†紋楼の桃色番外地†

MONNLOW主義+大画面では正しく表示されません+about必読+

チューリヒ美術館展 3

2015年04月24日 | ■ART
そして、あたしの大好きなクレー。「深淵の道化師」には、愛らしい顔の道化師が子供の世界を描き表したような表現で描かれる。さりげなく描かれた家の様子、これがどこかバスキアを思い出す。クレーはどれを見ても全部好きなのだが、「狩人の木のもとで」に描かれた狩人の愛くるしさと言ったら。
(←絵の左下一部の狩人)
「スーパーチェス」については、クレーの気持ちの良い周囲の、さらに盤の色合いが、駒の形が、とにかくクレーの世界で、和む。
こうしてクレーを生で見られる日が来ようとは。ここでもなかなか夢現な状態。

ざっと行く。イッテンの「出会い」は唐突に好みで、温かな色が続く一枚だ。有名なモンドリアンの「赤、青、黄のあるコンポジション」は本と違い、本物は、ちゃんと塗ってあるのが分かる。同じくカンディンスキーの抽象的な「黒い色斑」も本物はとても味のある作品だった。

さてジャコメッティ。「色彩のファンタジー」

完成された印象。完成度が高すぎてこれ以上のものは生まれないのではと思うほど完璧な作品だ。タイトルの通り散りばめられた色が一面を構成し、その厚みある黄色い絵の具の集まりが、突然目に入ってくる。黒の置かれ方は目にしたことのないセンス。本当にこれだけの色が見事な一体感でファンタジーを成すのだから。なんて言うかも分からない感覚が胸から上へと突き上げてきて、この感覚はいったい何かと不思議に思った。絵の中で弾けたくなるような、自分の感覚がばっと解放されたような、得も知れぬこの未知なる感覚は、説明すら不可能だ。とにかくこの絵のインパクトは激しく、一瞬で恋に落ちたみたいだった。

ジャコメッティは彫刻も紹介されていた。アフリカ的もしくはアジア的な要素を感じさせる独特の「立つ女」。後ほど調べたところ、ジャコメッティはアフリカやオセアニアの影響を受けているとのこと。展示では説明文パネルを一枚か良くて二枚しか見なかったため、気になるものは後で調べるわけだが、それにしてもジャコメッティの彫刻は不思議だ。アフリカやアジアなテイストの物は好きだけど、彼のは、アフリカっぽくはあっても、味わいはヨーロッパって言う印象。「ディエゴの大きな頭部」は、男性の薄っぺらで細い像。正面から見ると、ちゃんと顔だ。あんなに薄っぺらなのに。

絵の前にいると、あちこちから、「シャガール」って呟く声が聞こえた。人気のようだ。シャガールは、神秘的な馬を描く。「戦争」と言う作品では悲惨な光景が大きく描かれている。脱出しようと乗り込む人達を乗せている馬車の馬は鞭打たれ、その表情はみている者が深刻になるほどだ。深く傷つきショックを受けた様子は、胸を抉るような悲しみと残酷さを突きつける。
そして、下では遺体を前に哀しむ人々がいるが、その中でも、右に描かれた女性は、泣くわけでもなく悲鳴をあげるのでもない、あまりのことに現実を受け止められず笑いそうな今にも狂いそうな表情だ。馬といい、シャガールのとらえたこの表情は、あまりに凄く、この絵の前で悲しくならない人は居ないのではないか。
(戦争の一部、一番左の女性)
幻想的で童話に出てきそうな「窓から見えるブレア島」など色合いが見事で、シャガールの世界観は物語に溢れている。この人の馬を見ると時々魔女の宅急便に出てくるウルスラの描いた絵を思い出す。「ヴィテプスクの上で」には、ロシア風の建築物。この展示の中では稀な、キリストにまつわる絵「聖家族」などが印象的。「聖家族」では、ヨセフ(マリアの夫)はおじいさんなんかではなく普通の父親で、マリアもごく普通にいそうな主婦。ヨセフの膝の上のイエスは小さい身体ながら既に髭をたくわえ、そこが、あたしには特別に奇妙で、ちょっと怖くすらある。

絵画はまだまだ続く。
エルンストの「都市の全景」は、中央に丸い月が浮かび、あたりを仄白く月光が照らす。この月の色が何にもまして存在感を放っており、クラクラしそうなほどの輝きだ。マグリットの「9月16日」と言う作品は、きれいに描かれた一本の木と風景と、その木の中央より上に三日月が描き込まれている。

よくぞこの位置に月を配置したものだ。このセンス。詩的と言えばそうだ。絵本に出てきそう。ミロの「絵画」と題された作品はまるで人間の身体の一部のような流れが、記号的に表されて、ほのぼのする色遣いで良い。同じシュルレアリスムでも、ダリはまた別物だ。

ダリの「バラの頭の女」は誰もがダリと聞いて想像する、あの感じである。
油彩と言われて、よく見ると確かにそうだ。これまで見る限り、油彩とは思っても見なかった。これがシュールだと言う意味も分からない。ただただ、怖い。異様なバランスが、遠くに見える人が、机らしき上に置かれた卵みたいなものが、ガウディの建築みたいな何かの骨っぽい椅子らしきものが。ダリの描く何もかもがぞっとするような怖さに溢れ、じっとみてはいられない。あたしは前からダリが怖い。



他にもここで名前すら出なかった画家の作品など、本当に盛りだくさんだった。
どの画家も個性を光らせ、天才っぷりを見せつけている。技術的な面に触れたら、もっともっとすごいのだろう。悲しいかなあたしには分からない。
ただ、一度出くわすと後戻り出来ないかのような、凄い感動がある。

お土産では、本とブックマーク、それにポストカードやファイル類などを買った。お土産買うと、小さなしおりが当たるくじ引きが出来る。なんの絵のしおりが当たるかはお楽しみ。嬉しい事にルソーを当てた。宝物だ。

