†紋楼の桃色番外地†

MONNLOW主義+大画面では正しく表示されません+about必読+

Patti Smith - After The Gold Rush - Banga, 2012 (A Neil Young Song).

2016年10月29日 | ■MUSIC

Patti Smith - After The Gold Rush - Banga, 2012 (A Neil Young Song).

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†宗教は何が言いたかったのか†

2016年10月29日 | ■TV、NEWS■


薬が増えた影響でまた最初の頃のように
身体がつらいこともあり、精神的な症状も悪化していたせいで
ここのところニュースから遠ざかっていた。
今もそうだが、ふいに思い出したことがあり気になる点を書いときたい。

ずっと前からロヒンギャの人たちが大変な目にあっているという
ニュースを見る。ニュースではロヒンギャ目線なので、
一方的にそちらに肩入れするには、あたしは情報がない。
まずロヒンギャとラカインの歴史などを調べていないし
ネットで軽くいくつか調べたが、まだどれが本当の情報なのか
判断できないくらいの浅い知識しかないので、時間ができたときに
調べていくほかないし、ネットではなく本を中心に大量の情報を
当たりたいと思っている。

つまり殆どそこについては何もわかっていない状態で
気になることをこれから書こうと思う。

ロヒンギャの人たちが漂流していく映像は心が痛む。
肩入れするとかではなく人がひどい目にあっているのは本当に嫌なものだ。

最初に、テレビではいつものように、このニュースは
だいたい仏教徒とイスラム教徒の戦いみたいに宣伝されている。
事実反目しあう人たちの宗教はそれぞれにイスラムだったり仏教だったり
するのだろうが、こういう「争い」については
安易に宗教対宗教にする形がとられすぎていて、わかりやすくするため
用いているのだろうかと疑っている。
(わかりやすくする=かなり偏ってる、間違ってることが多い)
これまでの宗教対宗教といわれたほかの争いのケースでは
物事はそんな単純でなかった場合のほうがほとんどで、

そもそも本当にそれだけで争いが起きているとするのなら、
その人たちの宗教...といっても宗派か思想ということになってくるか、
ともかくそれは批判されなければならないだろう。
そんなことだけで争いが起きるとはとても考えられないが。

普通争いが起きるにはいくつかのいやな偶然がいろいろそろってる。

さらに、争いが特に少数の民族の間で起きているときなどは
争いが起きて得する人もしくは人たちが無理に争いを起こしたりしなかったか
についても考えないとならないと思う。

重要なのは「なぜ争わないとならないのか」だろう。

彼らのイスラム教はどんな宗派もしくは何を信じているのか、
彼らの仏教はどんな内容なのかがわからないので
ここは特に知らないといけない点だろうと思う。

「人の宗教は自由だ。人の思想は自由だ。だから批判するのは間違ってる」
これはちょっと違うとあたしは思っている。
自由なのは間違いないことだ。しかしその自由には当然責任がある。
だから批判されることも有りうるし、それは織り込んでおくべきのことだ。
そしてここが重要だが、「何を」批判されているのかがわからなければならない。
また、批判するほうは、相手の宗教の内容を把握しておかねばならない。
さらに、批判するほうは、内容を頭に叩き込むだけではなく、相手の立場について
考えてみてから言わないとならないだろう。
宗教はその人にとって重要なものだから、わからない、知らない人間は
安易に口を出すことではない。

人の思想や宗教は自由だから批判しない、
それでは、イスラム国のような連中を受け入れるということになる。
この世界にある人の命を何とも思っていない思想を批判しないということになる。

それはただの無関心と変わらないし無責任だろう。
ただ、宗教の内容などはちょっと難しい。
とくにその信者でなければ内容はすべて理屈になり理解も難しくなる。
頭に全世界の宗教の何もかもが情報として入っている、なんて無理だ。
だから、極端なことが言いたいのではない。

批判する側は、自分が知れるだけの情報を知る必要があると思うということだ。
批判される側は、相手が何を批判しているかを理解できなければならないし
相手の批判の内容が無ければそれは批判じゃなくて悪口なので
相手にするか無視するかは本人の感情次第ってことになるだろう。
批判した側の内容について、自分がされる側として知らないことがあったなら
それはその場で知らなかったと認めるだけの器も必要とされる。
ここはなかなか難しくすぐ感情的になってしまうかもしれないが。
批判するというのは、お互いにその話の内容を深めていくことだと思うので
そもそも一方が相手を見下している場合には最初から成立していない。

どう考えてもイスラム国のような思想はおかしいとわかる。
イスラム教をすべて理解できていないとしてもわかる。
でもニュースを見て「なんでこんなことするの?」ってことを
知ろうとしていないのは問題ではないかと思うのだ。
さらにそれについてネットで同じような内容の意見をいくつか見るだけで
分かったつもりになってしまうことはもっと危険だ。
それでは自分が危険な思想に近づいてしまう羽目になるだけだ。

宗教は自由だけれど
宗教を批判することは間違っている、ことではない。
そのもとの宗教を離れていって、あきらかに間違った思想が
「宗教」という名前になっているとするなら、
それは、信者のほうから見て宗教ではないとしても、
何もわかっていないニュースをただ見ている側からは
宗教としてとらえさせられる。
それを批判することはおかしくもなんともないことだと思う。

気になる点というのはそこだ。
自由のはきちがいが起きてはいないかという部分だ。

ごく当たり前のことを言っているだろうけど、
その当たり前をおそらくあたしを含め人類のほとんどはすぐ忘れている。
だから安易に差別するしわからないもの知らないものを
知ってるふりをして批判しているつもりになってしまう。

