言の葉ノート 

心ときめくこと
徒然なるままに


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「お水取り」は穴場で

2017-03-07 | 奈良の風景


いよいよ東大寺二月堂の修二会の行が始まりました。
大和の春も、もう直ぐそこです。

修二会は、752年に創始され今日に至るまでの1260有余年、一度も欠けることなく連綿と受け継がれてきた「不退の行法」です。
修二会というより「お水取り」という方が私たちはしっくりきますね。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)、若狭井という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」が汲み上げられます。これが「お水取り」の行なのですが、いつの間にか、修二会自体を「お水取り」と呼ぶようになりました。

「お水取り」と言えば、何といっても火の粉を撒き散らすお松明ですが、実はあのお松明は練行衆の道明かりで、修二会の期間中、10本のお松明に夜ごと火が点けられ、火の粉を撒き散らしながら、二月堂の回廊を駆け巡ります。

10本のお松明に加え、大きな籠松明が上堂する12日夜、全てのお松明が一同に欄干に並ぶ14日夜のクライマックスを前に、6日夜、友人らと修二会に行って来ました。

クライマックスには、全国・全世界から押し寄せる何万人もの人で、とても寄り付けないほどの混雑なのですが、それまでの夜は比較的人も少なく、特に月曜日〜金曜日の夜は穴場です。

夕方5時ごろぐらいまでに行けば、二月堂に上がることができ、直ぐ目の前でお松明の行を見ることができます。
二月堂に上がらなくても、直ぐ下の芝生の特別席を陣取ることができます。

明日から3日間の夜はまだまだチャンスです!


夕方5時、いざ二月堂へ。
それにしても二月堂裏参道は、信じられないくらいの静けさです。



二月堂の階段。
お松明が出番を待っています。



欄干や廊下など、二月堂の回廊に丁寧に水が散布されます。
防火対策も万全です。



奈良の街が闇に沈み始めました。
左側の天に伸びるシルエットが、二月堂の良弁杉です。



インクブルーの空に二月堂の灯や、ろうそくの火が幻想的に浮かび上がります。
さて、まもなくお松明が上がって来ます。





二月堂周辺は、いつの間にか人で埋め尽くされています。
会場には英語、中国語、韓国語…各国の言語でアナウンスが流れています。
まもなく、会場の全てのライトが消されます。



7時。お松明が上がって来ました。
火の勢いが想像以上です!



練行衆が欄干にお松明を転がしながら回廊を走ります。







練行衆も回廊も火の粉まみれです。
そこへ、竹箒を持ったおじさんが現れて、欄干に飛び散った火の粉を素早くはき落とします。



回廊を駆けるお松明は全部で10本。
クライマックスの日のお松明に負けじと劣らずの圧巻です。
ぜひ、この幻想的かつ荘厳な行を、穴場で体験してください。











浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)…『じごくのそうべえ』の世界

2017-03-05 | 絵本
人は死ぬと、まず閻魔(えんま)様の前で裁判を受けることになります。
天国行きか地獄行きか、閻魔様のお裁きを受けるというわけです。

閻魔様は手元のメモ帳を見ながら死者の罪状を述べます。これが閻魔帳です。
閻魔帳には罪ばかりでなく、善行も書いてあります。

ここで嘘をつくと舌を抜かれてしまうわけです。
それが嘘かどうか、なぜ閻魔様に分かってしまうかと言うと、閻魔様は、その人の生前の行動をそのまま映し出す水晶でできた大きな鏡を持っています。
これが浄玻璃(じょうはり)の鏡です。
この鏡は、その人の行動が周りの人をどれほど喜ばせたか、悲しい目に合わせたか、それまで映し出すのです。



閻魔様の後ろで光っているのが「浄玻璃の鏡」です。
『じごくのそうべえ』(田島征彦 作/上方落語 地獄八景より)の中で、大人も子供もみんなが一番ドキドキする場面です。


「あれが閻魔大王や」
「えらい顔しとんのう」
「後ろにあるのが浄玻璃の鏡や。あの鏡に今までやった悪いことが全部映ってしまうんやさかい嘘言えへんで。嘘言うたら舌抜かれるぞ」
「ほんまに生きとる間に、もうちっと善いことしといたらよかったな」


ここで自分の生き様を客観的に見せられ、自分の人生の意味や、己の罪を知るわけです。
そして反省したり後悔したり…。

でも、もう少し早く、そう、生きている間にこの「浄玻璃の鏡」を見ることができたらいいと思いませんか?