一階では、縄文土器などを展示してあり、大興奮。それは次回に譲る。

本当に見れて良かった。神戸に住んでたら何度も行ったに違いない。しかし平日とはいえ、やはり人気の画家が揃ってることもあり人は多かった。5月10日まで開催しているそうだ。印刷とは色や空気が全く別物なので、生で見るのは貴重な機会だ。とてつもなくすごかった。
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チューリヒ美術館展 2

2015年04月24日 | ■ART

ルソーの前に来る。大好きなルソーが目の前にある事が夢のようだ。じっと見ているはずなのに、絵の細部について感じた事を思い出せない。ドキドキした事だけが記憶に残る情けない事態。

この超がつくほど個性的なルソーの描く人物は、「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」と言う作品だが、ロティかどうかは不明である。エドモンド・フランクと言う人物が、この絵は私だと言っているのだが、そのエドモンドとおもわしい人物の写真を見ると、そうとしか思えないのだ。ルソーは、個性的に描くがしかし、その絵は誰なのかがハッキリと分かるものを描く。他の人物にしてもそうだから、別の肖像画については、このように言われた。「誰もがこの肖像画が彼に似ていないと言ったにもかかわらず、誰もが彼だと分かった」

とは言えもう誰かは分からない。

ぱきっとした襟元の感じや背景の木もそうだが、タバコを持つ手を凄くじっと見た事は覚えている。
前にルソーについて書いた記事でも言ったが、彼の絵は下手すぎて笑われたと言う話を思い出した。なるほど考えてみると、ゴッホやモネと言った、特別なほどの画力を持つ画家達にはギョッとする上手さが満ちている。ルソーは花嫁が浮いていたり、馬車の車輪が繋がっていなかったりすると言う点では、そこまでの技術は欠けていたのかもしれない。けれど、それがいったいなんだと言うのだ。一度見ると忘れられないこの見るものを圧倒するインパクト、ルソーの色、作品からみなぎる魂は、直接的に人の思考をルソー一色にする。シンプルでいて迫力、表現する言葉の見つからぬ表情をご覧あれ。上手い下手の技術だけで語るなら、この世に名作など生まれない。絵も音楽も理屈ではない。それらを超えて人の心を捉える力こそ、価値あるものと呼ぶべきだ。
当時、ルソーの絵が理解出来ずに笑った者こそ笑い者となるほど、こうしてルソーは人から愛され尊敬されて、ここにある。

次へ行く。
ヴァロットンの「アルプス高地、氷河、冠雪の峰々」と言う作品は、ことのほか流れる水の色に惹かれた。

はっきりとした絵の中で、気持ちが良い透明感をもたらし、何かがツボだ。全体的に色のバランスが特に好みで、「日没、ヴィレルヴィル」では、層になった色の上に浮かぶ太陽がとてもクール。太陽の光が及ぶ中央から下へと続く輝きが不思議なほどリアル。なんて言うか、粋な一枚。

セザンヌ、ゴーギャン、ボナールなどを割愛し、ムンク。
彼の絵の中でも特に、「造船所」が素敵だった。作品下部の色が寄木を思い出して。ムンクらしい色の作品だ。

それに、「冬の夜」もまた印象深い。どこか不安げで重苦しさもある。ムンクの絵はかっこいい作品が多くて好きだけど、この重苦しさは独特で、鋭くもあって、なかなか強烈だ。

キルヒナーの「小川の流れる森の風景」と言う作品は、ある意味でクレイジー。どうしてなのか、ウォーホールのモンロー思い出す。森も木はピンクやら鼠色っぽい青やらで、この色遣いでこのタイトル。どんな人だろうと見てみるとキルヒナーはブリュッケを仲間と結成。(ブリュッケは橋と言う意味で、ドイツの表現主義の活動)ニーチェを愛読していたそうだ。

ベックマンの「スフェニンゲンの海岸の散歩」とは、スフェと言う人間じゃなく、オランダの土地の名前です。

これも凄く素敵な絵だった。ムンクの叫びのような、絵の中央を突っ切る柵。空に浮かんだ大きくて白い雲が、絵の全体のタッチが、最高に清々しい。

そして「女優たち」の作品が登場する。

これがもう好きすぎる。感じた事を一言で表すとロック。今もこういう雰囲気の歌い手が海外にいそうな。グラムのようでパンクのよう。ハッキリした輪郭線さえ爽快で鮮やかなピンク、オレンジ、グリーン、レッドと言った色に汚しが入ってCDのジャケットみたいだ。1946年の作品とは思えないこのノリは最高にカッコいい。

(縦長に描かれた一部)
ジョルジュ・ブラックの「暖炉」は好みの色遣いと、版画みたく描かれたギターが良い。カフェの壁に合いそうな絵だ。
この後のピカソもそうだけど、描かれる物が非現実的。キュビスムは、ブラックのある作品がキューブのようだった事から来ている名前だ。ピカソが伝統を打ち破りキュビスムの世界を表現した事で、ブラックもそれに心動かされる。キュビスムでは、あらゆる角度を一つに描き出す。だから非現実的になる。

そのピカソも、ギターのある絵を描いていて、こちらもなんて可愛い作品。「ギター、グラス、果物鉢」。また、「大きな裸婦」では、ゴヤの「裸のマハ」に着想を得たと言う、ピカソ独特の裸婦が描かれ、こちらも正面以外の角度が合わさって出来ている。
さっきまで、モネなどを見てきて、不思議とも言えるピカソが現れると、絵の違いが面白い。

続く
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チューリヒ美術館展へ 1

2015年04月24日 | ■ART

最近、ゴッホの本見ること多くて、そうなると生で見たいって思う。
調べてみたら神戸に来てた。
その上なんということか。
大好きなルソーにクレーまでが一緒に見られる。
そういうわけで、いざ神戸へ参る。

神戸博物館の入り口には、大きな絵が。

クレーにルソーにゴッホ!チョイスが良い。
ここでは絵の一部を時々紹介する。

最初に現れるのは、セガンティーニとホドラー。いきなりホドラーに出くわして衝撃を喰らう。

ホドラーの絵をきちんと見たのはこれが初めてだ。本か何かで目にしていても印象にはない。この日どの作品よりも、ホドラーの作品がダントツに焼きついた。

大きなこの絵には、中心に裸全身で女性が立ち、左右に対象で後ろ姿の男が描かれていた。「真実 第二バージョン」。女性の前に立ちじっと見つめると、何故か分からないけど、ブレイクの絵を見た時の危うさを感じた。
後から何度も見たくなる魅力を持つ作品だ。そこから数点ホドラーが続く。

