御嶽山大和本宮を抱く森の麓、大渕池に注ぐ水路の脇に小さな農園を借りて三度目の春である。フキノトウが頭を出す湿地(しめじ)、ウドの新芽の芳香漂う藪、ヨモギがやわらかい葉を広げる土手、山野に春を告げる和草(にこぐさ)に出会える場所も概ねわかってきた。
農園を見下ろす土手で摘んできたヨモギで、久しぶりにヨモギ団子を作った。白い産毛に覆われたビロードのような葉の、その切り口から放たれる香りといったら。子供のころ私はこの匂いが苦手であった。それがいつのころからだろう、この香りが心地よいと感じるようになったのは。
アルテミシア(Artemisia)とはヨモギ属のラテン名で、その名はギリシャ神話の中の女神アルテミスに由来するという。アルテミスは古くは山野の女神で、豊穣や狩猟のシンボルとされていたが、のちに月の女神とされ、妊婦や出産の守護神、また子供の守護神ともいわれている。女性の心や体、出産と深い関りがあるとされる月の女神であるアルテミスは、女性そのものの守護神なのかもしれない。
アルテミスは、女性の病や出産にヨモギを処方したという。毎日のように道端で目にするあのヨモギである。それが遠い神話の時代から女性のための薬草として使われていたというのだから、単なるロマンティックな話と聞き流すわけにはいかない。
調べてみると、出てくる出てくる驚くべきその効能。フキノトウもウドも然り。この和草たちは、そのやわらかな葉や茎に、どれほど逞しい力を秘めているというのか。
踏まれても、刈られても、引き抜かれても、ヨモギが何千年もこの地球に生き長らえているのは、実は女性を護るためなのではないか。
女神アルテミスと言えば、思い出すのがこの人である。クララ・シューマン、ロベルト・シューマンの妻であり、世界的女流ピアニスト、作曲家である。
ロベルトと結婚したクララは、わずか13年半の間に8人の子供を出産する。身体も休まる間もない中、クララは子供たちの母親として、作曲家ロベルトを支える妻として、家計の一翼を担うコンサートピアニストとして、作曲家として、想像を絶する多忙な日々を送る。
ロベルト亡き後は、当代一のピアニストとして夫の作品を演奏し、夫の全作品を編纂し、その後半生を、夫の作品とその価値を後世に伝えることに捧げた。
ドイツの100マルク紙幣(日本で言うならば1万円紙幣)を飾っていたあの女性がクララであると言えば、クララという女性の凄さが伝わるだろうか。
葦垣の中の和草にこよかに 我と笑まして人に知らゆな
朝見の儀に臨まれる初々しい天皇・皇后さまお二人のご様子に、ふとこの歌を思い出した。「葦垣の中の和草のようににこやかに、私にだけそっと微笑みかけてください、決して周りの人にそれとは知られないように」、ひそやかに、それでいて深く想い合う男女の様を詠った万葉集の中の恋の歌である。
「和草」とは、やわらかい草のこと。和草の「和」は「にこにこ笑う」の「にこ」である。それは令和の「和」であり、日本そのものである。
雅子さまの前途にはこれまで以上の苦難が待ち受けているかもしれない。しかし日本の女性の代表として、どうか「和草にこよかに」、やわらかく、逞しく、乗り越えて行っていただきたい。
(新聞掲載日 令和元年5月10日)