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中橋怜子の 言の葉ノート

自然、人、モノ、そして音楽…
かけがえのない、たおやかな風景を
言の葉に込めて

片付ける

2015-01-31 | 徒然なるままに
「断捨離」という言葉はいつごろから使われるようになったのだろうか。
私の母は「断捨離」という言葉を嫌う。私が「断捨離」という言葉を使うと不機嫌になる。

昭和一桁生まれ、モノのない時代を生きてきた母はモノをとても大切にする。そして口癖は「もったいない」

先日、実家で着物を着る準備をしていたら「明日はこれを来て行きなさい」と母が洋服の箱を抱えて部屋に入ってきた。
取り出したるは50年近く前に母が誂えたというカシミアの着物用の防寒コート。

「5、50年⁉ いややそんなん!絶対着いひんし!しかも何?この古臭いボタン!無理無理、絶対無理!」
「こんなものに流行はない!」と言い張る母と険悪なムードになり、着る気など全くなかったが一応家に持って帰った。

箱にきちんと折りたたまれて入っていたコートは、まめに防虫剤を入れ替えていたというだけあって虫に食われることもなく新品同様の美しさを保っている。

翌日、帰りに実家に立ち寄った。着物を着たまま、コートを着たまま…。
そして得意満面で話す母の話を我慢して聞いた。

一昨年大掛かりな「断捨離」をしたはずの我が家はまたモノに溢れている。
また「断捨離」しないといけないと思うほど家の中が乱れているのは、いらないモノが増えたからではなく、モノをきちんと片付けることができないからかもわからない。これでは何度「断捨離」しても同じ状況から脱することはできない。

今年はモノを捨てる「断捨離」ではなく「片付ける」ことに徹してみたいと思う。




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ひが のぼる

2015-01-30 | 

華やかな所、日の当たる所で生きている人が多い一方、社会の片隅、暗い影で苦しんでいる人もたくさんいる。

人が高み高みを目指す中で、日の当たらない所にあたたかい陽を落とし続けている人がいる。

「ひが のぼる」太陽のような人。居心地の良いあたたかい陽だまりのような人。
私も比嘉 昇先生のあたたかい陽に救われたたくさんの人の中のひとりである。

今朝届いたばかりの先生の心のうたをみなさんの心にもお届けさせていただきたい。
………………

不作法を ひっさげて来る少女らの
背後に深き 貧困の闇

病む母の 下で苦しむ少女なれ
言えぬしんどさ 切なさ溢れ

不登校 その因知らず いつの日か
彼の舞台は甲子園なれ

学校に 行けぬ日の夜も英数の
学び忘れぬ 少女ら愛し(かなし)

人よりも 虫と交わる野放図な
少年ゆるゆる人なかに行け

意図的に 粗く振る舞う少女なり
瞬時安らぐ空間であれ
…………………

先生は奈良市の中学校の校長を最後に退職。その退職金を全てはたいて学校に行けない子どもたちのための学校を設立された。
微力ながら、私はその学校の理事としてお手伝いさせていただいている。

昨年末、私は「ひが のぼる」と固い約束をした。
来年は二人で歌い語って回ろう!と。

すべての子どもたちに陽が当たる日を目指して。






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ぶっつけ本番

2015-01-29 | 徒然なるままに

舞台打ち合わせ中にふと思った。

舞台にはリハーサルがあり、おまけに事前にこんな打ち合わせまでする。

人生、自分が主役の舞台であるとすれば、誰もがその舞台をぶっつけ本番で演じている。
一度きりの人生に打ち合わせもリハーサルもない。みんなぶっつけ本番で生きているのだ。

これだけ打ち合わせをし、リハーサルをして迎えた舞台でも予想もしなかったことが起こる。失敗もする。
後悔することしきり!次は気をつけよう、次は絶対失敗しないぞと思う。

しかし人生という舞台は打ち合わせもリハーサルもなければ「次」もない。

予想もしなかったことが起こって当たり前。失敗しても当たり前。
やり直したくてもやり直せない中途半端なことがあっても当たり前。くよくよ後悔しても仕方ない。
毎日体当たりで生きて行くより他ない。