こういう無知を一番警戒しないといけないと強く思う。

たとえば、ここの人たちは「こんな感じの内容を」信じていますとかでもいい。
同じ宗教でも、信じる内容が違っているから一つではないのだし
知ってて当たり前の人から見たら、そんなことも知らないのかと思うかもしれないが
だからこそそれなら知っている人が教えるほかにないと思うのだ。
忍耐のいる作業かもしれないが、伝える立場の人にとってそれは肝要なことだと思う。

そして彼らの宗教を批判する際は、その内容のどこがなぜおかしいのかを
言えなければならないし、そこに必要なのは学者ほどの正確さや自分の意見を
理論武装することじゃなくて、誠意だと思う。それしか相手に伝わる方法はない。
そこがなくてただの理屈、ただの正論、では批判になっていない。
される方も相手に対して自分が、相手の意見は間違っていると思うと言えるだけの
根拠がいる。感情で応酬するほかないとするなら本当に間違っているのでは?と
自分で問う必要があると思う。

結局、自分の知らないことは批判できないし、
批判されても文句は言えないってことだと思う。

あたしは、ほとんど知識はないのだが、イスラム教ってなんだろう?
仏教って何だろう?その他いろいろな宗教やものごとについて触れ続けている。
頭が悪いので、本当にただただ難しいなと思うのだが。
そのうえで、その争っている仏教徒とイスラム教徒がいるという話について
考えると、そもそもがおかしいなという違和感を持つ。
仏教といえば釈尊だ。あたしは聖☆おにいさんという漫画を友達に借りてすごく
好きなのだが、実際の自分が持つ仏陀のイメージはあれではない。
釈尊はなんで、みんなに教えを説いたのかといえば皆が幸せになるためにだ。
死ぬためでも殺すためでもない。どんな仏教徒でも知っていると思うようなことだが
そうでもない。中には、この世は生きてても救われないので死んで天国いったらどう?
っていう感じのおすすめをするものもある。
あたしはこの世に生きていて幸せなので死んでから幸せになるのはちょっと遠慮する。
今の時間が全部無駄になってしまうからだ。
死んでから不幸になるのももちろんいやだけど。死んだあとに意志があれば。

つまり仏教といっても、生きてても救われないっていってるものもあれば
今救われると言ってるものもある。
イスラム教にしても、徹底的に偶像崇拝を許せなくてお墓を建てることすら
だめだと思う人がいたら、お墓を建ててお参りする人もいる。
かっちりお祈りする人もそうじゃない人もいるだろうし
その前に、結局誰が正当な継承者なのかってことも分かれている。
キリスト教だってマジでアダムは土塊からできており、アダムとイヴがいたと
思っている人だって、ダーウィンのほうが有力かなと思ってる人もいるだろう。
プロテスタントがあってカトリックがあり、シーア派とスンニ派があり
大乗仏教と小乗仏教があり、もっともっと、細かく分かれていき、
それらは、宗教と名乗る別の思想となっているものも含まれているかもしれない。

自分は無宗教という人の場合で見られるのは、何も属さず信じないはずなのに
何か目に見えぬ力に恐れを抱いている、それもとても強く。
だからバチがあたるとか平気で考えていたりする。
しかし本人の恐れがあまりに強く、仏とはなにか、神とは何かなどを
知識としてすら自分で知ろうとしないために、より恐れは強くなっている。
だからなのかはわからないが、宗教はダメだといってたりするのだが
その宗教ってものじたいが何かを知らずに言っていたりする。
こういう場合の批判は批判でなく、ただの宗教差別である。
宗教が~という人がそれをある程度わかっていない場合、それは差別以外の
何でもない。何かの宗教に属する世界の人たちすべてを差別している。

で、「自分は仏教もしくはイスラム教徒(の~派~主義~宗派など)だよ、
神もしくは仏のために人を殺すよ」
というのなら、あたしはその人とその思想を批判する。
学者並みに分からないけれど、ある程度調べもする。
それに人を殺しているのなら、その人に対しては誠意を持たないだろう。
これは話し合いを深める批判ではないからだ。
まず何の宗教とかいう問題の前に、人間として間違っているからだ。
でも、ここは外せないが、なんでそんなことするの?を知ろうとする。
それを知ろうとしない限り、何を見ても同じだと思うから。

生きてても仕方ないから死んで幸せになる、についても
それがうつ病とかから起きている病気ではなくて
その教義に存在しているというのなら そしてそれが教義の中で一番
重要なことでそれを信じさせるというならば、やはり批判すると思う。
だって、この世の中などどうでもいいって、いうのなら
そもそも宗教として存在する意義もないのでは?と思うし、
死んで天国行くとかいう、その死後のことを約束されたからって
死んでマジで天国行けるかどうか、天国が本当にあるのかどうかについて
その宗教はなんて教えているのか?を知った方がいいと思うからだ。
いったいじゃあ あなたはなぜ生きているのか?ということになって
しまうようなものは、自殺を製造するだけで、宗教とはかけ離れていると思う。

キリストがみんなに「自殺しようぜ」と
いうためにキリスト教を広めたなどあり得ないし
釈尊が「みんなを幸せにするために殺しましょう」などと言うわけないし
ムハンマドが「テロで無差別殺人しよう」と言ってるわけがない。
そもそも「自分が大切だから自分を守るためなら人も殺そうね」と
彼らは言いたかったのだろうか?そんなわけがない。

もしくはその教義の中の一部のたとえに死を扱ったものがあったとしても
それはすべてを表そうとしたものではないだろう。

なのにその一部だけを見て、そこだけをピックアップしてしまったら
それはもう宗教ではないのでは?と思うのだ。
全体を把握するほかにないし、結局「何がいいたかったのか」を
知らなくてはほかにない。

