こころにうつりゆくよしなしごとを

あやしうこそものぐるおしけれ。

その後2(長いよ)

2023-09-21 08:29:26 | まとめて
認知症2号
22年5月に無事施設入居したが、今年に入って認知症がさらに進み、
やたら高圧的になってほかの入居者さんを攻撃したり
(若いときにおとなしかった人のほうが攻撃的になる傾向があるとかなんとか)
感情失禁がひどく、怒ったり泣いたり笑ったり、まあ、笑っている分にはいいが怒ったり泣いたりは対応が大変、
向精神薬を使うかも、という話になったり(これは訪問医の判断でナシ)
話し相手にもなるしそのへんお散歩にも行けるから、というので、自立支援の精神科の看護師さんに入っていただいた

のだが

もちろん、傾聴くらいでどうにかなる段階はとっくに過ぎていて
看護師さんが帰ったあと却って不穏になったりするということで、ケアマネさんの助言もあり中止。

しばらくして、起床時にタオルケットを踏んで転倒し大腿骨(あとで大転子と判明)骨折と連絡が
訪問医の紹介で(旧)国立病院へ入院、手続きに付き添い。
認知症がさらに進んだようでまったく会話にならない。
(付き添いに来てくださっていた施設のスタッフさんによると、話し好きでエンドレスで同じ話をすると)
かなり混乱している様子で、
「脚がいたいからなおしてもらうんだよ」
と言ってもわかってるのかどうか。

翌々日手術へまた付き添い。
「術前点滴の針を抜いちゃったので、開始が少し遅れます」認知症あるあるw
手術自体は、行ったと思ったら帰ってきた💦(執刀医曰く「高齢者の手術は短い方がいい」)
リハビリも始める、と言っていて、翌々日くらいの電話では「ナースステーションに来てみんなとご飯食べてます」
その後「誤嚥があったようで熱がある」と電話があったが、
数日後「熱は下がったし血液検査も異常なしなので、施設と調整して退院します」

洗濯物もあり、退院1週前に面会。
壁をたたいて「たすけてください」と叫ぶわ、ベッドの柵は外すわ、ベッドから落ちるわ、
で、ベッドの周りはマットレスだらけ💦
もう何を言ってるのかもわからない、こちらも認識できない。
かなり混乱している様子。
面会数分でへとへと。

数日後、「食事が摂れない、胃瘻にしますか?」とDr.より電話。
感想「とうとう来たか」
入院、手術というだけで(まあそりゃ環境変化大ですが)混乱してこわい思いしているものを
(ほんとのところはわからないが)
胃瘻で生かしても、、、
もちろん一時的な処置とすることはできるけど、術前点滴の針も抜いちゃう、ベッドの柵も外しちゃう人に
そんなものつけても、ちょっと管理が大変だと思うのね
身体機能低下してたべものを受け付けないものを無理に流し込んで生かすのがどうなのか
本人なにもわからず混乱してるのを見るとね

もともと本人も延命処置はしないで、と書き残しているので、と伝え、
その状態で退院して、そのことを施設に伝えたら「点滴とエンシュアをやってみよう」と看護師さんが言ってくださり

退院から1週間後、「やはり食べないので、訪問医が今後のことを相談したいと言っている」と連絡あり
指定された日は認知症1号の初盆でお寺さんが来る予定なのでその2週間後を予約

したが

退院から2週間後、「SpO2が80台」と連絡。
ああこれはもういよいよだわ。あと何日かわらかないけど
とりま点滴はおぼれるから止めてもらい、
「苦しそうだから酸素だけ吸入したいと思います」とのことなので(エビデンスないんだけど)お願いして
「夜勤のスタッフにも(そういうことになるかもと)伝えておきます」
ああ、いよいよか。
さしあたって翌々日の大学病院の眼科専門外来の予約は月一なのでこれだけは行かせてほしい、
その後になるとお盆に入るからお寺さんも忙しいし、第一認知症1号の初盆で棚経とかとバッティングしないか
だいたいどのくらい持つんだこの状態で
バイト先にも「今週来週くらいだと思います、急遽休んだらごめんなさい」
(認知症1号のときは、週末で、たまたまお休みをもらっていた日が通夜だったので全然欠勤しなかった)