自然を描き出すこの画家の、とてつもないセンスが、あたしの感性にピタリとくる。なんという色づかい。目の前にある小さな絵は、絵の中心へ目を誘い、とても広い空間を与えてくれる。
優しい色に魅了されていると、あたしの前に「日没のレマン湖」が現れた。

あたしは震えそうになり、泣きそうになった。どうしてだろう。なんと言う感情が湧いてきたかも分からない。何かが心に触れたのだ。これが本当に感動すると言うことなのかもしれない。

こんなに心を奪われる事もそうない事だ。まだ最初の展示なのに、ここまでホドラーに染められて、先へ進みたくなくさせる。

だけど、今回紹介されている天才達は、それぞれ同じ系統(運動とも言うか)を経て居ながらにして、各々の個性をしっかりと強調する。だから、一人とも被らなく、一人とも霞まない。もちろんそうでなければ、今に作品が残っている事も無いのだろうが、それにしたって凄い。

ではその天才を見ていこう。
ホドラーに続いて、ドガ、モネ、ロダンの彫刻と続いていく。
ドガは有名な「競馬」の絵、実際に見るとサイズは小さい。

残念ながら、本などの印刷物では、本物の色がでていない。ドガの絵も、本物は、馬の毛並みの部分が本当の馬のものを感じさせるほど美しい。印刷だとこうはいかず、毛並は筆で荒っぽく塗られたようでもある。ドガの絵の良さ、すべてのものに言えるけど、生でないと、その印象が180℃変わってしまう。

ホドラーの色もそうだし、ゴッホの筆の感じも、本では伝わらない。だから、もし、今、画家達が未来の今へやって来て、印刷物を見た時、「なんで、こんな荒っぽい印刷するんだ?」って言わないだろうか?と思ったりする。もしくは未完成の絵を勝手に見せんなよって言わないだろうか?って(笑)。

モネの絵は横長で、じっと見れば見るほど引き込まれる色の世界だ。「睡蓮の池、夕暮れ」と言う作品。池をこんな世界観で表現されたら、ぎゅっとなる。近いとちょっと絵の具の厚いところがしゅるっと見えて、臨場感。
モネは新しい世界を創り上げた偉大な人である。「ノルマンディーの藁葺きの家」では、水面にうつる家の揺らめきが見事に輝きビックリする。なんて言うか彼の絵にはそこにある景色を肌で感じさせるものがある。「陽のあたる積み藁」では空のピンクがかった優しい色が印象的で、逆に「国会議事堂、日没」においてはぐっと周囲の暗い色が重たく、影になった建物も、あたしには不気味に思う作品だった。

そして、ゴッホ!
迷いのないと感じさせる筆の扱いは、果たしてどこに筆を置くのかがセンスのあまり本能的に理解されているみたいで、力強くも繊細、まるで魔法のように自在と言う印象を受ける。その魔力が恐いほど強烈に投げかけられて夢中になる。ゴッホは「サント=マリーの白い小屋」と「タチアオイ」の二作品。白い小屋の絵は、美術館展の本の表紙の一つにもなっていて、あたしはそれを買った。

表紙は他にもコンポジションなど有名な絵が幾つかあり、中身は同じだが表紙が選べるようになっている。

初めて目にする本物のゴッホは、あまりにもきれいで鮮やかで存在感に溢れていた。他の画家達もそれぞれ凄いのだが、ゴッホの偉大さはこの先の未来も、誰一人同じ魅力を持てないだろうと思わせる特別な力があった。

続く
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ムンク

2015年04月17日 | ■ART

いやーどうでも良いけど映画「スクリーム」の顔見て、
ムンクのインパクトってすごい、と思い出した。(右下)
ムンクは「叫び」で、叫びに耳を塞いでいる人物を描いた。
叫んでいるようにも見えるけど、そうではなく、
慄いて耳を塞ぐ有様があれだ。
あの顔はもう、怖さと、どこかに可愛さもあって、
シュールだと思う。
叫びは有名過ぎるが、さてムンクは
相当かっこ良くて素敵な絵をたくさん描いている。
この人の絵はなんかいつも刺激が強く内面に重たく刺さる。

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バーン・ジョーンズ 「パンとプシュケ」

2015年04月15日 | ■ART
前回言ったように
エドワード・バーン・ジョーンズの
大好きな作品を。



この人の絵、好きなのいっぱいあるんだけど、特に、大好きな作品がこの「パンとプシュケ」。

獣っぽい方が、パン。女性の方はプシュケ。これもギリシャ神話。
プシュケは、色々あって旦那に捨てられて(怒らせた模様。姿を見ないって言う約束を破った)、ショックで自殺しようとするも邪魔され失敗。その時、パンと出会う。パンはプシュケを励まし、また旦那に会って誠意を見せたらと言い、プシュケの背中を押してくれる。
プシュケの旦那って言うのがクピド。

アポロとダフネに訳のわからない矢を射ったクピドである。
怒らすと不味いタイプのようだ。

ともかく、ギリシャ神話の登場人物は、全く不可解なことばかりやるのだが、これは割と普通に分かる話でもある。

この絵が、どうして、そんなに好きか。どう見ても(あたしの目からは)、パンが励ましている気がしない。
むしろ、プシュケがビビっていて、パンに飼われている小動物のように見える。
かわいい。だから、好き。