浄玻璃の鏡って、だれもが心の中に持っているものじゃないかな、と最近思うのです。
自分のしていること、しようとしていることを時々この鏡に映し出して客観的に眺めてみたら…歩むべき道が自然に見えてくるような気がします。

『じごくのそうべえ』子どもが小さいころ何度も何度も読み聴かせした絵本を、朗読会の読本に取り上げて、今、仲間たちと味わって読んでいます。


「こりゃ、ごちゃごちゃすなよ。川にはまったら生きるぞ」
「生き返るんや言うてまっせ。はまりたいなあ」
「これこれ何を言う。こんなところで生き返られたら、わしの責任になる。もっと中の方に入っとれ」




この三途の川を渡り切ると、いよいよ地獄の入り口です。
閻魔様の浄玻璃の鏡が待っています。
川にはまりたい人の気持ち、ようわかります(笑)

さすが上方落語!軽妙な関西弁が気持ちよくて楽しくて、笑いが止まりません。

ハラハラドキドキ、大人も子供も楽しめる上方落語がもとになった絵本『じごくのそうべえ』、人生やり直せるものならやり直したい…なんて大人もちょっと反省する本。

一家に一冊あって損しない絵本、です!



お雛さまがいっぱい

2017-03-02 | 日本の行事・習わし
息子が二人、長年、お雛さまとは全く縁のない私でしたが、今年はどういうわけか「お雛さまを観に行こう!」「お雛さまを飾ったから見に来て!」と友人たちから、たくさんお誘いの声がかかります。
世の中全体に、古き良き習慣を見直そうという動きがあるのかも分かりませんね。
日本古来の儀式や習慣が薄れて行く中で、とても素晴らしいことだと思います。

心惹かれる斬新なデザインのものから、その土地に伝承される職人技の光るもの、江戸時代から代々受け継がれているもの、もちろん豪華な段飾りも、この数日の間に、本当にたくさんのお雛さまと出会いました。

スマホに収めたたくさんのお雛さまの写真の中から、ほんの一部ですが、ご紹介させて頂きます。
お気に召すお雛さまはいらっしゃいますでしょうか?


ステンドグラスのお雛さまが、古い日本家屋によく似合います。



うっすら桃色を帯びた陶器のお雛さま。
お部屋に凛と張り詰め空気が漂います。



さり気なくお雛さまってところが素敵。
これだと一年中飾っていそう…



お重の中のご馳走の細かな手作業に思わずため息。どのお料理も、小指の先より小さいんです。



奈良県の一刀彫りのお雛さま。
やはり上品な風格があります!
(わたくし奈良県民…)



島根県松江で友人が一目惚れしたお雛さま。売り物ではないと言われているのに、「そこを何とか」と無理を言って分けてもらったそうです。



山形県のお雛さま。



小さな小さなお雛さまも、ちゃんと何枚も着物を重ね、丁寧に作られています。


気がつかれましたか?
男雛と女雛の並び方の違い。

昔、朝廷では左大臣より右大臣の方が位が上だったことにより、向かって右側に男雛を、左側に女雛を飾りました。

ところが、明治の文明開花に伴い、左の方が位が上という西洋式に習うようになり、向かって左側に男雛を、右側に女雛を飾るようになりました。
しかし、京雛や古い時代のお雛様には、今でも男雛を右側に女雛を左側に飾る習慣が残っています。
つまり、どちらでも間違いではないのですね。



