日々楼(にちにちろう)

古今東西・森羅万象の幾何(いくばく)かを、苫屋の住人が勝手御免で綴ろうとする思考の粉骨砕身記です。

愛を考える 3

2021年04月02日 | 日記

愛を考える 3

 

イエス・キリストの愛

 

1.イエス・キリストの愛の核心は、イエス・キリストの言動を信じ、説かれたことを行う者は自らの

意識(魂)が清められて再生するという確信を生むことにあります。

 

2.イエスは次のように説かれています。

 

あ.「律法と予言者とはヨハネ〔注:イエスが洗礼をお受けになったバプテスマのヨハネ〕の時までのも

のである」(新約聖書 ルカによる福音書 第16章16節 日本聖書協会発行 1962年版)。

 

い.「アブラハム〔注:イスラエルの人々の祖とされるアブラハム〕の生まれる前からわたしは、いるの

である」(新約聖書 ヨハネによる福音書 第8章58節 日本聖書協会発行 同版)。

 

 この二つの御言葉は、神から強い啓示を受けられて父である神と共に在ると確信されている人である

イエス御自身が述べられた言明です。神を根拠とする言明は無証明には成立しません。しかし、

イエスは受難されてその御言葉は、イエスの後に生きる者の意識の中で成立するのです。

御言葉は、イスラエルがその苦難の歴史から解き放たれ、新しい生き方が始まることを述べられています。

御言葉は、十字架の受難から再生され、キリストとなられるイエスが、人は再生し、また、民族と国も再

生することを教えられたものです。そして、民族はひとつの民族に留まらずあらゆる民族に及び、国もひ

とつの国に留まらずあらゆる国に及びます。これが、イエス・キリストの愛であり、この愛が普遍である

所以(ゆえん)です。

 

3.イエスは、人々に語られることによって、人が信じる時、その体と意識が生み出す力をお引き出しに

なり、振舞われて現(あらわ)される技(わざ)は、当時の医学の知識と処方を熟知された極めて合理的

な思考に基(もとづ)くものでした。イエスはこのことを、「知恵の正しいことは、その働きが証明する」

(新約聖書 マタイによる福音書 第11章19節 日本聖書協会発行 同版)と述べられています。

 

4.イエスのお示しになり語られたのは、世俗で生きる人々への信じる力と、愛でした。そして、

イエスは、路上で物乞いする人にも、らい病やさまざまな病に冒された人達にも、百卒長にも、取税人に

も、金持ちにも、罪人にも、接される態度がお変りになることはなく、また、人それぞれが世俗で送って

いる食事や生活をそのままに御受入れになられました。これはイエスが人に対して示された無限の愛と言

えます。愛が無限であるが故に、人それぞれに現れる愛は等しくなるのです。

 

5.私は、教会に所属するキリスト教徒ではありません。しかし、引用した聖句を記した新約聖書は、

信徒である方から私が中学2年の冬に譲り受けて以来、手元にあります。

 

6.イエス・キリストの愛を、皆様にこのブログで初めてお伝えしています。簡潔に言葉をひとつひとつ

選んで書きました。

 

7.イエス・キリストの愛をお伝えできることを、無上の喜びに思います。

皆様の御批判をお待ち申し上げます。

 

 

                        桜

 
 

 

 

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