†Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran†

2017年05月09日 | ■MOVIE



イブラヒムおじさんとコーランの花たち

※完全ネタバレ

最高に良かった。思ってた以上に素晴らしかった。
モモという16歳の男の子が主人公で
近所にある食料品店の店主イブラヒムとの関わりによって
孤独なモモの人生が変わっていくお話だった。

モモは早くに母が兄のポポルを連れて出ていったので
父と二人暮らしなのだが、その父はおそらくうつ病で
モモに対し愛情が行き届かず、実に淡々と生活している。
日々仕事へ行って、疲れて帰ってくると家事をして料理を
作って待つモモがいる。モモは父に対してかまってほしい、
そういうサインをいくつも出しているのだが父は全く気付かない。
気づく余裕もないのかもしれない。

目の前の通りに毎日立つ売春婦らと寝たり(もちろん客として)
すぐそこに住んでる同世代の女の子が気になってちょっかいかけたり
あとは父親が帰ってくるのを待って料理を作って、そんな日々を過ごすモモ。

父は時々兄のように本を読めとか、兄とモモを比べたりする。
彼の孤独を癒すのは父親の愛情なのだが、それは難しいようだ。
近所の食品店に行ったモモはそこで万引きする。
それをお使いついでに何度か繰り返していた。



この店の店主イブラヒムおじさんは、モモの万引きを知っているが
優しくさりげなくほっとするような安心感でモモと接してくれる。
なんとも笑顔が優しいおじさんだ。万引きについて知っていることを口に
すると、弁償すると言って深刻になるモモに、払う必要はないんだと言って
店にある食料品をどっさりとくれる。
モモはイブラヒムに心を開いていくし、
モモの心のさみしさを埋めるかのようにおじさんはモモのいろいろな
相談相手になって、一緒に散歩へ連れ出したり、ボロボロの靴を履いた
モモに靴をプレゼントしてやったり、温かな愛情を与えてくれる。

そんな中で、ある日父親が帰宅すると、会社を首になったと告げられる。
そして父はモモを置いて出て行ってしまう。
モモにすまない、さようならと書いた手紙とお金を置いて。

一人ぼっちになったモモは父が出ていったことを誰にも言わず
ただいつも通りに過ごそうとする。父の書斎の本を次々売って現金にし
自分の好きなものを買ったりしながら。
父が帰ってくるのを待っていたのだろうか?
隣の気になってた女の子とも付き合いだしていたのだが、彼女には
ほかにも男がいたようで結果的にふられてしまう。

そして突然やってきた警察に、父親が電車にはねられて
死んだと告げられる。自殺だったのだ。
恐ろしい話にイブラヒムの店まで逃げ出すモモ。
追ってきた警察からイブラヒムが事情を聴いて、
結局イブラヒムがモモの父親の埋葬を行った。
後日母親が家に迎えに来るが、自分はモモじゃないと言って
母親を帰らせる。兄などいないと母親からその時告げられるモモ。
彼はイブラヒムのところへ行き、自分を養子にしてほしいと言う。
イブラヒムは即座に受け入れ、明日にでもと言ってくれる。

イブラヒムはモモに、笑顔になるのは幸せだからではなくて
笑顔でいるから幸せなことが起きるんだよと教えてくれていた。
養子にする件では全然認めてもらえずなかなか親子になれないのだが
二人で笑顔を作ってあきらめずに続けていくとついに養子として認めて
もらえることとなった。



イブラヒムは高級車を買い、運転免許をとって、モモを連れて旅行へと
出かける。最終目的地はトルコで、車を走らせながら、いろいろなものを
みながら、カトリックやギリシャ正教やモスクを巡ったりして
イブラヒムはそのたびに大切なことをモモに教えてくれる。
さりげなく伝えられる言葉からモモはいろんなことを心に吸収していく。
常日頃、イブラヒムは、大切な教えはコーランに書かれてあると言っていた。
コーランに興味を示しモモも読んではいたのだが、読書をしても
教えは身につかないのだとイブラヒムは言うのだ。
イブラヒムはイスラム教のスーフィーの信徒で、
モモをスーフィーの教団のところへも案内する。

