが混じったものや、外国産のものが出回り、混じりけのない国産のた本葛はとても貴重なものになってきました。
この「吉野本葛」は、先日、宇陀松山の葛屋さん「黒川本家」で買ってきたものです。ここでは、今でも昔ながらの方法で、真冬の冷たい水に何度も晒して、この真っ白い葛を作っておられます。

文豪・谷崎潤一郎は小説『吉野葛』の執筆のために吉野を歩いた際、この黒川家に逗留されました。
文豪が愛した吉野葛は、その後もずっと自宅に送られていたそうです。
昭和天皇もお元気なころから、こちらの葛を愛され、晩年、床に伏せられてからも、この葛で作る葛湯を召し上がっておられたと言います。
創業400年、タイムスリップしたような店先で、奥様が物静かな口調でお話をお聞かせくださいました。


宇陀松山は、古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
宇陀松山が城下町として発展した一つの理由は交通の要衝の地であったということ。
すぐ北を通る伊勢街道、すぐ南を通る紀州街道、この大きな二つの街道を繋ぐのが松山街道です。
古代には、壬申の乱に際し、大海人皇子ら一行がここを通ったといいます。

町並みには前川と呼ばれる水路が走り、せせらぎの音と共に独特の景観を作っています。

宇陀松山をゆったり散策した後、造り酒屋「久保酒造」に立ち寄り、店主おすすめの辛口「初霞」を購入!

宇陀川にかかる橋の上から造り酒屋さんを臨みました。
実に風情があります。

この日は観光客も殆どなく、秋晴れの空の下、歴史街道を堪能させて頂きました。