バーン・ジョーンズは、綺麗な女性の絵をたくさん描いている。その雰囲気はたまらなく素敵だ。それらは、また今度。

彼は、ラファエル前派と紹介される。
「ラファエル前派」って、よく目にするが、いったい何かと言うと。

かなりかいつまむが、要は権威に対抗しようとする学生らの活動のこと。別に校舎裏でタバコを吸うとかではなく、絵画において。

「ラファエル前派」の、「ラファエル」と言うのは、ルネサンスの画家ラファエロのこと。
当時、イギリスのアカデミーが、ラファエロこそ芸術の頂点としていたことに、アカデミーの学生ロセッティらが、反発して、ラファエロ以前のルネサンスの画家たちを手本にしようとした。その活動のようなものに参加した人を指し、実際にはラファエロ以前の画家以外からも手本にしている。
1800年代のイギリスで、ラファエル前派のロセッティがバーン・ジョーンズらと出会い第二次ラファエル前派が始まる。

だから、バーン・ジョーンズは、第二次のラファエル前派に参加した人ってこと。

いつの時代も、こう言う人達が居ないとって思う。言われることを当たり前にこなしていても仕方ない。

絵には、なんとか主義とか、なんとか派とか、色々複雑な流れや影響、進化や発見があって、そういうものに名前が付けられている。例えば、バロック、印象派、フォーヴォイスムって言う具合に。
歴史を含みながら、どういう表現をしたか、どんな技術か、など、専門用語が満載の、そう言うインフォメーションみたいな史は、全くのところ、説明出来ないので、ご安心を!

バーン・ジョーンズのこの絵を紹介したら、大好きなウォーターハウスも載せなければ!何で載せて無いんだろう?
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オーブリー・ビアズリー

2015年04月15日 | ■ART

今回は大好きなビアズリーの絵。

こちらは勝手に写りを加工して組み合わせたもの。ビアズリーは実際の絵をご覧あれ!

ビアズリーの絵を見ると、こういう絵は、イギリス人だからかけたのでは?なんて勝手に思う。

残酷なほど、むきだしの醜さと美しさが混合している。
醜悪な顔で描かれた人物や、化け物たちは、恐ろしいのではなく、むしろ見なくて良いものを見てしまったようだ。
パッと見た感じも素敵だけど、見ていくほど、内面にじわじわくる。

ここでは紹介しないが、裸になった人の絵では、ギリシャのアンフォラに描かれた絵を思い出さずにいられない。
ビアズリーの場合は、殊更、男性の象徴を強調していたりもする。
そう言うの、決してお茶の間向きじゃないから、人目を気にして見た方が良い絵もある(笑)

19歳から才能を見出されたビアズリーは、絵の仕事に就き、だが幼い頃から抱えた肺結核によって、絵に関わった時間はとても短かった。25歳、早すぎる生涯を閉じた。

彼の仕事で有名なのが、サロメだ。
前にも、どこかでサロメのオペラについいて触れたが、サロメと言うのは聖書のお話で、それこそ昔から、色々な人の手によって、あらゆるアレンジで作品化されてきた話である。

勝手な解釈でなお特急でかいつまむと。要は、キリストを洗礼した洗礼者ヨハネが結構、過激な説教する人で、ヘロデ王に対し批判してた。ヘロデ王は、自分に批判的なこの男を捕らえた。ある時、宴会中、王の娘サロメが王に踊りを披露すると、王はその踊りにすっかり参ってしまい、サロメが欲しいものは何でもあげると言った。さて王の再婚相手ヘロディアは、王の兄弟の嫁だったが夫が他界し、今は亡き夫の兄弟であるヘロデ王と再婚している身である。その結婚を非難するヨハネは、この嫁さんからすると、うっとおしい限りで多分とっとと殺せと言う感じなのだろう。サロメは、ヘロディアから、ヨハネの首欲しいって言うよう促されて、王にヨハネの首をくれと言いだした。仕方ないので王はヨハネの首を部下に落とさせて、持って来させた。

キリスト教の考えとか、よくわからないのだが、ヨハネはまた何でこんな不運な目に?と言う感想。自分の首をまさかの娘の褒美に王がやろうとは。ヨハネは洗礼者?だからどう感じていたかは不明だが、日本の江戸時代みたいに、一瞬で首を落とすことが出来たんだろうか?

昔ヨーロッパでは、処刑される人が苦しまないですむよう首をチョキンと落とせるギロチンが開発された。ヨハネの時代にそんなものは、あるはず無いだろう。

ところで、首というのは戦利品のような扱いがされる場面は、日本でも武士の時代にある。
ヘロディアが首をとサロメに言わせたのは、ヘロディア自身が勝手にヨハネに勝ちたい気持ちがあったのかな?

ともあれ、このヘロディアやらのことは置いといて、ビアズリーに戻る。

多くの人が、このサロメの話をアレンジしたことは書いた通りだが、オスカー・ワイルドも、サロメを書いた。ワイルドは、英語版のサロメの挿絵をビアズリーに頼んだ運び。ナイスな選択だ。



前にも載せたけどサロメの絵。

だけどワイルドは、ちょっとビアズリーの絵が日本的で、自分のイメージと合わなかったらしいと言う話も。

それを聞くと、日本の浮世絵の影響と言うのは、本当に計り知れないと改めて思う。

色々な絵画では、生首と皿のセットで描かれるサロメも見られる。実に張り切った生首の様子が美しい女性と描かれているのが怖い。

ビアズリーのこのサロメの表情は、なんとも言いがたい。どこか可愛げがあって邪悪さも備えているように見える。

なんとビアズリーは、バーン・ジョーンズとも交流があり、アドバイスをもらったり、絵を送ったりした。
あたしは、バーン・ジョーンズも大好きで、だから嬉しいエピソード。
バーン・ジョーンズの好きな絵は次回に譲るとして。

ビアズリーの絵は、賛否両論と思う。
けど、この独特で、怖いほどの表現力はとてもクールで、あたしは大好きだ。
なんだか病みつきになる。
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ゴヤ

2015年04月06日 | ■ART


え?この人最近の人?と思ってしまえる自画像だ。生まれは1746年。男性の格好はあまり進化がないのかな?
ベラスケスと同じスペインの画家で、忘れられてならないのはゴヤ。

