進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

コロサイ3章「教会生活

2011年08月31日 | 日記
コロサイ3章「教会生活」

【新改訳改訂第3版】
コロ
3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。
3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。


13v
深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、これらは=で結ばれているようであり、連結しているもののようだ。

14v
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」
つまり、=は「愛」である。愛で結ばれているのだ。

深い同情心=慈愛=謙遜=柔和


13v
「だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」
赦されたように赦す。赦すことは至難のわざであるが、自分自身が神の深い哀れみによって赦されたことを思うことで赦しの第一歩が始まると私は思う。寛容にされた分、寛容になれるはず。

私たちの霊的成長は愛なくしてはありえない。愛のないものゆえに、キリストの愛に「浸って」成長できる。
人への「ものさし」を変えてはいけない。


15v
「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。」
キリストの平和が心を支配するとは
16v
「互いに教え、互いに戒め」合えると言う事。
教えられるほうにも、教える方にも愛がないと届かない。
戒められる方にも、戒めるほうにも愛がないと届かない。
教会には「互いに」の愛が必要である。
牧師も信徒もキリストのいう、互いの中に入る。

17v
「 3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。」
主題である。
神は愛なり。すべてのことを主イエスの名のゆえに、キリストの為に行なうべし。


祈り
私たち一人ひとりが互いに愛をもって語れ、聞けますように。人への物差しを変える事がないように。誰一人として信仰の成長、霊的成長から取り残されないように。すべてに愛をもって、キリストの為に、隣人愛をもってなせるように。アーメン。



ある姉妹の証

2011年08月31日 | 講演会&説教
ご著書、読ませて頂きました。
何と表現すれば良いのか…
心がギュッと締め付けられるように苦しくなって、その後涙が出てきて、最後は、そうなんだ、そうなんだ、そうなんだよー!と共感の思い。
経験者だからこそ表面的な慰めでなく、心から寄り添い、共感され、道を誤った者の大きな力です。主が進藤先生を選んで下さった事を感謝します。

私は以前はイエス・キリストを拒否していました。自分には必要ないし、関係ないやと。
でも、ある時神様は呼んで下さったのです。
父親を憎み、殺意を持っていました。いつやろうと。夫は無関心で会話もなく息苦しい毎日。
自分はうつ病。でも家事、育児、仕事も休めない。何の為に生きているのか分からなくなり、全てを終わりにしたいと思いました。その時です。歩いていると教会のほとんど色落ちた看板の人生相談という文字が目に入り、「まずはここで話を聞いてもらうんだ。それまでは、自分の思いで事を越してはいけない」と心に入って来ました。数日後に行きました。牧師先生に「神様は愛して下さってるんですよ。一人で頑張らなくていいんですよ」と言われた時、涙が溢れとまりませんでした。それまでは笑う事も、泣く事もできなかったのです。その場で「信じます」と言ってました。その後洗礼を受けました。問題は次々に起こりましたが、心から叫んだとき「大丈夫」という声が聞こえました。また、見えない力が邪魔をしました。ある時は夜中に突然飛び起きて、窓から飛び出しベランダカから飛び降りようとしたり。パニックでした。今はイエス様に助けを求めるようになりました。一般の人は信じないかも知れませんが、苦しんでいる人には助けになるかなと思い、身近な人に少しずつですが神
様がして下さった事を話せるようになりました。以前は話す勇気も、こうしてメールする勇気も無かったのです。少しずつですが強くなっています。決して一人ではないと知ったから。本当の癒しは主に触れられたと知ったから。
自分の話が長くなってしまいスミマセン。
進藤先生のパワーに正直驚きです。でも、とても嬉しいです。感謝です。進藤先生、教会の皆さんが守られ強められますように、また、出会ったかたがイエス様を受け入れ救いへと導かれますようお祈りします。また、受刑者の社会復帰厚生施設、自給自足施設の為にもお祈りします。イエス様の御名に感謝します。アーメン。

p.sご自身のお体も大事になさって下さいね。


リーダー会議事録&石巻港:仮設イベント写真

2011年08月29日 | 南三陸町支援活動
教会に必要なもの:教会の一致by白井ママ
「平和のきずなでむすばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊はひとつです。あなたがた召された時、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、父なる神は一つです。」エペソ4:3-6

何をもって一致とするか?カトリック教会を例にとると、ローマ法王を長として一致している。同じように私達教会にも、教会、牧師への油注ぎがあることを認めなければならない。それは牧師の権威を認めることではあるが、権威主義ではなく、神さまがたてられた器としての牧師を認めることであり、神さまがどう言っているのか、聖書が何と言っているのかをちゃんと聞かなければならないということである。

