2011年11月14日(月)に開催されたCITEトークセッション2011「吉本の波乱万丈の100年と大阪」に参加しました。
今年度は5回シリーズで開催され、その第4回目となる今回は、吉本お笑い総合研究所理事の田中宏幸氏がゲストスピーカーとして登場され、「吉本の波乱万丈の100年と大阪」をテーマとした講演をされました。
(会場の様子)
吉本興業の歴史、笑いと時代や大阪の変化との関わり、そして、これからの取り組みについての田中氏のお話は次のようなものでした。
(ゲストスピーカーの田中氏)
田中さんのお話から、笑いは、大阪の変化やメディアの変化に合わせて発信方法を変化させてきたこと、いま大きな変化の時期に差し掛かっていることが良くわかりました。
“笑いは絆のインフラ”という信念のもと、吉本興業で実践されている試みが、地域の活性化につながるとともに、大阪を代表する魅力であるお笑いを通じて、大阪の本当の魅力が発信され、全国に伝わるきっかけになればと感じました。
なお、吉本興業は来年に創業100周年を迎えられます。これを記念した事業についても、トークセッションの中で宣伝されていましたので、ご興味のある方は是非チェックしてみて下さい。
第5回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに大阪ガス エネルギー・文化研究所の栗本智代氏をお迎えして、12月8日(木)に開催されます。テーマは「まち物語としてのエンタテインメント」です。興味を持たれた方は是非参加して下さい。(参加費は無料で、どなたでも参加出来ます)
今年度は5回シリーズで開催され、その第4回目となる今回は、吉本お笑い総合研究所理事の田中宏幸氏がゲストスピーカーとして登場され、「吉本の波乱万丈の100年と大阪」をテーマとした講演をされました。
(会場の様子)
吉本興業の歴史、笑いと時代や大阪の変化との関わり、そして、これからの取り組みについての田中氏のお話は次のようなものでした。
(ゲストスピーカーの田中氏)
・吉本興業のはじまり
吉本吉兵衛とせい夫婦が、天満八軒のひとつである第二文芸館を入手し、寄席経営を手掛けたことにより吉本興業は始まった。吉兵衛はお箸問屋のせがれであったが、寄席好きが高じるあまり、生業が立ち行かなくなったことをきっかけとして、寄席経営を始めた。
始まったばかりの寄席では、落語家に出演してもらうのが難しく、出しモノは諸芸や色モノばかりであった。しかし、入場料の安さ、お客さんや芸人へのホスピタリティ、若い芸人たちの頑張りにより、口コミで人気が出た。
この頃は、サラリーマンとして多くの若い世代が大阪に流入し、大阪が膨張していった時期であったことも、寄席の人気につながった。
2人は、お金が入ると次々と寄席を入手し、チェーン化に乗り出すとともに、上方落語最後のスターとして名高い、桂春団治を看板芸人に迎えたことにより、寄席経営を軌道に乗せた。
・大衆社会の到来とラジオ、トーキーの誕生
大大阪として大阪が発展したことにより、大衆社会が到来した。まちにはサラリーマンが登場し、古典落語の背景である丁稚奉公の世界がなくなった。そのような状況の中、手に何も持たず、洋服を着て、若い工員に向けたネタをすることにより、屈託のない笑いをとったエンタツ・アチャコがスターになるとともに、ラジオの登場により、しゃべくり漫才の人気が不動のものとなった。
・戦争と焼け跡からの復興
戦争が始まった後も、吉本興業は、朝日新聞と提携して戦地慰問団「わらわし隊」を派遣するといった活動を続けるが、戦禍による被害は大きく、終戦を迎えると一旦解散することとなった。その後、焼け残った劇場を映画館として再開するものの、しばらくの間舞台演芸から離れることとなる。
・戦後の復興とテレビの登場
しかし、昭和34年になると「うめだ花月」を演芸場として開場し、その年に開局した毎日放送とともに、吉本バラエティのテレビ中継を開始した。これによりコメディブームが沸き起こった。その後、戦後の復興や経済成長にともなって大阪が元気になると、テレビやラジオの深夜放送が始まり、二鶴、三枝らの新たなスターが誕生した。また、吉本興業自身もテレビ番組制作会社を設立し、大阪らしい視聴者参加型の番組を制作することにより、たくさんのヒット番組を生んだ。
昭和55年には空前の漫才ブームが沸き起こり、多くのスターが誕生する。このころから、漫才が変わり始めた。それまでは、作家がつくったネタをタレントが漫才として披露していたが、自分たちでネタをつくり、自分たちの言葉で漫才をするタレントが人気を博すようになった。笑いがよりアップ・トゥ・デイトなものへと変化したのである。これを受けて吉本では、師匠と弟子の関係によりタレントを育てる方針を転換し、タレント養成所を設立した。ここからは、ダウンタウンやトミーズをはじめとした多くの人気タレントが生まれた。
・携帯電話、インターネットの世界へ