有名なのは裸のマハだが今回はそれではない。
ゴヤの絵は、特に後の方の作品が好きなんだけど、最初の方の長閑な?作品も載せておく。その方がメリハリ凄いと思う。

日傘と言う作品。

では、あたしの好きな絵を載せる。

運命の女神たちという作品。
この絵の雰囲気すんごい良いわ!
更に好きな作品がこれ。

砂に埋もれる犬という作品。

この画家は聴力を失うなど、また、環境も、大変に苦労した人のようで、後期の絵は、研ぎ澄まされた緊迫感が満ち、ズキンとする。そこが好きだったりもする。

さて、最初の日傘の印象を覆すような絵を一枚。

我が子を喰らうサトゥルヌスという作品。

ギリシャ神話で、前にも軽く触れた通り、息子クロノスに倒された挙句去勢された父親ウラノスが、死ぬ前に、息子を呪った。お前もまた、自分の子供に倒されるだろうと。そういうわけで、クロノスは出来た子供を次々と飲み込んだ。しかし、最後に生まれた息子だけは、母親が石を包んだものでごまかした。生き延びた息子は成長し、呪い通り、父親を倒しに帰ってくる。さて息子は父親を倒し、飲み込まれていた兄弟姉妹たちを助け出した。その息子はオリンポス最高の神ゼウス。という訳で、怖い話と言う感じがあまりしない原作だが、この絵は、唐突に怖い。

これはさすがゴヤ。
個人的には、この絵も好きだ。
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イブこそ完成品 ーーベラスケス 2

2015年04月06日 | ■ART
神じゃ悪魔じゃ、と内容が多いので二回に分けてお送りする今回の作品はこちらw

ベラスケスの絵の中では、こちらも、なかなかいい。


それにしたって、キリストと言うのは、なかなかフツーにしてる絵が無いよね。大抵、磔、もしくは死の直後、とか。あとは生まれたばかりなもの。
確かに普通な?キリストも、洗礼受けてるキリストも、見るんだが、いかんせん磔刑などのインパクト強すぎ!!!で、こう言うイメージになる。

あとは、死ぬほどハイテンションなキリストなら、漫画セイントお兄さんで見られる。いやーこの漫画、友人に教えて貰ったんだけどマジで笑い死ぬ。好きだわ。

ベラスケスの絵の話。
この絵のキリストは磔刑の時なのに、凄いクールな雰囲気で、なよっとしてない。絵的にもかっこいい作品だ。

キリストくれば神、神とくれば悪魔。そして天使。
最近まで天使が嫌いだった。見たことも会ったことも当然ながら無いのだが、イメージが悪過ぎた!
だって、完璧主義者すぎる。
むっちゃ冷たい、人の心など理解もしない連中なイメージだったのだが、ここ最近は割と好きなキャラにもなってきた。
何故かって、たぶん、あたしの思うに彼らは驚くほどクレイジーだから。人間から見たら、きっとそうだ。会話も噛み合わないはずだ。だけど、その切れ加減が、あたしのツボだと思う。素敵!って思うのではなく、とてつもなくユニークだと感じると思う。

もちろん悪魔は大好き!
一番強いやつ!きっと、こちらは、紳士的で、もしくは美女で、すんごい素敵で良い人を装って居るだろな!でもどこか人間味があるかも。悪魔がいたら、人間的に成長出来そうだし自分を成長させられそう。

イエス・キリストは、ある意味、革命家かもしれない。
聖書は、クリスチャンでも無いのに、ミッション系の学校に行った時読んだ。旧約は、御伽話みたいで読めたけど、新約はもう、何が何やらでスミマセン。
聖書は、誰々の子々孫々が永遠のように続いて、石打ちの刑とか出てきて、あーいったい誰が誰やねん!って、大混乱した。あくまでも覚えていることは、神は、とりあえず、きれいなものが好きだってこと。ノアにあれこれと船に乗れっていう時や、至る所で、きれいなものこだわってて、ブスとか出番無いんちゃう?っていう。

そんで聖書が関わる絵画の最大の謎は、イチジクの葉で身体を隠したというのに、食べたのはリンゴになってる。え?そこはイチジクじゃないん?

イブは、アダムの肋骨から作られたって言う。これは、あたし的には、たぶん、最高品質だろうと思う。って言うのは、男のアダムはどうせ?土だし、それに比べてイブは骨からだ。神も、人を作るのも初めてじゃないから、前回の時のより更に良いものを作ろうと張り切ったと思う。だから骨なのだわ、と勝手に思う。

聖書は、その時代、所詮女なぞ!って感じの男共が大量に居たって事を感じさせるかもしれない。

でも、アダムよりイブの方が、出来が良かったりして。

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ベラスケス

2015年04月06日 | ■ART
結構何ていうか、好きなARTがありすぎて、これ!って言うのが、まだだったりする。

まさに今回の絵は、これ!!!って言う作品。不思議にも、この絵が、おかしなほど好き!

こちらを描いた画家は、ベラスケス。
彼のラス・メニーナスと言う作品!

なんで好きか説明できない。この絵のいったい何がどう素敵なのか?さっぱり分からないのに、好きなARTでは絶対外せない。

しかし金持ちの、鬼のような悪趣味が反映されている絵でもあるようで、ちょっと、恐ろしくもある絵。

奥の画家は、ベラスケス自身で、奥の鏡には(一瞬肖像画?って思った)この絵の前に並ぶお嬢さん達の両親が映っているそうだ。つまりお嬢さんが、今現れた両親の方をあっ!って見るわけだ。

この絵は色々なところで見かけるので、きっと有名なのだろう。

さて、二枚目のベラスケスについては、次回に譲ろう。



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ボッティチェリの謎

2015年04月06日 | ■ART


↑ボッティチェリの春
《ラ・プリマベーラ》

このボッティチェリの春は、とても謎の多い作品だと言う。
あたしは、この絵が好きだから、なにも考えずに見ているけども。
考えても分かる気しないもんね。

今までに聞いた色んな説の一つ目。
この絵は、結婚祝いに贈られたのでは?