これも奈良の一刀彫り。
巫女さんが手にする三方の上のお人形さんは、季節毎に入れ替えるようになっています。
今はもちろん、可愛いお雛さまが乗っています。



小さな箱の中に、5人がお行儀よく並んでおられました。ちりめん細工ですね。



小さなガラス玉で作られたお雛さま。
影が素敵ですね。
仲良く肩を寄せ合っています。



吊り雛は見ていて浮き浮きして来ます。
一つ一つ想いを込めて作られたお飾りは、どれも優しい遊び心が溢れています。



今回、貝合わせのお雛さまにもたくさん出会いました。
これはその中の一つです。



扇型の箱の中身にとっても心が惹かれました。見ているだけで幸せな気持ちになります。



手のひらの大きさぐらいの藁で編まれたお雛さま。以前、このお雛さまが川に流されているのをテレビで観たことがあります。
流し雛なんですね。



伊賀焼のお雛さま。
ゴールドがゴージャスで、冠が王冠のように見えます。



お雛さまとお皿の鶯色がぴったり。
このお皿が食卓に登場するだけで、気分は一気にひな祭り。



江戸時代にはこれが立っていたんですね。
お雛さまも、遊び道具から、次第に飾り雛に変わっていきました。



江戸時代のお雛さま。



伊賀焼のお雛さまですが、とってもモダンです。



二つの急須、よく見ればやさしく唇を寄せ合うお雛さまです。



もう何だってお雛様に見えてしまいます。



友人の細やかな心遣いが嬉しいです。
たっぷりのよもぎを使った草餅は、春の味でした。



おばあちゃんの家の市松人形が怖かった記憶がなかなか拭えなかったのですが、なんていいお顔なんでしょう。
市松人形、欲しいなぁ…。
近々このお人形が作られている工房を訪ねます。



たくさんのお雛さまに刺激されて、今日、デスクの上に、昨年母が焼いたお雛さまを飾りました。

来年からは、私ももっとひな祭りを大切にしよう!と心に決めました。

とりあえず明日のひな祭りは、久しぶりに美味しいちらし寿司を作りましょう。





富良野GROUP『走る』 倉本聰×中村龍史 奇跡の舞台

2017-02-15 | 徒然なるままに
「人は何のために走るのか、何に向かって走るのか」
深く考えさせられました。
震え立つ感動、込み上げる躍動…
久しぶりに、清々しい、瑞々しい舞台に出会いました。

作・共同演出:倉本聰
演出:中村龍史
富良野GROUP特別公演 『走る』

数々の名作を生み出してきた倉本聰と身体表現を要とするパフォーマンスで世界に名を馳せた中村龍史、この奇跡のコラボレーション、並みの作品になるわけがないことはわかっていました。
しかし、その舞台は想像を遥かに超えるものでした。

大掛かりな道具も何もなく、ただひたすら演者が舞台を縦横無尽に駆け抜けぬける、まさかの演出でした。
駆け抜けるといってもたかだか舞台のあのスペースじゃないか…と思うのが我々凡人の考えること、あの小さな舞台が何十キロ、何百キロの広大な大地に見えるのです。一年中走っているという莫大な時間に感じるのです。
観客皆が、演出の魔法にかかっていきます。
自分は席にじっと座っているだけなのに、息が切れてくるような不思議な感覚に陥ります。

心臓の鼓動にも聞こえる力強い足音、あまりにも美しい走るフォーム。殆ど前に進んでいないはずなのに、風を切って前へ前へと駆け抜けているかのように見せる表現術、そんなことに圧倒されている間に、次第に、ランナーたちが自分の走る姿に自分の人生を映し出している「人間ドラマ」であることがわかってきます。
気がつけば、何度も涙が頰をつたいました。

倉本聰さんは、映画・ドラマ・演劇が届ける感動が、スポーツがもたらす大きな感動になぜ及ばないのかという葛藤を、長年感じておられたといいます。
両氏が命を懸けて作り上げられた『走る』、この舞台は、まさに「スポーツ」と「演劇」の融合、それぞれの感動を一つにすることに成功されたもの、そんな作品であることは、観れば誰もが気づくことだと思います。

帰り、マラソンのゴール直後のやり切った感に紅潮しているかのような感覚の中で、倉本聰さんと握手させて頂きました。
ふっくら柔らかい手に込められた力を感じた瞬間、生きている喜びが込み上げてきました。
原点に戻って生きていこうと思います。

人間は人間らしく、
自然は自然らしく、
今日という日に感謝して…。


飛鳥時代の幻のチーズ「蘇」を訪ねて

2016-11-28 | 奈良の風景
「チーズ発祥の地 奈良」この言葉を探っていくと飛鳥時代の「蘇(そ)」なるものに辿り着きました。

飛鳥のころ、仏教と共に大陸から牛乳の薬効や牛の飼い方などが都に伝わってきました。
7世紀の末には、天香久山の麓で牛が飼われ、その乳から「蘇」が作られていたという記録が残っているそうです。