だって私たちは前も後もない、たった一度きりの舞台をぶっつけ本番で生きているのだから。

舞台から観客の誰もいない客席を眺めながらそんなことを思った日。


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スタートすること

2015-01-27 | 徒然なるままに

「ゴールよりスタートの方がワクワクする」
この間テレビから聞こえてきて思わず手帳に書き記した言葉。

先日京都で行ったお店のママの言葉が今も耳から離れない。
「還暦と言うのは巡り巡って0歳に戻ることやねん。またスタートするときや。何でもかまへん、新しく始めたらいいねん」
お店に飾られていた大きな油絵はママが還暦から始めた油絵の作品。見事なものだった。次に始めたのがサックスで今度ライブに出るという。料理屋を切り盛りしながらの話である。
68歳とは思えないパワフルさ、潔さに圧倒されて帰ってきた。

「どうせ無理」と同じくらい最低の言葉、絶対口にしたくない言葉が「もう遅い」。
還暦に限らない。何歳でもスタートはできる。新しいことを始めることができる。そしてワクワクすることができる。
生かせてもらっている限り「もう遅い」はない。

大切なのはゴールするかどうかではなくスタートするかどうかである。なぜならばゴールなんてもともとないのだから。

キラキラ輝いている人はゴールした人ではなくスタートした人、動き出した人。

この1月はそんなことを思わせてくれるキラキラ輝いている人たちとたくさん出会った。



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闇の中の子どもたち

2015-01-21 | 徒然なるままに
今どきと思われるかもわからないが、現代の日本には最低限の衣食住も満足に守られない子どもたちがたくさんいる。世界の果ての話ではない。今の日本にである。

どうしたら殴られないか、
どうしたら放り出されずに家においてもらえるか、
どうしたらご飯をたべさせともらえるか、
日々恐怖に怯えながら、貧困に、孤独に耐えながら生きている子どもたちがたくさんいる。

暗闇の中を独りとぼとぼ歩いている子どもたち、社会の陰で息をひそめて生きている子どもたち、そんな子どもたちのことを私たちは真剣に考えたことがあるだろうか。

家から、学校から、社会から逃げ出し、行き場を失った子どもたちは夜の街に逃げ出す。そしてお酒、シンナー、覚せい剤にと手を染めて行く。
買春行為をしている幼い女の子たちがたくさんいる。

自分なんか生まれて来なければよかったんだ、生きている意味がない、死んだって構わない…生きている価値が見出せないでいる子どもたちに、
「そんなことをしたら捕まるよ、処罰されるよ、体を壊すよ」
そんな言葉が何の意味を持つというのか。

親のせい?ではその親はどうして?
辿って行けばそこには「社会」がある。
弱いものが泣き寝入りしなければならない「社会」があるような気がする。

犯罪者になろうと思って生まれてくる人間なんてひとりもいない。
いつか自殺しようなんて思って生まれてくる人間なんてひとりもいない。

自分さえ良ければ…これではいつまでたっても「根」の部分が解決されない。
他人事ではない。
政治なんて興味がないという人も、女性も、お母さんたちも、若者たちも、みんなが「社会」についてもっと真剣に考えなければならない時がやってきている。

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どこかで笑っていて

2015-01-21 | 徒然なるままに
思い出して欲しい、子どもが生まれた時のこと。
生まれてくれただけで、笑い顔を見るだけで、そこにいてくれているだけで幸せだと感じていたはずだ。

ところが、子どもが成長するにつれ親の欲までも成長してくる。

あの子はもう喋れるのに、もう歩けるのに、もうオムツが取れたのに、もう字がかけるのに、もう計算ができるのに、もう自転車に乗れるのに…。

悲しいことに、子どもの成長より親の欲の成長の方がはやい。

あの子はあんなに勉強がよくできるのに、あの子は塾であんなに頑張っているのに、あの子は部活もあんなにがんばってるのに、
あなたはなぜそんなにだらだらしてるのか…。

あの子は○○高校に、○○大学に、○○会社に…あなたはなぜ…

あの子の結婚相手の学歴は、家柄は、勤務先は、収入は…

あの子の子どもは3歳から塾でお勉強して○○幼稚園に合格したらしいわよ、なのに…

こうして文字にしてみると滑稽で馬鹿げていてとんだ笑い話に思えるが、現実に溢れている話である。

いつも他人と比べながら生きて行く先には幸せはない。
永遠に欲求が満たされることはない。

思い出して欲しい、子どもが生まれた時のこと。


「お願い、どこかで笑っていて
それだけでいい
それだけがいいのよ」
(「おひさま」より)