二つ目。
この絵を筒状に丸めて見れば、ストーリーが永遠と続くように出来ている。

他にもまっだまだあるだろう。

はあ。と言うしかない。
あたしには、どの話も本当と思う以外に考える術を持たない。

ところで、謎多きこの絵以外にも、素敵な絵を描いている。
一番、誰もが知っている有名な絵は、あのヴィーナスだと思う。

泡から生まれた彼女が、貝に乗って、海から岸へと渡ってくる。

ギリシャ神話を知らない時代の、あたしにとって、この絵はインパクト凄い。だって!なにゆえか?裸で貝に乗ってんだもん!一瞬、人魚?あ、魚じゃないや、って感じ。

まあ今の知識も、これと似たようなものだけど。

ただ、春の絵に謎が満ちていると言われると、ちょっとワクワクもするもんだ。色んな説を聞いてみたい気持ちにもなる。

しかし、春の絵より大きな謎が、ボッティチェリにある。

当時、彼は、フィレンツェ(イタリア)にある、相当な力を持ったメディチ家って家の人と親しくしていた。
メディチ家は美術と言う文化に多大な貢献をしている。イメージしやすい金持ちやケチな成り上がりではなく、数多くの画家たちのスポンサーとしても名を知られ、メディチ家を出世させたコジモは、祖国の父とまで呼ばれたほどの家である。

ボッティチェリが、メディチ家に関わり、色々な作品を手がける時代に、同じ場所フィレンツェで、ダヴィンチの作った作品も出てくる。ボッティチェリはダヴィンチの先輩格でもある。また、同じように、ミケランジェロも居た。他にもたくさんの画家が居た。そして後で出て行く者も居た。

このフィレンツェと言う場所で、ものすごい天才達が集まって、同じ時代に切磋琢磨していたって言うこと自体が凄い。

印象派の画家たちがパリに揃っていたみたいに凄い。

一箇所から、どっと天才達が現れてくるという事態には新鮮な驚きがある。

このメディチ家は、確かに目立ち過ぎで、多くの敵の目を引いた。なんと、教皇までが、まして、宗教行事に参加するロレンツォとその兄弟を、その場で暗殺しようと企んだ。人前で、だ。ええんか、それで??
驚くのはまだ早い。教皇は、その暗殺計画が上手くいくと信じて、近くまで軍を待機させていたらしい。挙げ句の果てに、兄弟は亡くなったが、ロレンツォは生き延びた!やむなく軍は乗り込む隙もなく退去する。

教皇は、どうやら同じメディチ家と反目し合う他の一族とつるんで犯行を行った。だが今回の暗殺計画に、マフィアのような連中を使おうとして、断られており(!!)関係者ーーおそらく聖職者の家のーーを使ったそうだ。この連中は、その場で、そこにいた人々に殺されたんだったっけ。
マフィアにまで断られるって!それも宗教のイベントで暗殺者を乗り込ませるなんて。
後々、かくかくしかじかで教皇はメディチ家と和平を結んだ。

さて、敵はこう言う連中だけではない。

もっとも芸術や文化、人々の幸せの敵となるものは、それらを破壊する人間だ。
それは、サヴォナローラと言う人物、ドミニコ会修道院院長である。
このキリスト教の熱心な男は、たぶんキリスト教とか以前に、独自に宗教を解釈して歪んだ思想を押し付けるのに必死だったのだろう。自分こそ神とでも思ってるんでは。そしてドミニコ会の目と鼻の先にあるメディチ家を批判し始める。
なんと愚かにも、この男は、人々から芸術などを平気で奪い、それが素晴らしいことのように大きな顔で振舞って、広場では集めた書物を焼いた。書物を焼くことは文化の破壊の象徴だ。信じ難い事にこの過激な思想は受け入れられていく。
だが、ある日、サヴォナローラは、メディチ家だけではなく教皇も批判の対象にした事で徐々に人心が離れていき、遂には、自分が本を燃やして得意満面になってた場所で処刑された。

その後のフィレンツェでは、解放された空気があったらしい。

この話が、ボッティチェリと無関係かというと、その逆で、あたしの謎はここにある。

彼は、何故か、このドミニコ会の院長に引きずられるように、すっかりそちらの人間になってしまった。つまりサヴォナローラ側の人間に。自分の絵も燃やしたりしたそうだ。サヴォナローラの虜のようになってしまったボッティチェリはすっかり人が変わってしまった。その後の絵も、前とは違ってしまっている。後年は絵も描かずに貧困に陥って亡くなっているそうだ。

ボッティチェリは、ロレンツォが亡くなった寂しさから、サヴォナローラに傾倒してしまったと見る向きもある。
そうだろうか?
ロレンツォが愛した芸術や文化に対する冒涜を働くような事が出来るのか?
出来るのかもしれないが腑に落ちない。
ボッティチェリに何があったんだろう?

春よりずっと謎すぎる。


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バンクシー絵が

2015年04月05日 | ■ART


バンクシーが、再びパレスチナで絵を描いた。上の絵ではない。
ところが、その絵を、絵の持ち主から二束三文で売らせて、持って行ってしまった人間が居るのだとか。

バンクシーが、ガザと言うところで、絵を描いた意味もわからない上、バンクシーのファンとは、とても思えないような人がやったんだろうな。

テレビでは、騙して買っていった絵を返して欲しいと言ってた。

よくも、そんな恥知らずな行為をやったもんだ。

その絵は返すべきだ。

転売する気なのだろうか?
詐欺で捕まったら良いのに。

バンクシーだって、なかなか危険な思いをして、描きに行ったというのに。
そのバンクシーの思いをすら無意味にするなんて信じ難い。
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ダヴィンチ

2015年04月05日 | ■ART

ダヴィンチって、テレビに映った絵でも、とっても感動するから、凄い絵描きだなぁと思ってはいるのだが、モナリザの魅力はちっともわからない。

この人の絵の何がすごいと感じるかといえば。例えば、さっきの話はもちろん。
色々な絵画が載っている本を見ている途中で、ダヴィンチの絵が出てきた瞬間、圧倒されるところ。
他の画家も凄いし、好みだったりするのに、ダヴィンチの絵は、有無を言わさず惹きつける。何かわからないけど、彼だけが描けるフェロモンでもあるかのようで、彼の絵を見た途端、ビックリする。

え?
ってなる。

他の画家が、ただの普通な絵描きにさえ感じられてしまう。

いったい、どういうこと?