「蘇」とは今のチーズに近いもので、牛乳を焦げ付かないように撹拌しながら7〜8時間熱し、水分を飛ばして固形にしたものです。
当時、貴族や皇族の間で、医薬、滋養強壮、美容、不老長寿の妙薬として広まり、そして700年の11月、「貢酥(蘇)の儀」を発令し、諸国から朝廷に「蘇」を納めさせるまでにいたりました。
お偉方がそうまでして食べたかった、そうとう美味なるものだったのでしょう。
ちなみに、11月11日がチーズの日になったのは、1300年以上昔のこの「貢酥の儀」の発令された月に由来するとは驚きです。

庶民には夢のまた夢、口に入ることはなかった超高級食品「蘇」、貴族たちが夢中になった「蘇」、いったいどんな味だったのかとても気になります。

奈良県橿原市、天香久山の南麓の牧場で、飛鳥時代の「蘇」を、当時の製法のままに復元し販売されていると知り、早速訪ねてみました。

衛生上、工場に入ることができなかったので、この牧場で「蘇」の担当、責任者でいらっしゃる奥様が、写真を元に丁寧にご説明してくださいました。
温度、湿度など自然に左右される「蘇」作り、牛もまた自然のもので、お乳の成分が一定ではないので、同じように作っていても、その時によって味が違い、失敗することもあると、そのご苦労を聞かせてくださいました。


毎朝、牧場で絞られる新鮮な生乳のみで作られます。添加物は一切なし。材料は生乳のみです。焦げ付かないように撹拌しながら熱していきます。



水分が蒸発し粘りが出てきました。



やや飴色に変わり、さらに粘りが出てきました。かなり量が減りました。



いよいよ固まって来ました。生乳がこの状態になるまでには7〜8時間かかります。量は約10分の1になるそうです。



型枠に入れます。



お豆腐のように切り分けて、出来上がり。



ほんのり甘いチーズ?甘さを抑えた生キャラメル?奥深くにバターの味も感じます。
美味しい!!



美味なるものが世の中に溢れている今これを口にしても美味しいのです。1300年前にこれを口にした人は、さぞかし驚いたことでしょう。世の中にこんなに妙なる味の食べ物があるなんて…。
貴族たちがハマったそのわけがわかります。
ちなみに、当時は栄養の摂り過ぎで成人病を抱える貴族がたくさんいたとか。
「蘇」に限らず、全国から集まってくる美味しいものを、毎日食べていましたからね。
帰りに、ミルク工房で、搾りたての牛乳で作った温かいミルクコーヒーをいただきました。


「飛鳥の蘇」ネット販売もされているようです。気になる方はお試しあれ。





葛湯 ー歴史街道「宇陀松山」を歩く

2016-11-01 | 旅の風景
昨夜からちょっと風邪気味で、宇陀松山で買ってきた吉野本葛で葛湯を作り、ふーふーしながら飲みました。


お湯呑みに葛を小匙1杯、同量程度のお砂糖を加え、まず少量のお水で溶き、木匙でよく混ぜながら沸騰したお湯を注ぎます。
すると白く濁ったサラサラの汁が、透明なトロトロに変わります。


風邪を引いたり、お腹の調子が悪かったりすると、我が家はこの葛湯が登場したのですが、この優しい味とトロトロの食感が子どもの頃から大好きで、風邪の振りして母にせがんでよく作ってもらったものです。

近年は、葛以外のデンプンが混じったものや、外国産のものが出回り、混じりけのない国産のた本葛はとても貴重なものになってきました。

この「吉野本葛」は、先日、宇陀松山の葛屋さん「黒川本家」で買ってきたものです。ここでは、今でも昔ながらの方法で、真冬の冷たい水に何度も晒して、この真っ白い葛を作っておられます。


文豪・谷崎潤一郎は小説『吉野葛』の執筆のために吉野を歩いた際、この黒川家に逗留されました。
文豪が愛した吉野葛は、その後もずっと自宅に送られていたそうです。
昭和天皇もお元気なころから、こちらの葛を愛され、晩年、床に伏せられてからも、この葛で作る葛湯を召し上がっておられたと言います。
創業400年、タイムスリップしたような店先で、奥様が物静かな口調でお話をお聞かせくださいました。




宇陀松山は、古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている地区です。
2006年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

宇陀松山が城下町として発展した一つの理由は交通の要衝の地であったということ。
すぐ北を通る伊勢街道、すぐ南を通る紀州街道、この大きな二つの街道を繋ぐのが松山街道です。
古代には、壬申の乱に際し、大海人皇子ら一行がここを通ったといいます。


町並みには前川と呼ばれる水路が走り、せせらぎの音と共に独特の景観を作っています。


宇陀松山をゆったり散策した後、造り酒屋「久保酒造」に立ち寄り、店主おすすめの辛口「初霞」を購入!