目的意識を持たなければならない。神さまのために一つになるということを常に意識する。色々な人が教会にくるけど、その人々にある共通点は神さましかいない。この神さまのために自分たちがあるということを知る。そしてそのこころが大切である。(進藤)

教会への定着率を上げることが教会成長につながる。いろいろな相談事をもって教会に来る人がたくさんあるので、その人たちが相談事をして解決を見いだすだけでなく、その中に神さまを見いだすことができるように教会が存在する。相談事の解決だけで教会に一回だけ来る人たちに、神様がいることをもっと伝えないといけない。(平田神学生)

それぞれのリーダーを尊敬する。信徒から誰かリーダーを非難することばを聞いても、同調しない、動かされない。牧師が任せているリーダーを信頼する。エペソ4章にあるように御霊がひとつであるのだから、この聖霊さまに各リーダーが日々くっついて共にいれば一致は必然である。神さまとよく交わることが大切。(ゆみ)

従順が大切。神さまの計画にのっとる。行動をもって伝道することと持続が大切。仕事でも続けることが証しになる。キリストに対する努力。(I)

召されたあなたがたは召しにふさわしく歩みなさい。神の召しによるリーダーであることを忘れない。信じ合うこと。教会はしょせん人間関係。そしてその中心は神さま。人からあこがられるクリスチャンとして常に神さまが見える行動をとる。時に自分のやりたいことと神さまのミッションが違うことがあることも知らなければならない。(鷲尾神学生)


今回は、明るい社会埼玉協議会と明るい社会宮城県と合流して志津川高校避難所お別れ会に出席した。その前に、石巻で活動されている宮城県明社のHさんの案内で石巻港を見てきました。そこにNHKの番組にも出ていたボランティアの佐藤さんがガイドしてくれました。石巻港も地盤沈下しています。写真の通りです。その佐藤さんから電話をいただいて著書がよみたいということなので学研のを二冊送りました。また、仮設でイベントを明社がしていました。仮設はばらばらの地域の人が抽選で住んでいるのでコミニティーがありません。しかし、このようなイベントで顔見知りを作るとは考えたものです。キリスト教会がこれをするとなると、ビールが出るし・・・ややこしいことになりかねないな・・・でも、ビールがないと特に田舎の人は始まらないよな・・・などと考えていました。それから、志津川に大急ぎで向かいました!!!


真の信仰とは、あなたが見て確信する前に、神に栄光を帰するのです

2011年08月29日 | 日記
1960年代、アメリカで「ジーザス・ムーブメント」と呼ばれる大きな運動が起こりました。このとき、多くのピッピーたちがイエス・キリストを信じましたが、その働きで大きく用いられたのが、カリフォルニア・コスタメサのカルバリーチャペルの主任牧師であったチャック・スミスです。
 チャック・スミスに、こんなエピソードがあります。……カルバリーチャペルが現在のような成長をとげるはるか以前、17年間も不毛のときを体験したことをチャックは告白しています。教会成長のマニュアルに書かれてある、ありとあらゆることを試みたあげく、教会員数は27人から17人に減少しました。チャックはアルバイトをしなければなりませんでした。
 アルバイトの働きは順調でした。ところが、その働き場には組合があって、組合費を毎月払わなければならないのに、彼はそれを知らなかったのです。あるとき滞納した組合費と追徴金の請求を受け、支払う余裕がなくて困りました。どうしようと右往左往しているとき、友人から「あなたのことを覚えるよう祈っていて示されました。昨日小切手を速達で送りました」と電話が入りました。額を聞いてみると、滞納していた組合費と追徴金の合計額とピッタリだったのです。「もう大丈夫だ。借金は返済できる!」彼は喜びました。
 ところがその喜びのど真ん中で、神様は彼の心に語ったのです。「チャック、あなたは友人の言葉にこれほど興奮しているのに、『すべての必要を満たす』(ピリピ4:19)という私の言葉には興奮しなかった。いったい、どっちのことばを信じるのだ?」
 チャックはこのときのことを振り返って「私の目は神から離れ、問題の上に注がれていました」と述懐しています。そして「真の信仰とは、あなたが見て確信する前に、神に栄光を帰するのです」とチャックは語っています。徹底した聖書信仰……聖書全巻に渡る講解説教を、聖書に書いてある通りに嬉しそうに、楽しそうに語るチャック・スミスに多くの人が影響されましたが、私もその中の一人であることを正直に告白します。