そこではいわゆるスーフィーのダンスが神秘的に繰り広げられていて
モモはそこでの祈りを感じ、自分の中にあった憎しみが消えたと
イブラヒムに言った。

車の旅は続く。イブラヒムの故郷を目指していた。
あの山を越えたら故郷の村だから、ここで待っていろと
何もない場所でモモを降ろす。
笑顔で待っていろと言われたモモのところへやってきたのは、
大慌てで駆け付けた見知らぬバイクの男で、
トルコ語が分からないモモに、早く後ろに乗れとせかして言う。
何事かと駆け付けると、車の事故によって息を引き取る寸前の
イブラヒムが一軒の家の中で横になっていた。

教えることはみな教えたとイブラヒム。
モモは怯え、死なないでと涙するのだが、イブラヒムは
自分はコーランの教えがあるから死ぬのは恐れないのだと言って、
死ぬのではなく無限の世界へ旅に出るのだとモモに告げる。
旅の最後に亡くなったイブラヒム。パリに戻ったモモは
イブラヒムの遺書によって遺産をすべて相続することになる。
やがて大人になった彼はイブラヒムの店を
経営するようになっていたというお話だった。

イブラヒムは旅の途中、
「我々は鉱物 植物 動物から人間に進化した。
土やホコリから今の姿になれたんだ」と言っていた。
なんて素晴らしいセリフだろう。すごく感動した。

父親がモモにかまってくれないのを見ているときは、
気づいてあげてとすごく思った。

このお話の最高な点はイブラヒムがいちいち言うことが真髄を
ついているというか、本当に大切なことを言っていて感動する部分だ。

それに、自分はモモと一緒にいれて幸せだという。
そんな言葉を一番必要としているモモに対して
さりげなく言うことのできるイブラヒムには
本当に幸せな気持ちにさせられる。

どこにも美を見つけることが出来るイブラヒム。
純粋な心を持ったさみしいモモは本当に大切なことを
多く学ぶことが出来た。



このおじさんの最高さは、映画で行ったら赤毛のアンのマシューに
匹敵するくらいやばかった。

あたしの中には、境遇が違っているが、モモがいて
そしてイブラヒムを求めている心もある。
何も求めず信じ続け見守り続けてくれる温かな存在を。
それは誰の心にもあるものかもしれない?分からないけど。
あたしは仏教を学んでいるところで、現実に慈悲というものに救われる
心については実感がある。イブラヒムのいうことは、宗教というものを
なにかつまらないちっぽけな枠で理解する人には無意味になると思う。
宗教によっては実際に形だけ宗教っぽいがそれとはまったく違うもの、
たとえばテロリストを養成するため悪用された邪悪な思想だったりする
ものもあるが。
香のにおいのする宗教、ろうそくのにおいのする宗教、いろいろな
教えがあり、イブラヒムは、イスラム教徒ではないユダヤ人のモモに
宗教は「ものの考え方」であるという。

人にはその人の美学だったり志だったり、哲学があったりするだろう。
もちろんすべて無と思っている人もいるだろうし何も信じない人も。
それが自分と違っているからと言って、どうしたのだろう?
「宗教というものは」などと差別する人は、相手の血液型が自分と違う
というだけで差別しているようなもの。
そういうちっぽけな見方で生きていくと、人が鉱物から進化したことなど
理屈でしか理解できないような人生になってしまう気がする。

目隠しをして、様々な宗教の施設にモモが行くシーンを見て、
自分の頭で分かってるような、小さな次元でものを見ていると
何も感じられないのではないかと思った。

何も感じられないことは不幸だ。どこにも美を見つけられず
自分の心をどう立ち上がらせればよいのかも分からないまま
自分の価値を信じられないままになるのは。

素晴らしいことをたくさん教えてくれる映画だった。


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