などと言っていたら、訪問医の診察で、誤嚥性肺炎が治りきっていなかったのではないか、
しばらく、抗生剤と点滴をする、ついては訪問看護師さんを入れるから
都合のいいときに契約書にサインしに来てください、と連絡あったので、
お盆期間中に予約を入れる。

その後の電話では、鼻に差し込んでいる酸素のチューブを「これはじゃまだからいらない」とはずしてしまうけど
SpO2は90台で安定している
ただ、点滴をしている間は水分を摂れるけど、点滴が終わったら、
お茶(とろみをつけてのみこみやすくしたものをスプーンでひと口ずつ食べさせてくださる)はまずい、と言って飲まない、
ポカリスエットなら1日200mLくらいそうして摂取している、と。
なので、ポカリ、ソルティライチなど、飲みそうなものを何本か買って行く。
会えないと思ったけど会わせていただいて、
でも「この人だれかわかる?」と尋ねると「しらない」
スタッフさん「娘さんに会いたい、って言ってたのに(笑)」
車椅子に座っていても筋力がないからずり落ちてしまう、
お尻の肉や脂肪も落ちているから座位でも褥瘡ができつつある、
その前から、若い頃からの痔疾が悪化して脱肛しており、手術の話もあったくらいなのでおそらく痛いだろう、
そういう痛みもあって、混乱していて感情失禁もあって、
感情失禁のひとの感情はわからないが絶対にしんどいのではないか、と思い、暗澹たる気分orz

帰宅してネットからポカリ1箱注文して、届いた頃に電話
やっぱり「おなかいっぱいになった」といって200mLくらいしか口にしない、
そのあとひとしきりおしゃべりして、疲れて寝る、というのの繰り返し、なんだとか。
意味が通じるかどうか別にして、おしゃべりするようなら今週来週の話じゃないな、とちょと安心し、
持ち込めば食べさせてくれる、というので、友人のお母さまが元気になったという、栄養補給用のゼリーも
ネットでお試しセットを注文してみた。

翌週電話で様子を尋ねると「やっぱり食べないんですよ・・水分は摂ってくれるといいんだけど」
2週間ほど何事もなく、訪問医と約束していた面会へ。

本人は、相変わらずあまり食べないらしいが、この日は私のこともわかって機嫌よくしゃべり、疲れると寝る。
「このひと誰かわかる?」「わかる、(弟の名前)、、あ、違った」
女学校時代の友だちの名前を出して「○○さんってわかる?」
「わかる」
「会いたいって言ってたよ、食べないと会えないよ?」
「うん」
そのうち「おなかすいた」と騒ぎだし、
「おなかすいたの?何食べたいの?」とスタッフさんが訊くと
「ごちそう」
「ごちそうって、何」
「なんでもいいから、ごちそう」
ちょうとおやつどきだったので、食堂でデイサービスのみなさんとおやつにする、と車椅子で運ばれていった。

のが、まともな状態の最後。

その2、3日後に施設から電話で「もうそろそろかもしれないです。夜勤のスタッフにも伝えておきますから」
文字通りまんじりともせずに翌日になったら「今日は状態よくなってます。ただ、波があるので・・・」

翌週、三度目、「今日あたりかもしれないです」「わかりました今から行きます」
新幹線飛ばしてかけつけると、下顎呼吸が始まっていて息づかいも苦しそう、もちろん目はつぶっていて
(5時間近く居て目を開けたの一度だけだったな)
ただ、不随意運動なのかしきりに手足を動かす。
ふつうなら、この状態なら人目に触れないように居室におくのだが、「寂しい」と言うので
スタッフさんが作業をしたり食事をしたりする部屋の隅のベッドに置かれていて
スタッフさんが行ったり来たりするのを見て、手の空いているスタッフさんがかまってくれたりしている、そうだ。
5時間近く居たが、脈ははっきりしているし、
スタッフさんも「私が決めるわけじゃないけど、今日は『ない』と思う」
とおっしゃるので、ケアマネさんとお話しして、帰宅。
ぐったり。