だから、自分は仏教徒もしくはイスラム教徒だよ、あいつらをぶっ殺すんだ
といきまく人たちは、その時点で宗教とかけ離れてしまっていると思う。
多分どんな宗教でも、殺人については大変に罪が重たくなっていると思う。
自分の命に価値がないと思わせるような思想って危険だ。
あってはならないと思う。
それが広まったら人の命も価値がないことになるから
殺し合いするし自殺するしって状況になってしまうからだ。
現にそんなことになっているテロリストたちがいる。

人を殺すとか虐待したりするような人たちは そもそも
宗教の教えとは全然違う次元にいるのだろう。
そうでなければ、彼らは今頃戦っておらず、協力するし助け合い
勉強しているはずだからだ。

信じているものが間違っている場合、間違っていると受け入れる責任もあると思う。
そして相手があきらかに間違っている場合だとしても、
こっちもあきらかに間違った態度をとっていいことにはならないだろう。

今気になってることをざっと書いた。これからいろいろ知っていこうと思う。

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レディー・ガガ「Hair」

2016年10月28日 | ■MUSIC

レディー・ガガ「Hair」ゲイでいじめられ自殺したジェイミー君に〜Lady Gaga

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†JASON BOURNE†

2016年10月25日 | ■MOVIE

JASON・BOURNE

※完全ネタバレ※



数ある映画の中でも特別好きなのがボーン。
このジェイソン・ボーンのキャラクターがなんとも好きで
新作公開中を思い出したその足で映画館へ。
こういうことだけに行動力見せる。

ボーンはアイデンティティ、スプレマシー、アルティメイタムの三部と
サブストーリーのレガシーの四本が出ており
どれか一つだけ見ても十分面白いし他のも見たくなるようにできている。
アクションとボーンの仕事っぷりが洗練されていて
基本的に内容のほとんどをそれが占めている。
そして最大の謎、ボーンの失われた記憶をおっていく。

あたしはジェームス・ボンドも好きだが、ボンドは完全なファンタジーだ。
まるでギリシャ神話みたいに。
ボーンは、あたしたちと同じ現実の世界を生きており、
自分とはなんなのか、どう生きるかを模索し続けている点で
生々しさと、誰しもがボーンの一部を自分に感じられる。

もう新作は出ないと思っていたあたしにとって続編はかなりハッピー。
今回の新章でも、これまでのボーンのテンポを貫いていて
見ている方はすぐにボーンの世界へと帰られる。

これまでの記憶を思い出したボーンは、日の当たらぬ世界で
拳闘試合などしながら稼ぎを得て暮らしているようで
そこへニッキーという女性がコンタクトをとってくる。
ニッキーは前作にも出てくる元CIAで、ボーンと共に
CIAから狙われる身となって逃げた。
現在ディソルトというハッカーと協力しており、
新たな情報を得たのでボーンにそれを伝えたかった。
(このディソルトが結構いいキャラクターだ)
というわけでアテネの大規模な市民のデモに入り込んで
ニッキーと待ち合わせるのだが、すでにCIAから見張られていて
ボーンを狙う暗殺者もやってくる事態。

このアテネのデモの臨場感が本当にすごい。
デモの中に入り込んでしまって、おろおろするような気持ちに
させるほどだ。ニュースなどでは見られない、デモの迫力や
中の無法ぶりというかはもう、最高の映像だった。
リアルな感じのするこの映像が作り物というのが改めてすごい。
ニッキーと会うものっけから、このすさまじいデモの中で
追跡を交わしながら短くやりとりするボーン。
かなりの混乱の中を脱出しようとするも結局ニッキーは殺されてしまう。
このときニッキーはボーンの運転する単車の後ろに乗ってて撃たれたのだが
撃たれた衝撃でのけぞってか、その瞬間そこにある壁に思い切りぶち当たって
ものすごい音を立てる。
目も当てられないほど無残な一撃に襲われ、普通なら即死だろうに
ストーリーの展開上のため、まだ生きていて、それが本当に苦しそうに
息してて、見てるこっちは動悸がする。
ニッキーの最後は本当にかわいそうだった。

ボーンはニッキーの情報を追っていく。今回は父の死が関係しているようだ。
父は過去にベイルート(レバノン)でテロにあって死んでいる。
その時のボーンの回想に出てくるレバノンの風景は、よく雰囲気を
伝えている。

今回うれしかったのがIT企業の男アーロン・カルーア役で
リズ・アーメッドが出てくることだ。
この役者はミッシングポイントでとても素敵な演技をしていて
品があっていいと思っていた。
今回はいかにもちょっと自己中で腰抜けなところをもってそうな
ITの男を演じているのだが、やっぱり素敵な役者だわ!