宇陀川にかかる橋の上から造り酒屋さんを臨みました。
実に風情があります。


この日は観光客も殆どなく、秋晴れの空の下、歴史街道を堪能させて頂きました。

上野天神祭で鬼見物

2016-10-24 | 旅の風景


400年の伝統を今に伝え、町人文化の栄華を偲ぶ伊賀上野最大の秋祭、国指定重要無形民族文化財にも指定されている「上野天神祭」に行ってきました。

雲一つない祭日和、念願の鬼行列を目の前で観てきました。
悪鬼(あくき)、般若(はんにゃ)、赤小鬼、役行者(えんのぎょうじゃ)など、百数十体もの鬼たちが行列をつくり、古来から決められた順番に並んで、上野の城下町を練り歩きます。

重さ120キロあるという大御幣の向こうに鬼の先頭、悪鬼の姿が見えました。


悪魔を降伏させ疫病を退散させる悪鬼。
お顔もさることながら、歩き方が怖い。


無面の可愛らしい小鬼達の列が続きます。
この中には去年まで沿道で鬼を見て泣いていた子がたくさんいるんでしょうね。
みんな習った通りの鬼歩き。お顔まで凛々しい。


役行者(阿古父尉-あこぶしょう)


お面を付けた子ども達の列が続きます。
大きな無表情の顔にアンバランスな体が妙に不気味。




名物、ひょろつき鬼の登場。大きな釣鐘を背負って右に左にひょろつき、滑稽な仕草で沸かせます。
沿道の子ども達の泣き声や悲鳴もピークに。
鬼に泣かされると、かんの虫が落ちるとかで、泣かない我慢強い子どもを抱いて、鬼を追いかける親御さんの姿も。



私の横の2歳ぐらいの男の子は、小さな手で目を覆い、震えながらも懸命に泣くのをこらえていました。
親御さんは少々がっかりな様子でしたが、いやいや偉い!思わず拍手。


ひょろつき鬼たちは行列を先導して、道いっぱいによろけながら、沿道の見物客を下がらせる役割もあるとか。
確かに、目の前にやってくると、思わず身を引いてしまいます。
幾つになっても鬼はやはり気持ちの良いものではありませんね。

紺屋町の集会所で行列の出発を待つ小さな女の子…と分かっていても、やっぱり怖い。


このお祭りは、毎年10月23・24・25日に行われます。絢爛豪華なだんじりの巡行も見ものです。
伊賀城下町の伝統のお祭り、ぜひお出かけ下さい。オススメです!

ベートーヴェン式コーヒーの淹れ方

2016-10-05 | 徒然なるままに
味覚の秋、毎朝飲んでいるコーヒーまで、何か急に味わい深く感じます。

10月はコーヒーの新年度。世界有数のコーヒー生産国であるブラジルが、コーヒー豆の収穫・出荷を行うのが主に9月で、市場にコーヒー豆が出回るのが10月ぐらいからになるからだそうです。
そして10月1日は「コーヒーの日」、この日が選ばれたのは、コーヒー新年度の始まりであることもですが、秋の深まりと共にコーヒーの需要が増えてくるということにも関係しているそうです。

せっかくコーヒーの新年度が始まったのですから、今朝、昨日買ってきたばかりのコーヒーを、ベートーヴェン式で淹れてみました。
ベートーヴェンは毎朝60個の豆を数え上げ、自慢のミルで挽いてコーヒーを淹れていたというコーヒー愛好家です。
59個でも61個でもダメ、きっちり60個なのです。

60個のコーヒー豆。慎重に数えました、2回も!豆はキリマンジャロです。


ウン十年前、友人が結婚祝いにくれた仕舞い込んでいた手動のミルを出してきて、丁寧に挽きました。


あれ、これだけ?
いつもの量の半分ぐらいしかないような気がします…


小さめのカップを選びましたが、一杯分のお湯を注ぐと、薄い!
ベートーヴェンは薄めのコーヒーが好きだったのでしょうか、それともデミタスカップのようなもっと小さなカップで飲んでいたのでしょうか…



