進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

ナショナルジオグラフィーの再現VTRについて

2011年10月19日 | 講演会&説教
先週アメリカで放映されたナショナルジオグラフィーのインタビューや再現VTRの番組の再現VTRのなかでの私の話がまがって脚色されていました。と、いうか、だいじな救いの部分にまで話が行っておらず、私の主張はどこえやら・・・

指をつめたことによって赦されてそれがうれしかったとは一言も言っていなくて、実は指をつめたときには兄貴に涙を流されてしまったのです。車はお金を出せば買えるが、たつやの指は戻らない、と、、、だから指を落としたことで赦してもらったということもないし(初めからゆびなどとは言われてなかった)、そのようなことで赦されてうれしかったということもない。兄貴に泣かれて嬉しかったのだ。
しかしテレビで私が「赦されて嬉しかった」と言っているのは、神様に出会って、イエスさまの十字架によって罪が赦されるということがわかってそれがうれしかった、とインタビューで話したのに。

写真のところの説明書きもちょっと???というところがありました。自分のことを説明していたのですがBaptist Lay Preacherとなっていました。バプテストではないし、按手を受けた牧師であり、Laypersonではありません。どうして普通にPastorと書いてくれなかったのか、、、
インタビューした人が知らなかったのかもしれませんが、ちゃんと初めから言ってるのに、、、放映する前に見せてくれたら、ちゃんと訂正できたのですが、、、残念です。

教皇訪問、プロテスタント側の期待満たされず(クリスチャンTODAYより)

2011年10月19日 | 日記
【CJC=東京】教皇べネディクト16世が、今回のドイツ訪問で、カトリック者とプロテスタントが聖体(聖餐式)を共にすることの禁止を解き、またプロテスタント諸派を『教会的共同体』ではなく『真実の教会』と認めるのではないか、とのプロテスタント側の期待が満たされなかったことに失望している人は多い、とENIニュースのルビー・ラッセル記者は伝える。

 訪問の2日目の9月23日にエルフルトで行われた会合に列席した福音教会(EKD)協議会のタベア・デルカー議員は、「大きな期待を持っていたが、今回の旅行ではそれが満たされなかった」と言う。「教皇は高齢で健康でないから、カトリシズムとプロテスタンティズムをより近づけるという仕事が出来るのか分からない」とインタビューに答えている。べネディクト16世は84歳だ。

 「宗教改革」の創始者マルティン・ルターが学んだという旧聖アウグスチノ会修道院で、べネディクト16世はプロテスタント指導者と会見、EKDのニコラウス・シュナイダー会長は、心が「より多くを求めて燃えた」と語り、会合を「非常に重く深い友好的な出会い」と指摘した。

 シュナイダー会長は、ルターを「わたしたちの教会の間のちょうつがい」だとし、カトリック者とプロテスタント双方に、聖体(聖餐式)を共に守ることが許されるべきた、と呼び掛けた。プロテスタント教会の多くは今もカトリック者やそれ以外の教派のキリスト者が聖餐式を共に守ることを認めている。

 べネディクト16世は、分裂に関してこれまで強調されていたことを遺憾だとした。「ほとんどの部分で、わたしたちは、わたしたちを分けてきたものだけに目を留め、わたしたちが共通に持っているものを実存的に把握することに失敗した」と語っている。
 2017年が「宗教改革」500周年に当たることから、教皇の歴史的な場所訪問はそれ自体がメッセージだと見る人も多い。「彼は、わたしたちが共通の歴史を有していることを非常に明確に示す場所に来た。わたしはそれが転機であり、わたしたちがこの世界で共通の使命を分かち合っていると言う方法であると望む」と福音教会のイルゼ・ユンカーマン監督。

 教皇は、ベルリンでイスラム教社会の代表とも会見している。ミュンスター大学イスラム教研究所のムハナド・コルチデ教授は、会見を「ドイツに於けるイスラム教徒を認知する姿勢であり、わたしたちに、イスラム教徒としての認知と名誉を与えるものだが、それは、この世界におけるキリスト者とイスラム教徒の平和的共存へのより大きな道標となった」と指摘する。

 ドイツにはイスラム教徒が350万人おり、宗教グループとしてはキリスト教に次ぐ大きさ。最近ではモスク建設が大議論になり、イスラム教徒はドイツに属しているのかが政治的にも問題化している。