トミー・リー・ジョーンズがCIAでボーンの敵となる男を演じている。
まぁこの悪そうなことといったら。それにその部下で、野心家な
ヘザーという女性もボーンに協力するが、信用できない。

映画は最初から最後までずっと緊張の連続が続く。
ボーンは父親がなぜ死んだのかなどを知り
最終トミー・リー・ジョーンズ演じるデューイ長官のもとへむかう。
長官に殺されそうになるも、ヘザーが長官を殺して間一髪。
命を助けられるボーン。
この時、デューイの命令でヘザーとカルーアを殺しにやってきた暗殺者は
ボーンに仕事を邪魔された挙句警察に追われる羽目になる。
ボーンにしてはこれまでと違った展開で、彼が逃げる暗殺者を追い、
その後ろを警察が追ってくる。
これまた激しいカーチェイスが繰り広げられるのだが、
暗殺者はスワットの装甲車で邪魔な車を何台もぶっ飛ばしながら走っていく。
このわやくちゃな運転見ていて大笑いしてしまった。
最終的には二人で死闘を繰り広げることになる。
ボーンは毎回そこにあるものを武器にする天才だ。
今回は拾った鍋みたいなもので相手のナイフに応戦していた。
暗殺者は手強かったしピンチもあったけど、これまでのボーンより
やっぱり格段に強くなっている気もした。

彼はデューイと面と向かったときに、CIAに戻ってくるように
いわれて、別の生き方を探すと答えていた。
デューイを殺したヘザーは自分がのし上がるために今度は
ボーンを利用しようとするけど、結果、ボーンには筒抜けだったため
彼女の野心は失敗する。
前に出てきたパメラのような正義感からボーンに協力する
タイプとは違い、なかなか手強い野心家の女性みたい。

ボーンらしさを全く失うことなく、見ごたえある2時間は最高だった。
スクリーンでボーンがみられるというのもうれしすぎることだ。
本当に新章がきてうれしい。

今この現実にボーンがいたら、と想像するというか、そういう
パラレルワールドに入り込んでいるような気持になる。

あたしたちはこの世界で自分が何者かを問い、
どう生きてようかと葛藤する。
それは幸せになりたいと望んでいるからだと思う。
幸せになるってどういうことなのかを問うていくと
生きるとはどういうことなのかを探るのと直結していく。

ボーンが悩むように、あたしたちも迷いながら
しかし彼が別の生き方を探すと決めたように
その覚悟が次への道を開くのかもしれない。

いろんなことを、ボーンは教えてくれていると思う。
映画が面白い以上のいろんなことを。

世界の様々な現象実際のできごとなどが現れるボーンの世界は
あたしたちの世界でもある。

本当に面白かった。やっぱりボーンは最高だ。

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†無知†

2016年10月23日 | ■TV、NEWS■


移民を迫害する人たちは 何がおもしろくて
そんなことをするのかなと 前から思っていたのだが、
何かの本に、弱いものをいじめている人の脳は
その楽しさに依存しているような状態で
だめだと注意されたところで やめるはずがない
と いうようなことを書いていた。
何の苦労もなく無料で、その本人にとって面白いことが
できてしまうので、その刺激に依存するから
どんどんエスカレートしていくという。

こうした人は負け犬にとりつかれているような感じなのかな。
その人の思考は異常な状態にあるわけだから
こうした人とまともに向き合わされる被害者のほうは
まじでまいってしまうだろうし深刻だ。
そうできるのなら まともに関わらないようにするのも手だと思う。
その人と関わらない場所でしばらく過ごすとか。

そういう人ができるだけ増えないほうがいいのだが。
そういうほうへ簡単に流されてしまう可能性もある。
もとから強い人はいないので 基本的には人は弱い。
自分は強いという思い込みも危険だし
自分だけ大丈夫ならいいわということなかれ主義は
結局自分へ降りかかる問題を棚上げしているだけなので
時間の問題で自分の首を絞めることになるとおもう。

自分が偉いと思いたいのは皆そうだろうけど無知な証拠だ。
偉いとか賢いとか人より上とか、そういうものが
土台だと自分がすぐ下になって自分の考え方につぶされると思う。
この世界はたぶん、そういう人たちにとって一番残念な現実で
できていると思う。
つまり 上とか下とかもないし、人と人が蹴落としあうために
生きてないし、くだらない見栄を張ったりするようなことなど
何の価値もない世界だ。
だから、狭い世界の中に閉じこもっている思考だと
自分の思い通りにならない世界は間違っている
世の中が間違っている、人を差別しないなんて間違っている
というような病的な発想になるのかもしれない。
何の努力もせず人を見下すということで
自分をなんとか自信付けようとしている人が
その常識が通じるのは意外に狭い範囲ですってことに気づいたら
病院行くなりして、相談するほうがいいかもしれない。
その考え方のゆがみはどこからきているのか?を探るのも手だ。

他国を馬鹿にするような本が売れているのは、
そういう間違った自信を安易に得ようとする人が多いということだと思う。
そういう本を読んで安心したり、自信を持ってしまう人は
要注意でいたほうがいいと思う。まともな感覚じゃないから。

移民をいじめる人もいるよ、とか、こういう本書く人もいるよ、
世の中にはと思う人もいるかもしれない。
たぶん、こう感じる人がとても多いのかもしれない。
つまりあきらめで、この世がどうであってもどうでもいい。
誰かがどうなっても それが明日の自分かもしれなくても。
こういう諦めの思想は、生きてるより死んで天国いくほうがいい
と思い込む過激派と似ている。
似ているのではなく、もとは一緒だろう。

自分が楽しければよくて、自分だけうまくいきたくて
自分の考えだけが正しい。

この無関心的な思想は世界中を毒に染めるだけだろうなと思う。

教育を受けていればということが重要だが
冷静に見て、「どうせ生きてても苦しいだけだから死んで天国いったら
いいんじゃない」というような発想は、まともではないと感じるはずだ。
こういうことを言う宗教は昔々から日本にもあるし
たぶん世界中にあるんだろうな。

世界中にある宗教を紹介するような本はいろいろあるけど
書いてる本人がかたよっていたりして何のあてにもならない。
地理や歴史などを研究している人の本などもそうだけど
突然書き手の考えは人類の考え方と言わんばかりに話が進む時がある。
普遍的なことではなくて、作者のただの感想に巻き込まれる。