パッと見てビックリして、その後、この人の描く、人の顔の表情から今度は目が離せない。
絵を描く人は、そうでなくとも絵に詳しい人なら、「どのような技術が張り巡らされており、こう言う見せ方をしており、これはダヴィンチの」、ってな詳細についてわかるところだろう。
あたしは全然わからないので、このビックリする気持ちが何故起こされるかも不明だ。

そして、その表情に目が行くよう描かれているのか?そうでないかも分からないけど、とにかく表情から視線をそらせなくさせる。

ダヴィンチの絵はいつも、鋭いドキっとするような空気が満ちていると感じる。

人の目とか口とか影とかから、何より全体を覆う色とかも相まって、不思議にも、この人物の表情が何を言ってるのかを知ろうとさせる。

ちょっと強烈。

どっちかというと、落ち着いた雰囲気なのに、刺激が強い。

だから、彼の絵で好きな作品もあるが、ダヴィンチを見るなら、他の絵を見た後が、あたしとしては良い。

不思議だな。

でも、モナリザの魅力は、ちっともわからないが。あの人の微笑みに惹きつけられる??どうしてなのか?

他の作品の女性は綺麗なのに、この人は、そう思えないし、なんで笑ってるのかも。ちょっと怖くすらある。

しかも、微笑みって言うより、今にもふきだしそうなほど、可笑しくてたまらないって風に見える。

絵のことも画家のことも、何にもわからないからかも。

でも少しでも分かることがあると、いきなり、すんごい面白い。モナリザのことや技術については、相変わらず、さっぱりだけど、どうでもいいようなこと?を知ると楽しくなる。

例えば、岩窟の聖母の絵にある指は、ダヴィンチの名前を表している、とか、なんか、そう言う、技術がわからなくても、知ると驚くようなこと?は、何かを発見した気持ちになってワクワクするし、絵がさらに親しみやすくもなる。

しかも、むかしの絵って、ギリシャ神話みたいに色んな説がある。多くの人が、絵の謎を解こうと試みるからだろう。

何よりただの素人のあたしが見ると、絵の意味すら理解できず、謎だらけである。詳しい人なら誰でも分かるような点においてもだ。
それだから、謎だらけで楽しい一面は、より絵が魅力的になる。
だけど、あたしの大半の部分は、色が好みだとか、この絵が好きとか感覚的なもの。

ダヴィンチの絵は、その感覚的なものを超越して凝視させる不思議な魔力があるなって感じている。




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ゴッホ

2015年04月04日 | ■ART

あたしは、ちょっと最近までは、ゴッホの絵がどうして、こんなに人気があるのか分からなかった。
確かに、素敵と思える絵はあった。それは、夜のカフェの絵で、この世界観は凄い、と思う上に、なんだか絵本に出てきそうで可愛いとも思っていた。

それ以外といえば、あとは一つくらいは良いと感じたけど、特にそこまでで、あまり興味の対象ではなかった。ヒマワリの絵を見ても、何も思わなかった。きっと趣味じゃないということか。

ところが、この間、「ゴッホは殺されたか」の本を買って、ゴッホの手紙に触れたときから、急激にゴッホが興味深い人物になってきた。
あのゴッホの手紙は相当やばい。
なんて言うか心に触れるものがある。



それで、ゴッホの絵をたくさん見るようになった。
すると、ゴッホの色のセンスがむちゃくちゃ好みだと知った。
そもそもゴッホのヒマワリやカフェの絵くらいしか知らなかったから、新しい驚きだ。随分勿体無い事をしてきた。


これなんて、寄木っぽくて好きすぎる!!!

今回は特に好きな絵を幾つかここに載せている。



もっともっとゴッホの絵を見たいし、手紙のことや、本人にも触れたいなって思う。
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ゴッホの贋作

2015年04月04日 | ■ART

今度は、『ゴッホの遺言』と言う本を読んだ。

*ネタバレ必死のためご注意*

この本では、ゴッホの有名な絵の中に、贋作があると言う。言うだけではない。一つ一つ検証していく。
その一つ一つが提示されるたびに、怖い。怖くなる。

テオにあてた手紙に書かれていた、「寝室」と言う、ゴッホの作品のスケッチが、実はゴッホの作品ではないと言うのだ。


これがゴッホの「寝室」

スケッチは、ゴーギャンに宛てた手紙にもあるし、「寝室」と言う絵も、何枚かあって、ゴッホが描いている。
この絵の「寝室」とは、ゴッホの部屋の寝室のことだ。

幾ら見ても、最初は、どこが他のゴッホの作品と違うのかが、全くわからない。
あたしは絵について、どの付く素人だ。
そんな人間にも、できる限り分かるように書かれており、検証結果を知った後では、全然違う絵にしか見えない。

椅子にしても、絵の技術にしても、贋作と言う方は、むちゃくちゃ。

あたしは絵についてマジで何もわからない。本の作者は、はっきりと贋作だと分かっているようだが、あたしは鵜呑みにする訳にも行かない。
だけど、弟に、こんな絵を描くよと知らせるスケッチの中で、ここまでめちゃくちゃなスケッチを、まして画家がだ、するだろうか?と思ってしまう。
画家として、わざわざ素人が書いたように絵を描く??なんて変だし、何よりも、部屋の広さが全然違うのだ。

これは怖い。

作者は、後半では、ゴッホが自殺に至るまでの心境や、この贋作が誰によって描かれたか?について書く。

前回読んだ、ゴッホが誰かに殺されたかどうか?と言う他殺説ではなく、何故、自殺に至ったか?と言う事を考えている。とても単純な説明だけど、弟テオと、その妻ヨー、そしてゴッホの関係が、その絆が危うくなり、ゴッホは自ら死を選んだと言うような?内容である。
説明が難しいので正しいと言えないかも。詳しくは本で見られる。
この、作者の意見は物凄く説得力を感じる。
危ういと感じていたのはゴッホとテオの間で言えば、ゴッホだけかもしれない。

