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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

産婦人科医の勲章

2015-05-17 | 
診療終了時間を過ぎること2時間半、まだ診察が終わらない。
約束の時間はとっくに過ぎている。

「長い時間お待たせして申し訳ありません」
私が診察室に入ったときの先生の第一声である。
申し訳ないのはこちらの方である。一体朝から何人の女性の話を聴き体を診てこられたのだろうか。いっそ私が男ならホッとされただろうに、また女である。

ドクターの椅子と患者の椅子での打ち合わせがどうも落ち着かない。仕事の延長のようで落ち着かないのは先生も同じだったのか、場所を変えての打ち合わせとなった。

私は仕事がらよく喋るが、聴き手に回る時は徹底している。聴き上手であると自負している。
さっきまでは診察室であったからだと思っていたが、場所を変えてもどうも調子が出ない。すぐに聴き手を先生に取られてしまう。喋り過ぎている自分に気づいては逆転しようと試みるのだが、また気づいたら私が喋っている。
先生の前では私の聴き上手も全く太刀打ちできない。

「僕は患者さんと二人で喋る声、あなたは大勢の人を一度に相手にする声、そもそも声の出し方が違うんでしょうね。内容によっては僕はすぐ後ろに立っている看護師さんにさえ聴こえないような小声で喋りますから」と先生。

先生が話される声は、それ以上小さければ聴こえない、それ以上大きけれ心を閉ざしてしまいそうな実に絶妙な大きさである。
もちろん声の大きさだけではない。遣われる言葉も然り。それ以上やさしければ信用できない、それ以上キツければ二度と来院することはないだろう、絶妙な言葉である。

その声と言葉でたくさんの患者さんの話を聴いて来られたのだろう。それは、多くの女性に信頼される婦人科医である証し、正に勲章である。

産婦人科、女性にとって敷居の高い行きづらい所である。目的は様々であるが、みな不安の中ちょっと勇気を持って訪ねている。
医師は、そんな女性のグレーな気持ちを理解し、心を開かせ、そして場合によっては体も開かさねばならないのだ。
患者が心も体も委ねてくれなければ治療をスタートすることができないのだ。

改めて「産婦人科医」というものについて考えさせられた。

先生と診察室を離れてお話させて頂いたことで、産婦人科医として生きておられるひとりの男性の人間像を見た気がした。

帰り際にご趣味のスキューバダイビングの話になった。
ご自分が潜って採ってこられたタカラガイの話をされる少年のような姿になぜかホッとした。




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ひが のぼる

2015-01-30 | 

華やかな所、日の当たる所で生きている人が多い一方、社会の片隅、暗い影で苦しんでいる人もたくさんいる。

人が高み高みを目指す中で、日の当たらない所にあたたかい陽を落とし続けている人がいる。

「ひが のぼる」太陽のような人。居心地の良いあたたかい陽だまりのような人。
私も比嘉 昇先生のあたたかい陽に救われたたくさんの人の中のひとりである。

今朝届いたばかりの先生の心のうたをみなさんの心にもお届けさせていただきたい。
………………

不作法を ひっさげて来る少女らの
背後に深き 貧困の闇

病む母の 下で苦しむ少女なれ
言えぬしんどさ 切なさ溢れ

不登校 その因知らず いつの日か
彼の舞台は甲子園なれ

学校に 行けぬ日の夜も英数の
学び忘れぬ 少女ら愛し(かなし)

人よりも 虫と交わる野放図な
少年ゆるゆる人なかに行け

意図的に 粗く振る舞う少女なり
瞬時安らぐ空間であれ
…………………

先生は奈良市の中学校の校長を最後に退職。その退職金を全てはたいて学校に行けない子どもたちのための学校を設立された。
微力ながら、私はその学校の理事としてお手伝いさせていただいている。

昨年末、私は「ひが のぼる」と固い約束をした。
来年は二人で歌い語って回ろう!と。

すべての子どもたちに陽が当たる日を目指して。






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片時も離れるな! 加藤廣志元監督

2015-01-09 | 

12月、秋田県能代工業高校バスケットボール部元監督 加藤廣志さんとお目にかかりお話させて頂く機会があった。

加藤監督は秋田県の能代工業高校に全国タイトルを33回ももたらした「バスケットボールの神様」と言われる人で、一目お目にかかりたい、一言お話させていただきたい、と今でも全国から加藤監督の元を訪れる監督、選手が絶えないと言う。

これは後から聞いた話。
無知ということは恐ろしい。そんなことは全く知らない私は終始お気楽にとりとめな無い話を楽しくさせていただいた。
ご自分の肩書きを一言もお話にならないものだから…。
穴があったら入りたい>_<

