写真:夕日のショーの第2幕。静かに水平線に落ちていく優しい太陽
「朝日と夕日」「朝焼けと夕焼け」理論的にはどちらも同じものであり、同じ現象ですが、後者のほうが好き、という人が多いのではないでしょうか?それはいったいなぜなのでしょう?
マネックス証券社長の松本大さんは、マネックスメール「つぶやき2004/1/15」で「自分も夕焼けが好き」としてその理由を、色の違い、出るタイミングの違いなどのほかに「或いは、大気の温度とか、塵、水蒸気の状態が朝と夕では違うので、色合いも変わるのでしょうか」と疑問を投げかけています。<o:p></o:p>
さらにもう一度「つぶやき2007/10/24」では、朝焼けを見ても大してなにも感じないのは「小さい頃に朝焼けを見た記憶があまりないので、呼び戻す記憶も感傷もない」という理由のほかに、「こじつけですが」と断った上で「朝焼け・夕焼けにもドップラー効果的な影響があるのではないか?特に秋は『Diminishing』、何事も『減って』いくことが本質なので、これから明るくなってくる朝焼けは趣きに欠ける」と面白い説明をされています。確かに見たときの情景と感情がセットになっていると、懐かしさは増すでしょうね。
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そういえば夕日や夕焼けに最近になって関心を持った私は、「人生の秋―何事も減っていく時期」に突入したのだあ~~、としみじみ。そして「そこにあったのに見えなくなる現象に対して、いくばくかの寂寥感、あわれ、悲しみなどを感じるのは、やはり自分の人生と重ね合わせているんだ」と思いいたったのです。<o:p></o:p>
でもちょっと待って!!実は私は御来光も朝焼けもあまり見たことがありません。まあ単に、朝早いことに弱く朝寝坊なので見る機会がないわけです。そしてたとえば「月」に関して考えてみると、こちらは圧倒的に昇るときを目にする機会が多く、特に満月などお月見もし、勝手に感傷にふけっていたりします。反対にお月様の沈むときは?これも朝早いためか、白っぽくなるためか?あまり感激はありません。<o:p></o:p>
結局のところ都合の良いところを見て、自分に都合の良い解釈をしている、というのがわたくしの場合の実態なのでしょう。夕日さま、都合良いところばかりを利用してごめんなさい。<o:p></o:p>
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