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からっぽにする ー謙虚ということー

2015-01-19 | 言の葉
日本人はとかく「謙虚」という言葉が好きである。「謙虚」を美徳と考える人も多いだろう。
しかし真に謙虚な態度を取れる人はどれほどいるだろうか。

「謙虚」とは「言葉や行動を慎み相手を敬い素直な態度で接するさま」とある。
さらに漢字を一字ずつ調べると「謙」は「へりくだる」、「虚」は「空っぽ、悪い心を持たない」とある。

つまり企みや下心があってわざとへりくだって接するのは本来の意味の「謙虚」ではない。

また「謙虚」の反対語は「横柄」とある。
年下、部下、生徒、弟子…目下に当たる人間が目上の人に横柄な態度を取らないからといって一概に「謙虚」とは言えない。そこには「礼儀」「マナー」というものがあるからだ。

こうして考えていくと真に「謙虚」であることは本当に難しい。

自分が年上で相手が年下であろうと、自分が上司で相手が部下であろうと、自分が指導者で相手が弟子・生徒であろうと、自分が客で相手が店員さんであろうと、相手より自分の方が経験が豊富であろうと、知識が豊富であろうと、常に相手を敬い素直な態度で接する、横柄、傲慢な態度にならず慎ましく接する。心を空っぽにして、頭を空っぽにして相手の話を聞く、相手に接する、そんな態度を「謙虚」というのだろう。

私もまだまだである。

今ふと頭に浮かんだ坂村真民さんの詩をここに綴りたいと思う。

「からっぽ」 坂村真民
頭を からっぽにする
胃を からっぽにする
心を からっぽにする
そうすると
はいってくるすべてのものが
新鮮で生き生きしている


今日2015年最初の授業を終え、今年の決意を新たにした。

『からっぽにする』

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自分との約束

2015-01-16 | 徒然なるままに

約束、一番守れないのは自分との約束ではないだろうか。

明日は歩くぞ!…こんな寒い日に歩かなくても…
庭の草抜きをしよう!…何も今日しなくても…
間食はやめるぞ!…ちょっとぐらいいいじゃない…
服の整理をしよう!…別に今のままでも死にはしない…
今日こそあの人と仲直りしよう!…私だけが悪いわけじゃないし…
煙草をやめよう!…やめるストレスの方が体によくないって言うよ…

こんな具合に自分の中の悪魔がすぐに誘惑にやってくる。
秘かに心の中で決心したこと、誰に言ったわけでもない自分との約束はかくしていとも簡単に破られて行く。

それをしなくても別に誰に迷惑をかけるわけでもなし、自分への評価が下がるわけでも恥をかくわけでもなし、というところだろうか。

以前、毎月X-dayを決めて、自分が決めた約束を互いに相手に公言しX-dayまでに必ず実行する、そんなことを友人とやっていたことがある。最初は遊び感覚で楽しくやっていたのが、徐々にお互い真剣そのもの!お陰で手付かずだった押入れの中の物も整理・処分、食器の整理・処分、クローゼットの洋服も半分以下に、希望の体重・体型に、気まずいままだった友人とも仲直りした。

その1年間の間に、家の中も体も心もかなりスッキリしたことを思い出し、昨年から仲の良い友人たちを誘って「ご褒美の会」を始めた。仕組みは以前やっていたX-dayと同じ。

昨日は今年の第一回目であった。
「着る服やら着ない服やらがぐちゃぐちゃだったクローゼットがスッキリしました!」と報告する人、無言の人(笑)、誰が何を深く追求するでもなく「よく頑張ったね」と自分にそしてお互いに声かけあった。

私は自分と三つの約束していたが二つはちゃんと守れたが実は一つは守れていない。来月までのひと月に先送り!
さて、今年一年でどれだけ自分を変えていけるか…非常に楽しみである。

なりたい自分を目指して「お約束」と「ご褒美」(よく頑張ったね、と声をかけるだけ^^)ただただこれだけを繰り返す会。必要なのは自分の決意とお弁当代だけ。あと一つ、女性であること(*^^*)

いっしょにいかがですか?









