サンバ

2015年09月05日 | ■MOVIE

サンバ

*完全ネタバレ*注意



サンバという男性はアフリカ出身のフランス移民で、移民として認められず国外退去を命じられている。その中で、移民局のボランティアで働く女性アリスと出会う。職場を休職し、精神的な病を乗り越えようとしているアリスは、サンバの存在により、生活が楽しくなり、笑顔も増えていく。二人は純粋な絆を紡いでいき恋人同士となるが、サンバが事件に巻き込まれ祖国へ帰る展開になる。

サンバは同じ移民のコンゴ出身の男性から自分の婚約者を探してほしいと頼まれていた。フランスのどこかで美容師として働いているはずのその女性を何とか探し出し、男性からの伝言を伝えるはずが、その女性と関係を持ってしまう。
一夜限りの関係だったが、心底悔いて、その男性を避けるサンバだった。ある時、男性が会いに来る。そして自分の女と寝ただろうと暴力をふるい出し、通り掛かりの警察が何事だと、喧嘩する二人の元へ駆けつける。サンバは違法に滞在している身で、警察に捕まるわけにはいかない。その場から逃げ出すも、男性と警察の両方に追われる。結果的にその男性とサンバは急激な流れの川のような所に落ちて流される。
男は死に、サンバは家に帰ってくる。

帰国する直前に、アリスは、サンバが、死んだ男の身分証を、服を交換した時に持ったままだった事に気付いて、それをサンバに使えという。
サンバは、その男の身分証(政治的難民か何かで10年滞在出来る許可)を自分のものにしてフランスに滞在する。

そんな感じのストーリー。

サンバの仲間は中東からやってきて、ブラジル人になりすましている男だが、彼がまた陽気で面白い。

アリスが勤める移民局のスタッフたちも温かく、個性的で、移民たちとスタッフの関わりは和むシーンが多い。

その日暮らし、警察から逃げる、などの大変な生活を精一杯明るく過ごすサンバとその友人の様子は作品を重たくしない。

移民の苦労を描いてる割にそこまで暗くはない。要所要所でサンバの心情が、周りの風景とともに見られ、考えさせる場面がメリハリをきかす。

バスで、彼をじろじろ見る乗客ら。本当にそうなのか、サンバの見え方なのか。
息苦しく、窮屈な世界で暮らす孤独が感じられる。

もちろん現実では、フランスが保守的な傾向があろうと、移民のために力を貸すフランス人達、心を寄せる人たちもたくさんいる。

ただ、サンバのような息苦しくさを感じて生活する移民も多い事だろう。
それはフランスに限ったことではないと思う。

作品はハッピーエンドだ、死んだ男になりすますのは違法だとしてもだ。
映画を観た人間としてはそれで良かったが、実際には移民はどんな生活を送ってるだろうと思わずにいられない。

ここ最近、まるで急に起きた問題かのように、急に思い出したかのように、難民の問題がクローズアップされている。

そういうニュースに興味のない人も、何の問題意識が無くても、この作品を映画鑑賞として観るのはいいと思う。映画自体いい作品だ。

アリスは、サンバとの出会いによって、精神的にちょっとづつ癒されていく。
最後には職場に復帰。彼女の自然な笑みが素敵だ。

サンバの仲間の男性は、自分をブラジル出身と偽るが、それは、その方が仕事に就きやすいからだという。

これについて、世界中にある過去から現在までの問題の、たった一つの例でも思い出さずにはいられない。

狭い社会の中で、そこにもとから住む人は、後からやって来たものに対し、何かしらの敵意を持って接する場合がある。大抵の場合、ただの迫害。自分が正しいと言い訳しなければ、弱いものいじめが出来ないと思うのか、何かしらの理由を主張する。例えば、その移民らが、全員悪人で、その国に大変なことを仕出かすと言うならば当たらない。一部に犯罪者がいる事はある。が、全員犯罪者と言う事はない。

迫害するものらは、何を求めているのだろうか?
本当に移民が出て行く事を望んでいるのだろうか。それはちょっと信じられない。

なぜなら彼らは自分らの生活の不満のはけ口を探し、奴当たっていると言う事を無意識のうちに主張してしまっている。
強そうなものには何のアクションも起こせないので、とりあえず弱いものに奴当たろうと言う根性のようにしか映らないのだ。

そして、何もこのような活動をする人たちだけが、そういう悪意を持っているのではなく、実はその辺にいる普通の市民の中に、あり得ないほどの悪意が充満している事もある。

例えば日本で暮らすあたしは、ファミレスでたまたま近い席にいたおばさんの集団の会話から、など、身近な世界から、差別は聞こえてくる。

おそらく世界中のありとあらゆる普通の景色の普通の人の中に漂っていて、堂々と差別行為を行う人間達が現れる事を許容する下地がある。

テロリスト達は、活動出来る下地がなければ行動できず、実際に戦闘行為に関わらずに資金をサポートする人たちが影にいる。資金を援助する人間は、自分ではテロが出来ないが、やる人たちを応援したいのだろう。

あたし達は不思議に思う。なんでテロリストなんかを応援したいのだろう?と。

表立って迫害する人間を、心で応援したい人たちがいる。彼らは自分では表立って活動出来ないから、やる人を応援するのだろう。資金を援助するかは別として、移民らの排斥を心の中で喜んでいるのだ。
こういうことは全く不思議ではない。
なぜなら身近な存在の中に、これらを許容する悪意が存在しているからだ。
排斥行為に賛同するのは、こうした身近な世界に住む普通の市民だったりする。

こう考えると、不思議に思うテロリストのサポートにしても、排斥の賛同にしても、どちらも実に異常な事だと改めて思う。

どちらも思想云々宗教云々はあろうが、自分が不幸なのは人のせいと言うような安易な被害妄想としての一面では同じ根を持つ。

被害妄想の中の被害者意識で見れば、自分はなんてかわいそうだろうか。
同情されるべきであろうか。皆んなに構ってもらわなければならないだろうか。

当然だが、自分に無いものを数える人は不幸だ。自分にあるものに感謝をしないからで、自己中なあたしを含め、感謝の念を人は忘れっぽい。

だから 人は多分いつだって、迫害する側に回りかねない。

あたしだったら、サンバの友人のような場合、ブラジル出身と名乗るだろうか?
名乗ったなら、自分の国を否定されているような気持ちにならないだろうか?

日本人として、海外へ行った先で、日本人である事を否定されたら、どう感じるだろう?
ムカつくだろうし、お前は何様だと思うだろう。

社会の中に普通の人の口から、普通に出てくる差別意識は、その人の無知も問題だが、許される環境こそ怖い。

サンバ達は不法滞在だ。法に触れることは悪いことだろう。

だが不法だ、では終わらない。
本当の問題は何だろう。
移民にならなければならないのは、どうしてだろう。

ヨーロッパに難民がやってくる。
シリアで起きてる問題を解決の方向へ導けるような国は世界にたったひとつも存在しないのだろうか?世界の国々は、解決したくないのだろうか。

サンバが、本当の意味で、幸せになるにはどうしたら良いのだろう。彼がどうすれば良いのだろう。

いろいろ考えさせる映画だったが、良い作品だった。