いずれにしても、コーヒーの覚醒効果がベートーヴェンの音楽作りにどれほど影響を与えていたのか、気になるところです。
モーツァルトもコーヒーを愛した作曲家、バッハにいたっては一日に何十杯も飲んだと言います。
もしコーヒーがなければ、音楽の歴史は変わっていたかもわかりません。

さて、明日の朝はお湯の量をもう少し減らしてリベンジです。

日本画家関雪入魂の庭園で頂いた至福の一杯

2016-09-23 | 旅の風景
大文字山の麓、銀閣寺のそばに静かに佇む白沙村荘橋本関雪記念館を訪れました。

こちらの庭園内の新美術館で、デミタスカップの国内最大級のコレクターである村上和美さんのコレクション約1600点から選りすぐりの500点のカップを鑑賞させて頂きました。



繊細かつ煌びやかなデミタスカップ達が織りなす空間は、まるでおとぎの国に迷い込んだよう…
心の奥底にしまい込んでしまっていた懐かしい美意識が呼び覚まされたような不思議な気持ちになりました。
いつの頃からでしょうか、「白がいいね」「土の匂いのするもの、土の肌触りがいいね」という風潮に流されてしまったのは。


白も土の感触も好きです。
でも、やっぱり美しいものは理屈抜きで美しい、いつまでもこんなカップが似合う女でいたい…そんなことをあれこれ想いながら、夢のような時間を過ごさせて頂きました。




会場に入ると、いきなり「この中から3点お好きなカップを選んで下さい」とアンケート用紙を渡されました。
『500点の中から3点⁈選べるわけないでしょう…』と思っていましたが、選べるものなんですね。
「自分の好み」を改めて認識する貴重な機会となりました。(どれを選んだかは秘密です)

コーヒータイム。
和美さんがコーヒータイムのために選出された限定カップの中から好きなカップを選んで、それでコーヒーを頂きながら和美さんのお話を伺うという嬉しい企画。

私が選んだのはこれ。




雨の庭園を眺めながら茶室で頂く至福の一杯。
この日の和美さんの品の良い白と紺の装いがカップの華やかさを一層引き立てていました。



さて、最後にこの美しい庭園について少しだけ触れさせて頂きます。

日本画家の橋本関雪が1913年から30年以上の時を費やして築いた庭園で、存古楼と呼ばれる関雪の大画室や、茶室、持仏堂などの建物が点在し、また庭園には平安から鎌倉期に制作された数々の石造美術品が配されています。
石の配置ひとつに至るまで関雪の好みが随所に反映された、日本画を見るような見事な空間が広がっています。
「庭を造ることも、画を描くことも一如不二(いちにょふじ)のものであった」とは関雪の晩年の言葉。
雨に濡れる日本画家入魂のお庭で素晴らしい一日を過ごさせて頂きました。








采女祭 ー古都の名月の夜を彩る王朝絵巻

2016-09-19 | 奈良の風景
古都奈良の夜を彩る風雅なお祭り「采女祭」が9月15に行われました。

昨年に引き続き、今年も池を巡るお船の上で『やまと采女ものがたり』(2016年采女祭バージョン 脚本・作曲/中橋怜子、効果音/大橋了久)の〈うた語り〉をさせて頂きました。

奈良の時代の帝とひとりの采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)との悲恋の物語。その内容については、また改めて綴らせて頂くとしまして、中秋の名月のもと、猿沢池に繰り広げられた王朝絵巻さながらの雅やかな光景を、みなさんから頂いたたくさんの画像の中からほんの一部ですがご紹介させて頂きます。

愛らしいミス采女さんたち。




まるでタイムスリップしたかのような光景


百人一首から抜け出してきたような大和美人のお嬢さん


うた語り船、出航。


船は池の畔に沿ってゆっくり進みます。




お祭りのクライマックス。秋の七草で美しく飾られた花扇が猿沢池に投じられ、采女の霊が慰められます。


無事に終了!
大活躍!「采女祭」担当、奈良観光協会の嶋田さんと。お月様も雲の合間からお顔を出して祝福!


