進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

「御霊による新しい創造のクリスチャン」‭ローマ人への手紙‬ ‭2:29

2019年05月21日 | デボーションシェリング 2016年から
「御霊による新しい創造のクリスチャン」

「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神からくるものです。」
ローマ人への手紙2:29 新改訳2版

他の訳語の聖書を開いてみると(アプリがあると読み比べが簡単なのでオススメしている)

「真のユダヤ人とは、心が神と正しい関係にある人のことです。神は、体の割礼を受けた人ではなく、心と思いが全く変えられた人を捜し求めておられるからです。そのような人こそ、人にはほめられなくても、神にほめていただけるのです。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭2:29‬ ‭JCB‬‬

「内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。」
‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭2:29‬ ‭新共同訳‬‬

神を愛し、神の戒めを守ることを、自らが進んでやるというのは、新しい創造の中にいるクリスチャンしかいないと言っても過言ではない。
なぜなら、キリストを救い主、神の子と認め、それに従うからである!神子を信じることが何より父なる神が望むこと。
それ無くして、何もない!


罪人の友 主イエス キリスト教会 進藤龍也
 
 
 
 
 

「キリストに信頼するのは失望に終わらない」詩篇56:8

2019年05月16日 | デボーションシェリング 2016年から

「キリストに信頼するのは失望に終わらない」

昨夜のアーサーホーランド先生の説教の中で一番響いたのは、タイトルのみことばだった。
その日の私のデボーションの祈りの中で出たみことばとリンクしていた。

それは「あらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる」
今朝の通読、デボーションで響いたみことばは

詩篇56:8
あなたは、私のさすらいを記しておられます。
どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。

観察と適用
表題ではペリシテ人がガテでダビデを捕らえた時に。とある。

とてつもない死を覚悟するときの歌なのである。
そんな時にだけ神様助けて!と叫んだ訳ではなく、あらゆる苦難の時も、嬉しい時にも神を賛美しているのが詩篇であり、信仰である。

キリストに信頼するの人生は、失望や絶望でピリオドを打たない。

祈り
私の今の苦しみ、戦いも全てあなたの記録に記されています。そしてそれは私の通過点であり、火で精錬される金よりも尊いキリストの人格に近づく訓練だと信じて歩みます。私を造り変えてください。アーメン


「臭い奴にはなりたくない!」 詩篇38:5

2019年04月29日 | デボーションシェリング 2016年から

「臭い奴にはなりたくない!」

詩篇38:5
「私の傷は悪臭を放ち、ただれました。それは私の愚かしさのためです。」

38編の表題はダビデのための記念の賛歌とあるが、これは悔い改めの歌である。重く受け止め二度と同じ過ちを犯さないことのため!といえる。

心の傷は悪臭を放つと読める。
最近の心の傷から子供の頃の心の傷まで、しっかりと主の癒しを受けること。

私の傷とは、悔い改めていない罪とも読める。
しっかり悔い改める。
悔い改めとは清い者しかできない。
素直な心は自分の過ちを認めることができる。これを謙遜という。

中野雄一郎師匠のメッセージ
俺が俺がの我に生きず、
おかげ おかげの下(げ)に生きる。

自分を大きく見せる人は、「臭い」と書く。そんな人にはなりたくない!

私が不遜にも高ぶれば、悪臭を放つのだ。気をつけよう!高ぶりが本当に大敵である。

旧約聖書の滅ぼされる民族の共通点は「高ぶり」である。
高ぶりとは、結局 神なんて要らないということなのだ。自分が神!自分が一番!そんな心が高ぶりなのだ。

赦さない心は、この「高ぶり」に直結する。

祈り
赦しの学びも今年の一回目を終えました。心に刻み、また赦しの本を読んでくださいますように!アーメン




「献上のプロセスを知らねばならない」‭マルコによる福音書‬ ‭14:3‬ ‭新共同訳

2019年03月22日 | デボーションシェリング 2016年から

「献上のプロセスを知らねばならない」

「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭14:3‬ ‭新共同訳‬‬

黙想
嫁入り道具でもあり、300万円程の超高価なオイルを叩き割って、キリストに注ぐ。
自分の未来、夢を献上する献身にも取れる。
全財産だったかもしれない。その決断の不退転を示すものとも言える。
しかし、1番読み取らなければならないものは、この女性はイエスをキリストと認め、誰よりも愛していたということだ!
キリストご自身が言うように、

「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭14:8-9‬ ‭新共同訳‬‬

もったいない!という気持ちが周りの人たちを支配した。しかし、どんなものよりも、主イエスの方が尊く高価であり、何にも変えられない。

ヨハネによれば文句を言ったイスカリオテのユダは金入から金を盗みんでいだと言う。人のアラを探す人ほど、自分の罪を隠していると言うのは本当だと思う。

適用
どんなものであっても、その人が主に捧げるプロセスを知り、受け取らねばならない。
捧げ物は質でもある。
主は心を見られる方。
捧げ物はルーティーンになってはならない。
また、さばいてはならない。

祈り
今日も祈祷会や取材、日本橋のミニストリーがありますが共にいて働いてくださることを感謝します。アーメン

 

オレンジカウンティお茶の間集会


「信仰に裏付けされた行動」‭マルコによる福音書‬ ‭2:5

2019年03月11日 | デボーションシェリング 2016年から

「信仰に裏付けされた行動」

「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭2:5‬ ‭新共同訳‬‬

観察
「しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。」
‭‭マルコによる福音書‬ ‭2:4‬ ‭新共同訳‬‬

これがイエス様の見た彼らの信仰である。会うことができれば癒されるのだ!という、何が何でも!という信仰

適用
私たちクリスチャンは祈るだけではなく、祈りに裏付けされた行動を起こして行くこと。
彼ら(中風の友達)の行動はまさに信仰から出た行動であった。

中風の人は、自分の力で来ることはできない存在であった。その彼を仲間が信仰を持って連れてきたのだ。私もそのような人であり続けたい。

また、罪赦されなければ、癒しはないのだ。また、罪赦されなければ元気も出ないのだ!

祈り
今日の礼拝も期待した以上で、救いがあり、癒しがあり感謝します。礼拝が終わってからも3人の人が来てくれ感謝でした。ロスからも来てくださって感謝です。デボーション交わりにも感謝です!1人ひとりが成長しますように。アーメン