現在は、圧倒的であったテレビの影響力が下火になり、携帯電話やインターネットの普及によって、地方からも情報発信できるようになった。
吉本では、「沖縄映画祭」や「あなたの街に“住みます”プロジェクト」「@ホーム寄席」といった取り組みにより、地方のメディアと協力しながら、地方を盛り上げていくプロジェクトを始めている。笑いを絆のインフラとして活用したいと考えており、みなさんに喜んでもらえている実感はある。今のところ全く儲からないが、この取り組みをどの様に紹介し、維持していけば良いか検討している。
吉本吉兵衛とせい夫婦が、天満八軒のひとつである第二文芸館を入手し、寄席経営を手掛けたことにより吉本興業は始まった。吉兵衛はお箸問屋のせがれであったが、寄席好きが高じるあまり、生業が立ち行かなくなったことをきっかけとして、寄席経営を始めた。
始まったばかりの寄席では、落語家に出演してもらうのが難しく、出しモノは諸芸や色モノばかりであった。しかし、入場料の安さ、お客さんや芸人へのホスピタリティ、若い芸人たちの頑張りにより、口コミで人気が出た。
この頃は、サラリーマンとして多くの若い世代が大阪に流入し、大阪が膨張していった時期であったことも、寄席の人気につながった。
2人は、お金が入ると次々と寄席を入手し、チェーン化に乗り出すとともに、上方落語最後のスターとして名高い、桂春団治を看板芸人に迎えたことにより、寄席経営を軌道に乗せた。
・大衆社会の到来とラジオ、トーキーの誕生
大大阪として大阪が発展したことにより、大衆社会が到来した。まちにはサラリーマンが登場し、古典落語の背景である丁稚奉公の世界がなくなった。そのような状況の中、手に何も持たず、洋服を着て、若い工員に向けたネタをすることにより、屈託のない笑いをとったエンタツ・アチャコがスターになるとともに、ラジオの登場により、しゃべくり漫才の人気が不動のものとなった。
・戦争と焼け跡からの復興
戦争が始まった後も、吉本興業は、朝日新聞と提携して戦地慰問団「わらわし隊」を派遣するといった活動を続けるが、戦禍による被害は大きく、終戦を迎えると一旦解散することとなった。その後、焼け残った劇場を映画館として再開するものの、しばらくの間舞台演芸から離れることとなる。
・戦後の復興とテレビの登場
しかし、昭和34年になると「うめだ花月」を演芸場として開場し、その年に開局した毎日放送とともに、吉本バラエティのテレビ中継を開始した。これによりコメディブームが沸き起こった。その後、戦後の復興や経済成長にともなって大阪が元気になると、テレビやラジオの深夜放送が始まり、二鶴、三枝らの新たなスターが誕生した。また、吉本興業自身もテレビ番組制作会社を設立し、大阪らしい視聴者参加型の番組を制作することにより、たくさんのヒット番組を生んだ。
昭和55年には空前の漫才ブームが沸き起こり、多くのスターが誕生する。このころから、漫才が変わり始めた。それまでは、作家がつくったネタをタレントが漫才として披露していたが、自分たちでネタをつくり、自分たちの言葉で漫才をするタレントが人気を博すようになった。笑いがよりアップ・トゥ・デイトなものへと変化したのである。これを受けて吉本では、師匠と弟子の関係によりタレントを育てる方針を転換し、タレント養成所を設立した。ここからは、ダウンタウンやトミーズをはじめとした多くの人気タレントが生まれた。
・携帯電話、インターネットの世界へ
現在は、圧倒的であったテレビの影響力が下火になり、携帯電話やインターネットの普及によって、地方からも情報発信できるようになった。
吉本では、「沖縄映画祭」や「あなたの街に“住みます”プロジェクト」「@ホーム寄席」といった取り組みにより、地方のメディアと協力しながら、地方を盛り上げていくプロジェクトを始めている。笑いを絆のインフラとして活用したいと考えており、みなさんに喜んでもらえている実感はある。今のところ全く儲からないが、この取り組みをどの様に紹介し、維持していけば良いか検討している。
田中さんのお話から、笑いは、大阪の変化やメディアの変化に合わせて発信方法を変化させてきたこと、いま大きな変化の時期に差し掛かっていることが良くわかりました。
“笑いは絆のインフラ”という信念のもと、吉本興業で実践されている試みが、地域の活性化につながるとともに、大阪を代表する魅力であるお笑いを通じて、大阪の本当の魅力が発信され、全国に伝わるきっかけになればと感じました。
なお、吉本興業は来年に創業100周年を迎えられます。これを記念した事業についても、トークセッションの中で宣伝されていましたので、ご興味のある方は是非チェックしてみて下さい。
第5回CITEトークセッション2011「大阪とエンタテインメント」は、ゲストスピーカーに大阪ガス エネルギー・文化研究所の栗本智代氏をお迎えして、12月8日(木)に開催されます。テーマは「まち物語としてのエンタテインメント」です。興味を持たれた方は是非参加して下さい。(参加費は無料で、どなたでも参加出来ます)