そしてこれも後から聞いた話。

ある大阪の高校の監督さんが秋田まで加藤監督に会いに行かれた。
「加藤監督、どうやったらインターハイに行けるでしょうか?」
「今 選手はどこにいる?」
「大阪です。学校で練習しています」
「こんなところに来ていないですぐに帰りなさい!片時も選手から離れるな。常に選手と行動を共にし選手一人ひとりのことをきちんと知っている、それが監督だ!」
先生はすぐに選手の元に戻られた。
そしてほどなくチームをインターハイに連れて行かれた。

「片時も選手から離れない」とは一から十まで手とり足とり教えることではなく、また物理的に離れないのとも違うと思う。その覚悟で選手たちに寄り添えということだろう。

これはすべてのリーダーに。いや家族のありかたなどにも通じる話だと思う。

御ん年78歳、穏やかな加藤監督のお顔とこの厳しいお言葉を胸に刻んで歩んでいきたい。


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オードリー・ヘプバーンと母と私

2013-07-01 | 
母の実家は写真館で、祖父、つまり私のひいおじいさんに当たる人が、そのころでは時代の先端を行くカメラマンでした。
そんなこともあり、昭和5年生まれの母ですが、若い頃、写真館で写したおしゃれな写真がたくさん残っています。

その中に、これは明らかにオードリーを意識しているだろうという写真が何枚かあります。
ショートカットに太い眉毛、もともと目が大きくはっきりした母のその顔は、ほんのちょっとだけオードリーに似てないでもないのですが(ほんとにほんのちょっと)、満面の笑みを浮かべて、それはそれはすっかりスター気取りで写っています。

母の自慢はオードリーと同い年とうこと。
それがどうしたの?って感じですが、母にとってはとても大きなことなのです。
そんな母の影響もあり、テレビで洋画が放映されるようになったころから、私もオードリーをとても意識して見ていました。
そして、いつのころからか(恐らく小学生の頃から)、私は「オードリー・ヘプバーンのような女性になりたい」と思うようになっていました。

高校生のころには、あの華奢なスタイルに憧れてかなりハードなダイエットをしたこともありますし、また「ローマの休日」の影響を受けて髪をバッサリ切ってショートカットにしたこともありました。

いつごろからでしょうか、私はオードリーの内面をみるようになり出しました。恐らく伝記を読んだことがきっかけだと思います。
彼女の内面、知性がにじみ出る、表情、仕草、言葉…そのすべてに憧れましたが、とくにあの笑顔の魅力に私は強く惹かれるようになりました。
悲しみを乗り越えた笑顔…。

ちょっと心がきついとき、私は彼女の笑顔を見て、負けないぐらいの笑顔で応えるようにしています。

●「マイ・フェア・レディ」の撮影中、ワーナー・スタジオに自転車で出勤するオードリー。私が一番好きなオードリーの笑顔










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堀文子さんという女性

2011-09-19 | 
今朝、日本画家、堀文子さんの特集番組「群れない、慣れない、頼らない」という彼女の生き方に作家の戸井十月氏が迫るヒューマンドキュメンタリー(NHK)を見ました。
彼女の絵「ブルーポピー」に魅せられた友人の影響を受けて、いつしか私も彼女の大ファンになりました。尊敬する女性は?と訊かれたなら、迷わず「堀文子さんです」と答えます。
93歳となられた今も、チャレンジ精神をもって新作に挑まれる溌剌としたお姿、魅力あるお話、説得力のある生きたお言葉に、感動を越え、私は大きな衝撃を受けました。この年からでは…と何かとうじうじして前に進めない近頃の私は、一発思い切り殴られた気分でした。
52インチの地上デジタル波テレビの画面いっぱいにお顔がアップになっても、なんと美しいこと…、同じ女として惚れ惚れしてしまいます。とてもとても93歳なんてお年には見えません。「息の耐えるまで感動していたい」と語る彼女の眼は幼い子供のように輝いていました。
画面に映る堀さんのお姿に「年を重ねたから老いるのではない、理想を失ったそのときから人は老いるのである」という誰だったかの言葉を思い出しました。
私が心から尊敬する女性、堀文子さんのことを今ここで語りだすと延々止まらないので、今日は、番組の中で堀さんが口にされた言葉でとても心に残ったことを書きたいと思います。

何の得にもならないこと、効率的でないこと、それらが人々にとって「無駄」なこと。しかしその「無駄」こそが大切、無駄の中に美があり真実がある。得を求めるようになったらそこには真の美はない。美とは、生き生きしていること、生命力があること。美とは永遠に輪廻する命のこと。

夕方、家族に言われて今日が「敬老の日」であることに気がつきました。『あぁ、それで堀文子さんの特集番組だったのか…』
彼女の姿から「敬老の日」を連想することは全くできません。
「敬老」なんて言葉がおよそ似つかわしくないその凛としたお姿、自信、輝きに満ちたそのお顔、人を惹きつけるお話、お言葉、私もあんな風に年を重ねたい!《年の重ね方》を思う「敬老の日」となりました。



Official Site
http://cotonohacobaco.com/

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