進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

マタイ21章のデボーションシェアです!!

2011年10月22日 | 日記
【新改訳改訂第3版】
マタ
21:9 そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
21:10 こうして、イエスがエルサレムに入られると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか」と言った。
21:11 群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」と言った。
21:12 それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
21:13 そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
21:14 また、宮の中で、盲人や足のなえた人たちがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。


贖罪の十字架に向かってスピード感溢れる描写になっていく感じがします。

主イエスのエルサレム入場。きっと、「ホサナ!!」と、熱狂している群集が「十字架につけろ!!」と、手のひらを返すことも知っておられたと思う。

イスカリオテのユダの裏切りも。裏切るものの足を洗う主イエスのお気持ちは如何に。
くさいくさいホームレス上がりのMくんの足を洗ってやったシュウジの成長を喜びたい。

さて、このクライマックスの導入といえる主イエスの宮清め。今風に言えば、祭りの露店商の店をひっくり返す、やくざの抗争のような場面を私は思うのですが、ここに神の子としての権威があるのです。だれも押さえつけることができなかった。大工上がりの屈強な男にしても、それだけでは大勢の露店商を前に太刀打ちできない。

露店商に罪の意識があったのか?主イエスに神の子の権威の故だと私は思う。捕縛されるオリーブ山でも主イエスの許しがなければ捕縛できなかった。捕縛に来たローマ兵はしりもちをついた。

神の子としての風格、威光が光っていたに違いない。ちゃらい牧師、進藤も神を語るとき、伝道するときは神が乗り移っているごとくに違いない。(信仰者はそうあるべきだ)

ここでひっくり返された露店商は、罪の贖罪のための「いけにえ」を売る者たちである。この露店商の商売方法は、巡礼者が持ち寄ってきた「いけにえ」に、「傷物だ」「それじゃいかん」「律法違反」と、難癖をつけて「自分たちの売っているものなら間違いないから買いなさい」と、商売していたようです。これはほんの一例ですが。また、そんな露店商を黙認して露店商の上前をはねて私腹を肥やしていたのが当時のユダヤ教宗教指導者だったのです。いまでいう的屋の親分みたいな存在です。そこを神の支配に戻すべく、義侠人イエス様が現われたのです!!じゃじゃーん。私はここの場面がかっこ良くて好きです。

それだけではなく、神の支配の実現を見せるべく、癒しを行なわれたのでした。

21:14 また、宮の中で、盲人や足のなえた人たちがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。


写真は西宮のゴスペルライフの金曜集会にて。

祈り
憐れみの主感謝。人生と体、魂の癒し主に感謝。主よ。あなたは私のすべてです。あなたなしには私はチリに過ぎません。生かしてくれて、人生を復活させていただいて感謝します。これからもついていきますので信徒ともどもよろしくお願いします。