翌日
稽古事に行こうと電車に乗ったら施設から電話「昨日よりかなり状態が悪くなっています」
母のすぐ下の弟(叔父)と息子(弟)と、女学校時代のお友だちが面会したいと言っている、と知らせたところ
OKが出て、稽古事は中止して駅から電話。
女学校時代のお友達はもちろん母と同い年だからひとりでは行けないので息子さんの都合を聞いてみる、と言い、
叔父が行くのなら案内するつもりで電話したら行くというので最寄り駅で待ち合わせ、
弟は「来月には見舞いに行く」いや来月はないわ(大爆笑)
まあ、伝えてはあるし、それぞれ都合はあるだろうから、と、叔父と施設へ。

昨日はあれだけはっきりしていた脈がわからない。
叔父は一生懸命話しかけるが、もちろん反応はない。
15分くらいいて、「通じたとおもうことにしよう」と叔父が言うので退室。
昼食をごちそうになり、叔母に土産を買うという叔父と別れて東京に戻る途中に弟から「会ってきた」というメール。

どっと疲れて爆睡していたら1時間後くらいに「もう時間の問題だと思います」という電話があり、
さらにその10分後「いま息を引き取りました」と電話。
「わかりました、今から行きます」
地元から自宅への3/4くらいまで戻ってきていたのに、そのままUターン。新幹線、タクシーを飛ばして逆戻り。

訪問看護師さんがエンゼルケアをしてくださり、服も着替えさせてもらって、きれいになっていた。
おしゃれで服を買うのが趣味のようなひとで、実家には1階と2階にウォークインクローゼットがあるんですよw
ケアマネさんともお会いできた。
訪問医が都合が付かず到着が20時くらいになる、とのことで、それまで待つことに。
居室で電話もどうかと思ったが、外で電話してほかの入居者さんの迷惑になるのもアレなので、居室で電話をかけまくるw
認知症1号のときは(認知症1号の)きょうだい(やその配偶者)たちに全く連絡がつかなかったので、
そっちは連絡をあきらめる私w

19時前に、管理者さんたちが退勤のあいさつにきてくださり、隣のコンビニのあたたかいお茶
(遺体がいたまないように部屋のエアコン設定温度を下げてあるので結構寒いw)とおむすびを差し入れしてくださった。

20時すぎにようやく訪問医が到着、死亡診断書を書いていただく。
認知症1号のときもそうだったが、実家が空き家でそこにひとりでおいておくのも暑い時期だし大変だと思い
会員になっていた互助会に電話して、斎場(認知症1号の葬儀をやった場所)に搬送する自動車に同乗。
遺体をストレッチャーに移動するのに、夜勤のお姉さん2人が手伝ってくださった。
娘(私だw)は涙も出ないのに
「(苦しんでいたから)楽になってよかった」
「うちに帰りたい帰りたいと言っていたから、帰れてよかった」と、
目を真っ赤にしておっしゃって、急に悲しくなる親不孝者は私です。
翌日打ち合わせになります、時刻は朝連絡します、と言われ、終電で帰宅。。。

電話来てから出ると打ち合わせが遅くなり帰ってくるのが大変になるかもしれないので早めに出たところ
打ち合わせが午後からになるという電話で、急遽実家へ掃除に。
実は認知症2号が亡くなる3日前に行ったところ空き巣被害にあっていたことを発見、
鑑識の方も含め6名も警察官が来て、ということがありまして。
母のネックスレス(たいしたものではない)がなくなっているくらいで、
掛け軸とか壺(べつにあやしいつぼではありません)、テレビやパソコンは盗られておらず、
ただ、刑事ドラマで見るように引き出しがすべて中身をぶちまけられていたのが気持ち悪い。
(まあ、これで認知症1号の遺品やらを全部片付けようという気にはなったのだけどw)
遺影やファミリーボードに使う写真を探す。
いとこの結納の集合写真、弟家族との写真、金婚式にハワイに連れて行ったときの写真、ダイヤモンド婚式の日の写真、
一昨年認知症1号の施設に面会に行ったときの写真。
なんだよ、全部認知症1号と写ってるじゃねーかw