いたるところで人は偏りやすいのだろう。

過激派などは、すぐ巨大化したくて争いを起こそうとするから
各国と戦争状態になるし ニュースもすぐ忘れられていく。

そうした目立ったものとは違って浸透する毒のような
ものは目に見えないからわかりにくい。
まともではないと気づかない、諦めとか無関心とか
もしくは極度の視野の狭さや、人をいじめている人の異常さ。
本来は、人をいじめている人以外の大半はいじめられている方に
味方して、いじめている人がいじめに依存しない形を
作るほうが良いと思うのだが、弱いものいじめのほうが楽しいと
思う人も結構いたりするのかもしれない。
無関心でいる人はいじめている側についていることと
同じなので、明日は自分かもしれない。

幸せなはずもないし、自分だけ幸せになるなどファンタジーだ。
だから見栄を張ってまで幸せを演じなくてはならなくなる。
本当に歪んでいるのは根本的な無関心やこの世は生きてても
仕方ないなどというような思想で、そういうものに
流されてしまうと、その影響を受けないではおられない。

人が心の底で望んでいるのは、本当の意味で幸せになることではと思う。
本当に幸せな人は、人の幸せが自分の幸せだし、
その日が良ければすべてよしではないし、
諦めも無関心もない、けれど崩れない幸せがあるから
どんなことが起きても終わってしまわない人だろう。
そういう人も実際にたくさんいる。

そういう人になるためには自分が努力する以外にない。
努力が面倒な人はことなかれ主義など安易な道を選んで
おそらくずっと人生その繰り返し。
こういうのを不幸といわずになんというんだろう。

自分もいつでもそうなる可能性がある。
自分だけは大丈夫と思っている人はもっとまずい。
どんなにすごい人でも、すぐに慢心に陥るから
だからずっと自分との闘いを続けるしかないのだろう。

私たちは無知で、何にもわかっていない。
どれほど賢い学校で一番の成績をとり続けていても
どれほど素晴らしい天才発明家や医者だとしても
それは本当に尊敬するほどすごいことだけれど
その道のプロであっても、
私たちは真理など何もわかっていない。

あの広大な宇宙をものさしで図ろうとするような
無知を持っている。
何でも分かっているような気がしているし
なんでも自分の力でやったような奢りさえ持っている。
そういうのは慢心だと思う。

自分が無知だという意識がなければ
謙虚にもなれないし、人を見下す。

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バセドウ病経過

2016年10月23日 | ■病気に関すること■


バセドウ病と分かった最初のころみたいな
症状があって、やっぱりそうだった。
前回薬が減ったけど、元に戻った。
薬が戻ると体も戻るそうだ。
吐き気、胃の痛み、すぐ疲れてしまう、など。
そういえば最初こんなんだったなぁと懐かしくすら。

しかし通院はじめた去年よりは
明らかに正常値に近づいているので
何の心配もない。

はっきりいって、疲れてしまったりするのは
つらいといえ、この病気はなんっにも
大したことがないから 有難いくらいだ。
しかも、どんどん治るだけなので不安もない。
三か月に一度検査を受け病院の先生が
みてくれているというのは大きな安心感だ。

最近過食気味なのも、バセドウ病のせいだろう。

体はしんどくて、ゆっくり過ごす以外にないのだが
精神状態は非常に安定している。
毎日勉強しているのが良いようだ。

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Azure Ray - Sleep

2016年10月18日 | ■MUSIC

Azure Ray - Sleep

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スチャダラパー - オワリのうた Illmatic Buddha MC's

2016年10月16日 | ■MUSIC

スチャダラパー - オワリのうた Illmatic Buddha MC's

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✝回復傾向✝

2016年10月16日 | ■病気に関すること■


とても具合が悪いことは書いたが
勉強をしているときは正気を保っていられるので
毎日一日のほとんどを勉強に向けていた。
そしたら、だいぶん良くなってきた。
この、良くなってきだしたなと思った時が
油断大敵だと思うので ともかく
今できることを考えている。
非現実的なことは考えないようにしている。
怖いと思う病気だから 急に非現実的になる。
それと、ポジティブに考えるようにしている。
できることをするほかにない。

ちょっとイライラしやすいようで
首も腫れることが多く、下向くと吐きそうになり
胃の様子も悪い。
思うのだが、ストレスというよりバセドウ病の
せいだと思う、これは。

あたしはヤンキーキャンドルのクリーンコットンが
大好きで、時々それを使うと落ち着く。
眠くなることさえある。
4個入りで600円を超えるので安くはないが
本当に落ち着くので時々買っている。
この間なぜ故か安売りで4個入りが180円になっていた。
二箱買って、それを使いまくっている。
とてもリラックスする。

他のにおいも色々試した、でも全然ダメだった。
もともと花のにおいも嫌いだし 強いにおいが苦手だ。
でもクエン酸系だったら大丈夫のようだ。

お風呂のきき湯の黄色のやつすごい好きだ。
なんかスカッとするにおいがしてリラックスできる。
もうきき湯なしのお風呂など考えられないくらいだ。
でも他にも好きなのがあって、
それは最近知った入浴剤なのだが
あんかけ湯という名前のものだ。
とろっとした感じがする。
とにかく気持ちがよくて もうお風呂から出たくなくさせる。
本当に最高で、自分で一人でお昼とかにリラックスしたいとき
だけに使っている。
好き嫌いがはっきりする入浴剤だと思う。