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言葉 ~行き詰まったら動物園に行く

2015-01-12 | 徒然なるままに

猿の親子を見て思った。子どもを育てるのに言葉はいらないのだと。
猿の夫婦も仲間たちも言葉を使わないで愛を伝えていた。
「おれがボスだ」と言葉で伝えていないのに猿たちは誰がボスか知っている。ボスをちゃんと認めている。

言葉は相手に気持ちを伝えるためのひとつの道具である。道具であり愛ではない。愛を表すことはできるが愛そのものではない。
威厳を表すことはできるが威厳そのものではない。
心を偽って怒りを言葉で表現したところで、愛のある怒りはちゃんとその愛が伝わる。
逆に言葉だけで上手く取り繕てもそんなものはすぐに見抜かれてしまう。
ヒトにも言葉以外の部分を感じる力、猿たちと同じ動物的な力がちゃんと備わっているのだろう。


今年もたくさんの若者たちが成人を迎え大人としての一歩を踏み出す。
彼らに、そして自分にももう一度言いたい。

言葉ではなく態度で示せる人になろう。

言葉巧みな人ではなく言葉やさしい人になろう。

人を言葉でコントロールしようとするのではなくまず愛をいっぱい注ごう。

本当に大切なことは言葉だけでは伝わらないと知っていよう。

 

行き詰まったら動物園に行ってみる。











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片時も離れるな! 加藤廣志元監督

2015-01-09 | 

12月、秋田県能代工業高校バスケットボール部元監督 加藤廣志さんとお目にかかりお話させて頂く機会があった。

加藤監督は秋田県の能代工業高校に全国タイトルを33回ももたらした「バスケットボールの神様」と言われる人で、一目お目にかかりたい、一言お話させていただきたい、と今でも全国から加藤監督の元を訪れる監督、選手が絶えないと言う。

これは後から聞いた話。
無知ということは恐ろしい。そんなことは全く知らない私は終始お気楽にとりとめな無い話を楽しくさせていただいた。
ご自分の肩書きを一言もお話にならないものだから…。
穴があったら入りたい>_<

そしてこれも後から聞いた話。

ある大阪の高校の監督さんが秋田まで加藤監督に会いに行かれた。
「加藤監督、どうやったらインターハイに行けるでしょうか?」
「今 選手はどこにいる?」
「大阪です。学校で練習しています」
「こんなところに来ていないですぐに帰りなさい!片時も選手から離れるな。常に選手と行動を共にし選手一人ひとりのことをきちんと知っている、それが監督だ!」
先生はすぐに選手の元に戻られた。
そしてほどなくチームをインターハイに連れて行かれた。

「片時も選手から離れない」とは一から十まで手とり足とり教えることではなく、また物理的に離れないのとも違うと思う。その覚悟で選手たちに寄り添えということだろう。

これはすべてのリーダーに。いや家族のありかたなどにも通じる話だと思う。

御ん年78歳、穏やかな加藤監督のお顔とこの厳しいお言葉を胸に刻んで歩んでいきたい。


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胎盤の神秘

2015-01-08 | 徒然なるままに

今話題のiPS細胞は体をつくるどの細胞にもなれるという夢の細胞である。
皮膚はもちろん将来的には様々な臓器もつくれるようになり再生医療が実現できると大きな期待がかかっている。
ところがこのiPS細胞、体をつくる細胞でひとつだけなれない細胞があるという。
「胎盤」である。
人工的に作り出したiPS細胞、胎児が育つのに非常に重要なはたらきをするこの胎盤の細胞にだけはなれないという。

そしてこの「胎盤」は父親の遺伝子のみでつくられるということが分かったと言う。
母親の血液と子どもの血液が決して混じり合わないのはこの「胎盤」のお陰である。だから母親と子どもの血液型が違っていても大丈夫なのだ。「胎盤」なくして胎児は絶対育たない。

父親の遺伝子によってつくられた胎盤で胎児が育つ…何たる胎盤の神秘!

どれだけ文明が発達しても、どれだけiPS細胞が素晴らしいものでも、人は人でしかつくれない、生きものは生きものでしかつくれないということである。
当たり前のことのようでもの凄いことである。

私たちは「いのち」「生きる」と言うと生まれてから死ぬまでのことを思いがちだが、母親の胎内ですでに280日という実に緻密で神秘的な時間を過ごしている。

大自然の力、「いのち」の重さに圧倒される。




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