打ち合わせに行ったら、昨年認知症1号の葬儀のときに担当してくれた方たちで
「その節はお世話になりました」
お寺に日程を尋ねたら、住職様の都合でちょっと遅くなる(友引がはさまったりして)がしかたがない。
あとで聞いた話だと、10日間で6件のお葬式があったんだとか。
遺影に、と思っていた写真は約1年前に施設で撮ってもらっていただいたもので
(もらった瞬間「ああこれ遺影にする」と決めたことは内緒w)
担当の方に見せたところ「自然な笑顔でいい」と即決、
遺体が着ている服と同じなので、背景だけ付けてこのまま使いましょう、ということに

翌日はお寺で戒名を決めるための打ち合わせというかお話。
いちおう、花と線香手に持ってお墓にもお参り。
絶対、初盆で家に帰ってきた仏さんが「さみしいから」って呼んだのよw
さらにその翌日は斎場で最終の打ち合わせ(お弁当いくつとかタクシーをどうするとか)
その翌日は何もないのでバイトに行ってみたり。

その翌日は通夜で15時から湯灌と納棺。
の前に、実家に寄って、棺に入れる写真や服や、
父親のラブレター(遺言、として書いてあったもので、母はぼけちゃっていたから読めていない)を探し出し持参。
昨年認知症1号のときにきれいにメイクしてくださった女性の納棺師さんだった。
そのときに認知症2号が連れてこられたのを覚えていてくださって「もっと髪が白かったですよね?」
そう、それは私も亡くなる前日に行って
「髪がえらい黒いな、染めてるのか?いやそんなことはしないだろ」と思ったのだけど
納棺師さんによると、亡くなる直前に黒くなることがあるんだそうで

きれいに洗って髪も乾かして、お化粧もしてくださって、白装束に着替え、着ていたものはお棺へ。
ほかに夏物のカットソー2枚と、もうじき寒くなるからきれいなオレンジ色の上着、それに
親族や弟夫婦の結納の記念写真や孫の写真にラブレター
(なかなかよい選択であったと自画自賛(自己満足、ともいうw

お通夜には件の女学校時代のお友達も息子さんと来てくださって、ありがたい。
ショックかな、とおもっていたのだけど。
お世話になっていた民生委員さんや昔の近所の方や市内の親族と弟夫婦で、少人数で。

本葬はやっぱり着物を着たい!(ポリエステルだけどなw)と、早起きして実家で着付け
(住職様のご都合で開式が午後だったのでできた)。
今回も、家にひとりで置いておくのは寂しいだろうと、そのまま納骨し、
当日が初七日だったので初七日法要も一緒にしていただく。

遺影と白木の位牌を持って実家に行ったら、母がお世話になっていた隣の奥さまが来てくださった。
時間を間違えて出棺したあとだったそうで。すみません。
父の初盆が終わってそのままにしておいた祭壇に遺影と白木の位牌を飾って、着物を脱いだら暑さと疲れでしばらく動けず。

本人は、だいぶ以前に、昔はできたことができなくなっていくのが情けなく悲しいようで
「死んだほうがましだ」とよく言っていて、
果てには「殺せ!」まで言われたし
あちこち痛い(だろう)し
不安だったり感情が不安定だったりも、きっとつらかったと思うのね(想像だけど)
もちろん身体機能の衰えでたべものとか受け付けなかったこともあるだろうし、
楽になれてよかったんではないかなと、親不孝な娘はおもっています。

四十九日と百箇日の日取りを決めないとね。
来年は1号の三回忌と2号の一周忌と初盆、それに親の家をどうするかも考えないとね。
前回は、認知症2号の遺族年金の手続きをなるべく早く、と思ったのでがんばったけど、
今回はもう何もないから四十九日まで動きませんw

さあ次は、うさぎさんと、それから自分の葬式だw