バスボールという丸い入浴剤があって、それがとけたら
中から人形が出てくるというおまけ付きのものがある。
400円弱くらいで 安いとは思えないのだけど
最近になってスヌーピーが急激に癒されるのでスヌーピーの
バスボールを買ってみた。
子供のころを思い出した。そういえばお風呂で遊んでたなあと。
遊び心のある入浴剤だった。中からチャーリーが出てきた。
ちょっと楽しかった。お風呂で遊べる大人用のおもちゃみたいな
やつあれば長湯も楽しくなりそうだな~。

前より圧倒的に一人になる時間が増えた。
言ってみれば自由時間が増えたともいえる。
そのうえ、お化けが怖くなくなっているから
病気の具合にもよるが基本的に一人でいろいろ満喫できる。

お化けが怖くなくなったのは本当にありがたいことだ。
何が怖かったのだろう?と今になっては思う。

煙草をやめたのでお小遣いが余る、それで
病院代に貯金をしている。
最近前からほしかったノートパソコンを買った。

アイフォンはすごく便利で最高だから
アイパッドにしてノートもマックにすれば統一できてよいかも
しれない。事実身内はそうしていて 全部が統一されていて
自由度が高そうに見える。
アイパッドは確かに良いなと思うのだが、
ウィンドウズに使い慣れているだけに やっぱり
ノートパソコンにすることにした。

あたしはワードはものすごく使えると思う、たぶん。
フリーペーパー作ってたくらいだから、たぶん。
フォトショはほとんど勘と、長いこと触ってきたから
大体、って感じで。
でもパソコン自体のシステムについては何が何やらで
どんなパソコンを買えばよいのかさえ?わからない。
タピさんに選んでもらってよいのが来たので満足だ。

サプリを買って食べている。
ストレスの強いときグミが食べたくなる。
それはモンローのせいなのだが
モンローはあたしの一部だから 食べたくなる。
サプリでグミのがあるので買った。

おいしいものを食べるのっていい。
ともかく最近は胃がいまいちな感じなので
胃薬を飲んでいる。
ちゃんと軽い運動をしている。
朝起きて太陽を浴びている。
自分を分析している。
ご飯をきちんと食べている。
よく噛むようにしている。
野菜を食べるようにしている。
お風呂でマッサージをしている。
水を飲むようにしている。
すごくおいしいコーヒーを飲む。
便秘を治す努力をしている。
人と接している。話している。

それでもひどいパニックと鬱が出てくる。

これを倒すためにいろいろと工夫する。
これからも工夫と分析を続ける。

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Gentleman (Vintage 1920s Gatsby - Style Psy Cover)

2016年10月15日 | ■MUSIC

Gentleman (Vintage 1920s Gatsby - Style Psy Cover)

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有料の値打ち

2016年10月15日 | ■TV、NEWS■


ふつうにテレビって無料っていう概念が出来上がっていて
自分がみたい専門チャンネルなどがあればお金を払うという
感覚がある気がする。

あたしは経済の難しいことも法律のこともよくわからないうえで
思うのだが、NHKはお金を払わねばならないということになっている。

NHKの番組は特にBSのドキュメンタリーなど、貴重な取材をされた
番組や素晴らしい情報を多く提供してくれているし
NHKの記者が書いていた本もすごい取材力で感動したことがあるので
NHKがやってきてお金を払ってと言われたらうんと言うだろう。

けれど別に興味もない人も多くいるし、全然見ない人
(例えばあたしはテレビが嫌いなのでNHKのドキュメンタリーとか
基本テレビでニュースとか以外には見ない)
とか、NHK全く見ない人がいると思う。
そこで、お金が発生していると、なぜかわからないけれど
みんな払っているから自分も払わなければと思って払っている
パターンも多いのではないかなと思ったりする。

そういう風になぜかを考えず周りに合わせている人は
意味なく払い続けていれば良いと思う。周りに合わせるのが
目的だから。

しかしなぜかを考える人にとっては結構いろいろな疑問が
出てくるのではないかな?と思った。

NHKは受信料もらって成り立っている、
その受信料って国から出る、イコール国民から出る。
国民がNHKにお金払うことは法律になっているらしい。
例えば一部の勝手な人?(NHKから見て)のせいで、
本当に見たい人が見られなくなっては困る、という理由も
あるらしい。

だから払ってね、でもなく
みんな払ってるから払ってねでもない。
うちの家払ってるのに○○さんの家払ってないなんて不公平、
でもない。

思うに、これだけテレビが無料だと思っている認識があって
見る人も見ない人もお金払うことになっているシステムならば
お金を出すだけの値打ちが どれだけあるかを
NHK自身がアピールしないと、

なんでお金「払わせられる」の?になってしまう。

国だから法律だからというアピールは特にやらないほうがいいと
思うし、それはお金を払ってもらう相手に対して敬意がない。
反感を買うだけだし、その場ではうんと言っていても
嫌われると思うな。
そのうえ自分のところの会社をマイナスの印象にしている。

お金を払う人がいないと成り立たないのだから
いかに値打ちがあって面白そうで 
あたしたちが お金を「払いたくなる」ようにできないと
本当にもったいないと思う。

それだけどNHKはそういう努力をしているのかどうなのか
全く分からない。たぶんしているだろうが見えていないし
ほとんどの人に伝わっていない。

もうほとんどを無料にして有料版を作るとか、
もっと客としてお金を払ってもらう相手に
どういう風に接したらいいのかとか、
なんかいろいろと工夫というか努力?をしなければ
自分たちの首を自分たちでしめている風に感じる。

あたしはNHKの番組すごいなって思うのがあるから
別にいいけど、あたしみたいに思う人ってたぶんそういないと思う。
だからって民放で人気あるような番組を作る必要もない。
それなら民法でいいということになるからだ。

