…実は、こういう場面で言うところの「加害者の人権」自体、僕はあんまり深く考えていなかったし、今もあまり考えていない。なぜかというと、刑法適用に際しての「人権」というのは、もともと犯罪者(または容疑者)全般に対して考慮すべきことであって、死刑囚だから特別に考慮しなくてはならないわけではない。だから、それを死刑廃止の理由と直結するのはおかしいんじゃないか、と。 . . . 本文を読む
このところ立て続けに書いた死刑関連のエントリーに対して、さまざまなコメントをいただいた。その都度レスをつけていたのだが、一番最近の(2/16現在)お二方のコメントには、僕の文章も「反論」の形をとる必要から、それなりに分量がかさむ見積もりとなったので、独立したエントリーの形で答えることにした。 . . . 本文を読む
…廃止論者を自認していた僕でさえ、痛いところを突かれ、揺さぶられ、自分の廃止論を一から検証しようという気持ちになった。逆に、強硬な存置論者が読んでも同じことが起きるだろう。立場がどちらであれ、ずっしりと重いものが心に残される。 . . . 本文を読む
「殺したら殺される」、この素朴な倫理的視点に罪はない。どころか、空想してみてほしい、もしこれが本当に人間界の法則ならば、つまり自然の法則のように、自動的に「罰」として人間に与えられるならば── . . . 本文を読む
これは12/11にアップした死刑執行:氏名を公表~そんなの関係ねえという文章に対する、「通りすがりの人」とのコメントのやりとりに端を発する考察だ。ごく短い、単純な文のやりとりだったのだけど、そこから意外なまでに社会の実相が透けて見えた(僕にとっては)やりとりだった。 . . . 本文を読む
12月7日、三人の死刑執行にあたって、法務省がこれまでの慣例をやめ、処刑者氏名の公表に踏み切ったことが、いかにも何か画期的なことのように報じられた。そのこと自体、この国の国際感覚の大いなる歪み、または欠如を明確に示している。 . . . 本文を読む
『サルバドールの朝』を観て衝撃を受け、死刑制度にチラッとでも疑問を抱いた日本人に対して、悪いのは死刑制度ではなく、軍事政権や、ずさんな裁判や、残酷な処刑方法などであって、日本は該当しないから安心しましょう、となだめること──衝撃を吸収し、椅子の向きをそおっと変えて視点をずらすのがその役目なのではないか。 . . . 本文を読む
1995年、オクラホマ・シティーの連邦ビル爆破事件で一人娘を失った遺族として、犯人の死刑に反対する立場をとって以来、死刑廃止運動に関わっているバド・ウェルチさんと、同じくアメリカで少年死刑囚の写真を撮り続けているカメラマン、トシ・カザマ(風間)さんの二人が講師を務める講演会。 . . . 本文を読む