効果音の演出で〈うた語り〉をぐっと盛り上げてくださった大橋さんと。


オマケ
出航前の準備中。帝に扮する観光協会・采女祭保存会会長 乾さんがパチリ!緊張をほぐして下さいました。




猫と暮らしてみれば

2016-08-21 | 徒然なるままに
猫がこんなに朝が早いとは知らなかった。
毎朝6時前になると所定の場所にきちんとお座りし、
『おはようございます。お腹が空きました。早くご飯にしてください!ミャ〜〜ン』
と透き通るような美しい声で鳴く。
どうやら体の中に正確な時計をお持ちのようだ。
以前のように深夜1時、2時に寝ていたのではとても体が持たない。なかなかキリがつかない仕事はさっさと諦めてとりあえず早く寝る。そして朝やることに。

日に日に行動範囲が広がってくる。隙間裏側…なぜそこに、というところが特にお好きなようだ。
ある日、頭に綿ぼこりを乗せて悠々と私の前を通過。
『見える所だけしか掃除していないだろ』
と言わんばかりである。
滅多に掃除しなかった家具の隙間、裏側、見えない所の掃除の日々である。

いたずらも日に日にエスカレートしてくる。
往復ハガキの、よりによって返信用のハガキがやられてしまった。歯型だらけで一部角がなくなっている。
仕方がないので電話でお返事をし、慌てて、机に積み上げていた本や手つかずの書類、小物なども整理し、引き出しや本棚に徹底的に片づけ切る。「ざまあみろ」と小声で言ってみる。

猫を家の中で飼うなど不衛生、人間の健康まで脅かされる…と長年思い込んでいたが、子猫を飼わざるをえなくなって2ヶ月、我が家は見えない所まで掃除が行き届き、モノが散乱することもなく、整然と片づいている。
その心地良い空間は、猫の行動範囲に合わせて上へ上へ、隅へ隅へと広がっている。
片付いた机でする早朝の仕事がこれほどはかどるとは思わなかった。

猫と暮らしてみれば、

我が家に規律正しいリズム、健全な生活が舞い込んできた。

亡くなった義父と入れ替わりにやってきたこの猫の使命に、今頃やっと気づいた飼い主である。

今日も「見張り番」の目は厳しい。














幻の紫陽花 シチダンカ

2016-05-23 | 草花
文政6年(1823年)に長崎のオランダ商館付きの医師として着任したシーボルトは、プラントハンターでもあり、西洋医学を日本に広めながら、一方で日本の植物を熱心に採取しました。
シーボルトは帰国後に著した『フロラ・ジャポニカ』(日本植物誌)の中で、日本の紫陽花として「ハイドランゲア・ステルラタ」和名「シチダンカ(七段花)」を紹介しました。
しかしこの紫陽花の所在は全く分からず、この花を見たという情報も標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。

シーボルトが日本で発見してから130年間「幻の紫陽花」であった「シチダンカ」が発見されたのは昭和34年7月5日、六甲山ケーブルの沿線で六甲山小学校の職員によって偶然発見されました。
その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされ、現在では各地の庭園に植えられ、また庭木としても親しまれています。

先週、その「シチダンカ」が友人の庭から我が家の庭にやってきました。丁寧に丁寧に梱包され、まるでお姫様のご到着!
その時はまだ固い蕾だったお花が、今日、ついに開きました。

夕方の空の色を写したような、
お星様のような、
愛らしいお花。

線香花火のような、
ガラス細工のような、
可憐なお花。

シチダンカに、そして、
友に、
ありがとう。









長浜 旧開智学校

2016-05-23 | 旅の風景
長浜の町を歩いてきました。
母が生まれ育った町で、私も小さい頃から何度も何度も行った懐かしい町です。

祖父も祖母も他界、親戚もみなこの地を離れてしまい、すっかり遠のいていたのですが、先日、明治初期に建てられた「擬洋風建築」を探していると、なんと長浜にその貴重な建物が残っているということを知り、さっそく長浜へ!

改めて見ると何とレトロな町並み、子ども頃はただ古いと思っていた町が、実はこんなにモダンでノスタルジックな魅力溢れる町だったとは…。

さて、色々気になりますが、今回のお目当は「旧開智学校」、時間もないので目的の建物に直行です。

開国と同時に訪れた洋風建築ブーム。それは瞬く間に日本中に広まり、地方の洋風建築は地方の宮大工らの手に委ねられました。
伝統の技が光る「和」と宮大工らの創意工夫が盛り込まれた「洋」が入り混じる独特な洋風建築「擬洋風建築」が次々と地方に生まれて行きました。そのひとつが、ここ長浜に今も残る「旧開智学校」です。