まず、一般に全然NHKがお金払うほど価値あるってこと
認識されていないと思う。

値打ちはどこにあるのか、払ったお金は何に使っているのか?
何もわからない。

あたしだけがこう思っているのだろうか?
むしろそれなら逆にいいのだけれど。

企業を経営してきたみんなに尊敬されているタイプの
人とかに指導してもらう?とかもありなのでは?
でないとせっかく良い番組を作っていてももったいないし。

この時代になんでNHKだけが選択の自由もなく有料なのか、
それだけ価値ありますっていう認知を広めてほしいと思う。

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この先一生これか

2016年10月03日 | ■病気に関すること■

昨日はずっと様子おかしくて
パニック気味になったり辛かった。
日常に戻ろうとインスタしたり
勉強したり色々工夫した。
ようやく1日が何とか終わってくれた。

睡眠薬飲んで寝て今日が来た。

今日は五時起き。
朝のうちに大変な英語の作業を
終わらせておき、朝ごはんを食べ
洗濯をする。

死にたい人に死ぬ前に読んで
くださいというようなサイトに
書いてあったことを思い出した。

自分は死ぬ気はしないが
同じように死にたくないけど辛いの
どうにかしたいって人にもきっと
役立つのではないかな?

美味しいものを食べる
お金を使う
終活する
などだった。

ここでも前に触れたことがある。

確かに死ぬ前提なら
お金は使った方が良いかも?
そんな余裕があるならむしろ
そうすべきだと思う。
自分の意思でなく無意識的に
不意に死を選ぶ場合は、そもそも
そのようなサイトを見つける暇はない。
思い悩んでいる人には
生きるためのチャンスが実は
腐るほどあるのかもしれない。

ともかく話を自分に戻すと
あたしの場合確かに無意識には要注意だが
死ぬ気などしない、ただただ
もう疲れたってだけのことだ。

美味しいものを食べることは
良さそうな気がする。

ていうか野菜ジュースとか
サプリも買って来た。
必要な栄養素を吸収しないと
精神も落ち着かないのかなと。

こういう場合こういう状態に
なっているから、こうすると良い
的な知識とかって、
今みたいな場合には何の役にも
立たない。

一番嫌な部分はこれが誰にも
分からないというところ。
伝え方も分からないから
真剣に扱ってもらえないし
見た目にどこも悪くないから
余計に深刻さも伝わらないし
たとえ説明できたとしても
された方は理解不可能だ。

今の病院ではそれがなぜなのか
が分からないし、診察受けると
意味もなく情緒不安になり
一週間くらい鬱になるから
今の病院では何ともありませんと
言って即座に診察を終わらせる以外
方法はない。

そうだから医者も多分無理なのだろう。
たとえ良さそうな医師がいても
こんな田舎にいないから
通えないし無理だろうな。

理解してくれるひとが
一人でもいたら安心感が全然違うだろう。
もちろんそれは医者に限るが。

自分の意味不明な辛さを
そうなるのはなぜか分かっている人が
いたら治る気さえすると思う。

自分で自分に起きることが
理解できないから治せないのだし。

日本に自殺が多いのは
いろんな理由があるだろうけど
あたしの場合死にたくもないのに
理解されず希望も感じられない。
死にたくなってる人が
理解してくれる人を見つけられなければ
絶望するのかもしれない。
よく分からないけど。

生きるのは大変なことだ。
一秒が一時間ほどにも長く感じる
ような毎日に、ふと
これからもこれが続くと思うと
やり切られないしぞっとするし
もう頑張れないなと思ったりする。

普通の場合、何日も何日も辛くて
たまらない状態をキープできない。
次の日は次の日が来る。
あたしの場合次の日じゃなくて
辛い時間がずっと続いているから
次の日なんかない。
新しい日などない。
発作的になっていないというか
押さえ込んでいる状態で緊張しているか
発作的になっているかしかない。

いろんな癒しとかをたくさん
試そうとする。

一日1回くらいはホッとすることがある。
一瞬で、それはその場しのぎ的で
持続はない。

治っていると思っても迷宮だ。

迷宮の中の螺旋階段を登り続けていて
上がってるのにグルグル回っているから
ちょっとづつでも前に進んでることに
自分が気付けない。
とタピは言った。
確かに自分に無意味なことは起きないし
少しでも進んでいると思いたいのだが。

また初期衝動もぶり返しているから
余計かな?
どんだけ前に進んでもズルズル
スタート地点に引き戻されているような
気がする。これはいつ治るんだろうか?
いや治るも何も理解できる人もおらずに
治るわけがないだろう。

この先一生続いていくのかもしれない?

てかヤバイ時はどうしたらいいんだろう。
今は崖っぷちにしがみついている感じ。
気を抜いたら落ちるし
どうなるか分からない。

どーでもいいと開き直れるほど
楽観視できない。

安心したり普通にしていたい。

とにかく何もできんのだから
勉強して過ごそう、それしかない。
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記録

2016年10月02日 | ■病気に関すること■

一夜明けても何もよくなっていない。
が、変なパニックは今は収まっている。
首から下のところから
腰の上までに
巨大な穴がぽっかり空いてるような
不安感というのだろうか。
支え的なところが崩れてるようで
しっかりと安定しない感じがする。

不思議なことに今が
夢の中のような感覚がしてくるが
ずっとではない。
現実感が薄まるというか
夢の中でものを見てる時のように
自分が遠くなってるような気がする。
これは昨日もあったし前もあった。

