セリーグのCS(チャンピオンシップではない)第1戦、広島が先制していたのに讀賣に逆転されたらしい
あたしゃ○十年前から「セ・リーグは広島」と言っているひとですから、悔しい
乗馬もうまくいかなくて、悔しくて
そういうときに見るビデオが2つあります。
ひとつは、88年の山田久志引退までのドキュメント(フジかどっかの特番)
最後の登板もなかなか感動できるんですが、春先、勝てない山田投手がバスで引き上げるとき、
ファンの男性が「山田、辛抱、辛抱やぞ!」と声を掛ける。
泣けます
強かったけど人気なかった阪急の黄金時代を引っ張ったピッチャーのひとりですからね、
歳とって力が落ちて勝てなくなるのは本人がいちばん悔しいとおもいます。
結局この年で引退するわけですけど、前述の「辛抱やぞ!」は、がんばらないかんときに思い出しています。
もうひとつは、同じ88年10月19日の「パ・リーグの一番長い日」のドキュメント(たぶんTBSの特番)。
言わずと知れた、近鉄がダブルヘッダーで2連勝しなければ優勝できない、しかしダブルヘッダーの2試合目で
連続リリーフに出た阿波野がその年の首位打者になった高沢にホームランを打たれて同点で優勝できなかった、
あの日です。
(蛇足ですが、文春の"Number"のドキュメントと、ニュースステーションの年末特集のビデオもありますが、
やっぱりTBSの特番が一番見ることが多いかな)
結末どころか、ナレーションも、画面も知っているのに、何度見ても、
鈴木貴久と中西コーチが抱き合って転がってるとこなんか、その度に泣くし、
阿波野のインタビューとか、何度見ても「ああこの人は墓場までこれを引きずっていくんだろな」と思う。
(先日、NHKだったかで高沢に打たれたのはシンカーだった、みたいな阿波野のインタビューは
阿波野の劣化に愕然)
悔しい、悔しいときに見て、一緒に悔しい想いをして、がんばろうとおもう
ある種のホメオパシーでしょうか(違)
もうひとつ、超絶落ち込んだときに見るのは、メル・ギブソンの「パッション」です。
ラテン語とかアラム語とか、語学フェチとしては(意味はわからんけど)おもしろいのですが、
あそこまで酷い目に遭いながら死ぬ前まであれだけ示唆に富んだポジティブな言葉を吐けるイエス・キリスト。
(まぁ話だから、と言ってしまえばそれまでですが)
リアリティを追求したとのことで、血まみれの息も絶え絶えのイエス様からそういう言葉を聞くと
「それなら、もう少し、がんばってみましょうかねえ」
と、カトリックの教会の幼稚園に通っていた婆さんは、おもうわけです。
あたしゃ○十年前から「セ・リーグは広島」と言っているひとですから、悔しい
乗馬もうまくいかなくて、悔しくて
そういうときに見るビデオが2つあります。
ひとつは、88年の山田久志引退までのドキュメント(フジかどっかの特番)
最後の登板もなかなか感動できるんですが、春先、勝てない山田投手がバスで引き上げるとき、
ファンの男性が「山田、辛抱、辛抱やぞ!」と声を掛ける。
泣けます
強かったけど人気なかった阪急の黄金時代を引っ張ったピッチャーのひとりですからね、
歳とって力が落ちて勝てなくなるのは本人がいちばん悔しいとおもいます。
結局この年で引退するわけですけど、前述の「辛抱やぞ!」は、がんばらないかんときに思い出しています。
もうひとつは、同じ88年10月19日の「パ・リーグの一番長い日」のドキュメント(たぶんTBSの特番)。
言わずと知れた、近鉄がダブルヘッダーで2連勝しなければ優勝できない、しかしダブルヘッダーの2試合目で
連続リリーフに出た阿波野がその年の首位打者になった高沢にホームランを打たれて同点で優勝できなかった、
あの日です。
(蛇足ですが、文春の"Number"のドキュメントと、ニュースステーションの年末特集のビデオもありますが、
やっぱりTBSの特番が一番見ることが多いかな)
結末どころか、ナレーションも、画面も知っているのに、何度見ても、
鈴木貴久と中西コーチが抱き合って転がってるとこなんか、その度に泣くし、
阿波野のインタビューとか、何度見ても「ああこの人は墓場までこれを引きずっていくんだろな」と思う。
(先日、NHKだったかで高沢に打たれたのはシンカーだった、みたいな阿波野のインタビューは
阿波野の劣化に愕然)
悔しい、悔しいときに見て、一緒に悔しい想いをして、がんばろうとおもう
ある種のホメオパシーでしょうか(違)
もうひとつ、超絶落ち込んだときに見るのは、メル・ギブソンの「パッション」です。
ラテン語とかアラム語とか、語学フェチとしては(意味はわからんけど)おもしろいのですが、
あそこまで酷い目に遭いながら死ぬ前まであれだけ示唆に富んだポジティブな言葉を吐けるイエス・キリスト。
(まぁ話だから、と言ってしまえばそれまでですが)
リアリティを追求したとのことで、血まみれの息も絶え絶えのイエス様からそういう言葉を聞くと
「それなら、もう少し、がんばってみましょうかねえ」
と、カトリックの教会の幼稚園に通っていた婆さんは、おもうわけです。