ゴッホにとって唯一の理解者で、支援者、文字通り、生活資金を面倒見てくれる弟。と言えば語弊があるとも言える。ゴッホの絵を買い続けてくれた弟と言おう。
その弟との関係が危うくなったら、ゴッホにとって、信じられないほどのショックだと思う。死にたくなるほどに。
弟が絵を買わないと、ゴッホは絵を描き続けられないのだ。だから二重の意味で、死にたくなるかもしれない。

テオは、兄との関係を危うくしたいと思いはしない。けれど、彼はおそらく、相当疲れており、他人に気を配れる余裕がないように思える。自分の会社は上手くいかないし独立したいのに、そうすれば家族を路頭に立たせるかもしれないし、ゴッホへの仕送りで生活苦なため嫁さんと不和が生じる。
何せゴッホの生きてる間は、一枚しか売れなかったという。

偉大な絵描きは時代を先取りすることが多く、苦労するようだ。

ただ、こちらの作者も、ゴッホは発作で死んだわけではないと言う。そもそもゴッホは、発作が起きると、絵も描けない状態に陥り、長い入院を繰り返した。
確かに、最後の日、ゴッホは発作中というわけでは無かった。
作者は、ゴッホは苦しい発作を何度も乗り越えてきたと言う。

そこは、あたしの考えとは違う。
ゴッホについては詳しくないけれど、発作って言うのは、何も、長期の入院を必要とするような物に限らないと思うからだ。だから前にも言ったけど、本人にいくら生きる意志があろうと、無意識が本人を殺してしまうのだ。
何度も発作を乗り越えていようとも、関係がない。己をコントロールできるなら、そもそも始めから発作など起こさない。発作はゴッホを苦しめ彼の予測出来ない状況で度々起きた。多少、生活環境などに落ち込む原因はあったとしても、発作に陥り死のうとするなど、本人は予測出来なかったに違いない。
死のうとする病気の様な物なら、幾ら希望に満ちようと、ふとした瞬間に無意識に殺られるのだ。

だから、ゴッホの精神が、全く何の不便もない状況で亡くなっているなら、自らの意思で最後を迎えたとも思えるが、幾ら調子が良い時でも、完治していないなら発作に殺される可能性はあるのだ。本人は発作に殺されると思いもせず、死ぬ意思も無かったかもしれない。

ゴッホが、人生に嫌気がさして死んだとは、あたしはとても思えない。
とすると、彼の無意識が本人を殺してしまったのではないか、と思う。

ゴッホに詳しくもない、ただの意見だけども。

しかし、この本は本当凄いなあ。
久しぶりに緊張感たっぷりの本を読んだ。作られたミステリーとかより、よっぽどドキドキ、ぞわぞわする本だ。
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ロード オブ ウォー

2015年04月04日 | ■MOVIE
ロード オブ ウォー

*ネタバレ注意*

映画『ロード オブ ウォー』を、たまたまテレビでやってて観た。パッと見たら武器の売買のような感じで、一瞬、例のボウトでは?と思い。最後まで観てから調べた。
やっぱり!!

とても後味の悪い話。分かっているのに、事実なのに、誰も止められない。やるせないような。

武器さばいてる人は、それによって死ぬ人を同じ人間とは思わないのだろう。微塵も良心など存在しない。
だからこそ、武器商人なのだ。

こういう人たちが必要でない世界になればとおもわずにいられない。こう言う事を平気でやる人間が政治を動かさないようになればと願わずにいられない。
ちゃんと罰せられるなら良いけど、所詮、黒幕はアンタッチャブルだから、気に入らない。

主人公は、ユーゴスラビア紛争に世界が目を向けている間、無視されているアフリカに乗り込んでいって、腐敗独裁政権と取引する。こう言う仕事内容は当然奥さんには言っていない。だがそれもバレる。妻の信頼を得たいのだが、武器売買はやめられず、結局、奥さんと子供は出て行ってしまう。

弟を連れてアフリカへ取引に行けば、行けばで弟は殺されてしまう。
弟は、難民キャンプで起きている出来事を目撃し、武器売買は中止しようと兄に懇願する。そもそも主人公たちが武器を売ったら何が起きるかは分かりきっている。難民達はどうなる?
弟を宥め、主人公は、武器取引を進める。弟は、武器を積んだ車を爆破。当然その場で射殺された。

さらに帰国すれば、捕まった。

自分の親は、息子は死んだと言って縁を切る始末で、家族を失い弟を失い、孤独になる主人公。

けれども彼は逮捕されない。結局すぐ釈放される。
それは主人公が説明してくれる。

彼のようなフリーランスの武器商人は、武器取引に手を染める大国にとって、都合が良い仕事をする。つまり主人公が逮捕されないようなバックアップをアメリカと言う国がやるのだ。主人公は使えるのだろう。今は。

主人公は、世界は武器商人が受け継いでいくなどと言うような悪夢の台詞を吐く。

そして、人生を憂いでいるような表情で、世の中を悟っていると言いたそうな感じだ。それが滑稽ですらある。

自分の儲けるためなら、戦争の被害者が、どんな目にあおうが構わない。
その世代だけの問題じゃない。
戦争の傷は何世代も受け継いでいくものだ。

ものすごく多くの命が奪われていきながら、たった一部のこうした人間が、それによって財を成す。

ただ、こう言う人間の代わりは、腐るほどいる。主人公のような成り上がりは、ちょっと厚かましさを持ちすぎている。今回逮捕されなくても、いずれ運も尽きるだろう。

武器を本やペンやノートなどに変えたら、世界に教育の機会が訪れて、無益な争いを避けられる機会が生まれるかもしれない。
が、そんなことは主人公には理解できない。
人の心など持ち合わせていないから。
ただ、平和が訪れると自分が困るので、そうならないよう必死に努力する。

こう言う人間が存在価値を失う世界になるよう、主人公と闘う人達の努力が、いずれ勝利するだろう。
歴史のある職業だが、足掻いても、最早必要とされない時代が来るに違いない。
今はまだ、その時じゃないかもしれないが、いつまでも、一般人が騙され続けることはありえない。

本当最低な人間の映画だが、映画自体の雰囲気も良いし、こう言う映画はあったほうが良いと思うな。
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