その時、自分が、この今の現実を
ちょっと遠いところから受け取る
感覚がするので、
少し思考停止状態に近くて
気分がマシになる。

それで、夢の中のような現実に対して
ちょっと違和感が強くなり
夢ではないことを脳に確認させる。
ぼんやりした現実はクリアになり
一瞬の遠い夢見たいな奇妙な感覚が消える。
初めてそれになった時は気持ち悪くて
心療内科の意思に相談したのだが
薬出しますって答えだったので
それが何なのかその医師も
わからないのだろう。

水中眼鏡の向こう見たいだ。
ただし水でゆがんではいないが
透明の分厚い曇った壁がある感覚。

酷いと自分でも、今が何なのか
認識することに混乱する。
これは夢なのか、そうじゃないのか。

でも夢の中で夢から覚めたと思って
実はまだ夢の中にいて
夢から出られないっていう悪夢を
見ている時のように怖くはない。

そういえばもう一つ不思議なのが
前にも調子よくない時
道端に急に蛍光の黄緑色をした
巨大ないも虫のような虫が現れて
びっくりしてじっと見て立ち去った。
誰も信じてくれないのだが虫はいたのだ。
それで、また見たことのない虫を見た。
変わった虫だが部屋に出たから
始末するしかない(ごめん)と思い
あたしは小さな虫なら
パッと捕まえて殺すことはできるので
その虫を捕まえるのだが確実に
捕まえても捕まえられず、
一体なぜなのかわからないけど、
今度こそ確実に捕まえたのに消えてしまった。

それでまた虫がいた気がしたのに
今度は気のせいだった。
もーこういうの本当にストレス。

ともかくずっと酷い気分なので
自己分析し続けているのだが
無意識に体がぎゅっとなっている。
体にすごい力が入ってて
皮膚の感覚が普通の時よりずっと鈍感
な気がする。
熱いとか冷たい、そういう感覚は
気がそれてちょっとホッとすらさせる。

買い物に行かないと行けないのだが
マジで行きたくないな。
人のいるところに行くの
こういう時本当にキツイ。
だからといって自分で行くしかない。

秒感覚で体が脳が痛いような重いような
辛いから、時間全然経たない。
自分の一秒がスローみたいだ。
苦しいからだろう。
辛さは長くは続かないと言うのは
一般論だった。

だが、こんなしんどさを生きてるって、
すごい価値ある命だと思う。
ふつーに苦しくないのより
ずっと重い価値がある人生だろう。

自ら死んでしまう人もいる。
そこまで追い込まれて本当に辛かった
だろうし無意識にそうしてしまった
かもしれない。どちらにせよ悲しいことだ。
その苦しみは本人にしか理解できない。

あたしは他の人のことはわからない。
自分は死が間近になりやすいことを
わかっているから、自分の意思を確認する。
死にたくないし、こんな馬鹿げたことで
酷い気持ちにもなりたくない。

こういう病気の場合
ゲームとかお酒とかは依存しやすくて
よくないらしい。
ゲームは単純操作の繰り返しだと
脳に悪影響なのだろう、
テレビを見てばっかりいると認知症に
なる確率が上がるらしい。
テレビを見ている時の脳は
思考停止みたいなものなのだとか。
だからあまり脳にいい影響を与えない
と始めからわかっているようなものは、
どちらにせよ避けている方が良い。
そもそもゲームは依存できるものだから
こそ、ゲームなんだろうし。

もう一つ分かったのは
こういう酷い状態の時は
いくら理論や根拠や理性的に考えたって
殆ど理解できないことだ。
難しい記号みたいに右から左。
脳の理性的な部分が寝てるのかもしれない。

あと異常に眠い。
疲れていないし食欲もない。
どうして眠いかわからない。

こう言うのは一体なんなんだろう。
自分の病気分からなくて嫌になる。

気分転換になるのは掃除とか
要らない物を捨てるとか
運動とかって言うのだけど
やろうと思ってるのに
無気力感って言うのか?
もう無理ってなったりする。
けれど、そのまま無理ってなった
状態キープしてたらヤバイから
トイレに立つ時なんかに、ついでに
掃除機を手に持つとか、無理にでも
状況を作り出すようにする。

記録終わり
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パニック

2016年10月01日 | ■病気に関すること■

またしても今日
何秒間かの間に
笑い出したり泣き出したりを
ずっと繰り返すパニックのような
ものになってしまった。

しかし悲しくもなく
面白いわけでもない。
感情がないに等しいのに
笑い出したり泣いたりするのを
どうすることもできず
コントロール不可能。

本当にブルーになる。

これは脳が限界を感じて
勝手にしていることだろうか?

分からないが、こんな発作みたいな
物があると非常に困る。

その時あと一歩のところで
ぷつんといってしまうのを
必死で止めている。
ものすごい労力だ。

目も開けていられないし
やばいのがわかる。

多分恐らくぷつんといったら
勝手に死のうとするかもしれない。
前に無意識に殺されそうになったから
そう思うのだが。
無意識になって油断してる時が
一番危ない。
だから落ち着いてホッとした瞬間も
気は抜かないでおこうと思う。

勝手に涙が出てくるのは
副交感神経を優位にさせるために
一時期脳が勝手に良いシステムを
起動させようと
あたしの意思を乗っ取っている
のかなって思ったりする。
それでショートするのを防ごうと
しているのかもしれない。

強いストレスでリンパ腫れるし
息は苦しいし
呼吸だの何だの良いこと、
リラックスすること
何をやってもダメだった。

深刻さを伝えられないし
わかるはずないし

医者に行くしかないかな?

ともかく、強く理性的にいよう。
自分にまつわる全ての不可思議な
事に対して根拠を洗い出そう。

こんな馬鹿げたもののせいで
自分をめちゃくちゃにされたくない
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