明治7年に建てられた木造3階建、八角の塔屋、白壁に緑の木枠の上下窓、アーチ型の玄関に優美な木柱、交差点にぽつりと立つ文明開化の名残り。

開国当初の情報不足の時期に生まれた「擬洋風建築」の貴重な建物、長浜「旧開智学校」、大切にしたいものです。

「旧開智学校」から東に歩くこと7~8分、同じ大通りに面する藤本屋さんで、今回のもう一つのお目当「がらたて」を購入して、帰路につきました。



子ども頃から何気なく食べていた「がらたて」。長浜にしか売ってないと知ったのは大人になってからのこと。母へのお土産も忘れずに!中はあっさり美味しい粒あんです。


針江 生水(しょうず)の郷を訪ねて

2016-02-18 | 旅の風景
春の足音が聞こえてきそうな温かな陽射しの中、滋賀県高島市針江、生水(しょうず)の郷を現地の方に案内していただきました。

澄み渡る豊かな湧き水と、その水を守り生かす人々の生活、意識の高さ、素晴らしき「かばた文化」に触れ、感動、感動の一日でした。

針江地区では、各家々に美しい水が湧き出す水場「かばた(川端)」があります。
湧き出した水は「壺池」に注ぎ、隣の「端池」に溢れ出します。「壺池」の水は飲料水などに、「端池」の水は食器や野菜を洗ったりするのに使われます。
「端池」には鯉が泳いでいて、ご飯粒など食器の汚れをきれいに食べてくれます。
その他、「かばた」を利用する集落の人々の間には厳しいルールや、川の掃除などの面倒な作業があり、そのお陰で、流れる水はどこを覗いても限りなく澄み渡り美しく保たれています。

昨日の宇陀市室生「深野」、そして今日の高島市「針江」、二日連続で訪問した2つの地区が教えてくれたこと、それは、かけがえのない水や自然、それらを守るということは、水や自然と人との繋がり方を守るということ。
それはまた、人と人との信頼の絆がなければ成しえないということ。
そして、守ることは時に大きな攻めであるということ。

今回、新聞の取材で訪問した「深野」「針江」の皆様、温かくお迎えくださり、また、丁寧に分かりやすくご説明、ご案内してくださり本当にありがとうございました。

今も目を閉じれば、二つのふる里の清らかな水のせせらぎの音が聴こえてきます。


生水の郷、針江。澄み渡る豊かな湧水が集落を勢いよく流れます。


各家々には「かばた(川端)」という湧水の水場があり、飲料水、生活用水として利用されています。鯉が苔や食べカスのお掃除に大活躍です。


こちらの「かばた」には、大きな鯉に混じって少し小ぶりの鱒の姿も見えます。水がどれほど美しいかがよくわかります。


道端の水路、溝にも、いたるところに悠々と鯉が泳いでいます。


深野 ささゆりの里を訪ねて

2016-02-16 | 奈良の風景
小雪舞う、奈良県宇陀市室生深野を現地の方に案内して頂きました。

「にほんの里100選」にも選ばれている深野は、奈良市内から1時間余りという立地にありながら、今も故郷の原風景をそのまま残す、まるでタイムスリップしたような山里です。
コンビニも、自動販売機さえ一つもありません。あるのは懐かしい日本の故郷の風景、美しい湧き水、山の神様、鳥のさえずり、村の人たちの笑顔…。観光客が押し寄せるわけでもなく、私はこの深野を奇跡の村だと思っています。

壊すことも新しく作ることも簡単、「守る」ことがどれほど大変なことか、今日、現地の方のお話を伺いながら痛感しました。

6月中旬には「ささゆり」が村のあちこちに咲きます。上品な香りを漂わせながら、うつむきかげんに楚々として咲く姿が印象的な日本原種のユリです。
激減する「ささゆり」も、保存会を作り懸命に守っておられます。

私は今回で三度目の訪問、何やら深いご縁を感じる所です。


茅葺の古民家を再生して作られた「ささゆり庵」


棚田もひっそり春の訪れを待っています。


山の中腹に位置する深野。豊かな湧き水が斜面を這うように、集落の中を、田んぼの中を走り抜けています。


大きな杉の木が屋根を作る湧水場。このような場所が村の中に何箇所もあります。




白壁と杉板の土塀の路地


日の出を映す棚田(2015年5月10日撮影)