大阪のまちづくりぶろぐ

大阪でまちづくり活動をおこなっているみなさんの情報発信や交流を行うためのブログです。

大地震両川口津浪記石碑

2011年05月06日 | その他
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、地震とともに想定を大きく上回る規模の津波が発生したことにより、大きな被害が発生しました。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、並びにご家族の方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。また、一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げます。

今回の被害を受けて、国や自治体による防災対策練り直しの動きが報道されていますが、被害を軽減するためには、住民の防災意識向上も欠かすことは出来ません。今回のような想定を大きく上回る津波が発生しても、日頃の避難訓練が活かされたことにより、多くの命が助かったという事例が報告されています。東北地方では、過去に津波の被害を受けていることが危機意識を高め、防災訓練などで危機に備えることにつながっているそうです。

大阪は海とともに発展した(海辺の)まちですが、その大阪で生活しているみなさんでさえ、自分たちのまちが過去に大きな津波の被害にあっていることを、ご存知でない方も多いのではないでしょうか?

今回は、大正橋の東詰(京セラドームのすぐ近くです)に建碑されている「大地震両川口津浪記石碑」を紹介します。

(大地震両川口津浪記石碑)


(地図)

この石碑は安政元年(1854)11月4日に発生した安政東海地震(M8.4)と翌5日に発生した安政南海地震(M8.4)、それに伴う津波によって犠牲になった人々の慰霊と、後世への戒めを語り継ぐことを目的に建てられたものです。

石碑に刻まれた碑文には次の様なことが書かれています。(要約)
嘉永7年(安政元年)に発生した大きな地震の際、地震が発生しても水の上なら安全と小舟に乗って避難した多くの人たちが、押し寄せてきた津波によって犠牲となった。
148年前に発生した宝永地震でも、小舟に乗って避難したため、津波で水死した人も多かったと聞いている。しかし、長い年月が過ぎ、これを伝え聞く人がほとんどいなかったことから、その時の教訓を活かすことが出来なかった。
今後も地震が起きると津波が起こることを十分に心得ておき、船での避難は絶対にしないこと。また、建物が壊れ火事になることもあるので「火の用心」に心掛けること。海辺や大きな川のそばに住む人は気を付けること。

(碑文:現代語訳を記した看板が側にあります)

そして、次の様なことばで碑文は締めくくられています。(現代語訳)
津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分に心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章ではあるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。

過去の災害により起きた被害を後世に伝え、戒めとすることは防災意識を高める第一歩です。この碑は大きな地震が発生した翌年の1855年(安政2年)に建碑されていますが、150年たった現在でも、建碑された方々の精神を受け継いだ記念碑保存運営委員会の方々の手により、地蔵盆に合わせて石碑を洗い、刻まれた文字に墨を入れるのが年中行事となっているそうです。

(碑文にはしっかりと墨が入っていました)

大地震両川口津浪記石碑のように石碑を設置し、それを維持していくことで、過去の災害から得た教訓を後世に伝えているのはとても稀有な例だと思いますが、地区の住民の方々で過去の災害による被害情報や避難場所などの情報共有を図るだけでも、防災意識の向上につながるとともに、コミュニティー力の向上にもつながります。

行政からしっかりとした対策が打ち出されることも大切ですが、想定外の災害が発生してしまった際に身を守るには、地区のコミュニティー力や個人の防災意識が重要な要素になると思います。
この石碑が伝えてくれている精神が、ブログをご覧いただいているみなさんを通じて、多くの方に伝わればと思っています。


最新の画像もっと見る