1、洗礼者には洗礼の学びを行ないます。
1、洗礼の学びが前後、逆になることもあります。
(使徒の働き2章のペテロ、8章のピリポ)
心が開き洗礼を受けたいという気持ちも主から与えられたと信じるからです。
1、転会者も、洗礼後の人も、いつでも洗礼の学びを一緒にできます。
1、いかなる場合も私たちは批判精神を追い出し、批判されても同じ土俵に上がりません。批判、非難、中傷の類を一切いたしません。個人メールにも、インターネットからも一切いたしません。
1、学びの中で霊的一致と理解の下で十分の一献金を奨励しますが強制ではなく、生きたる神への応答の喜びとします。
1、信仰をもつ者として、手本となる生き方を証とします。日常の中にこそ、神が生きておられることを実感する信仰者として生きることを喜びとします。
1、日々、御言葉(みことば)に親しみ、聖書通読、デボーション、祈りの生活習慣を身に着けます。
1、教会奉仕は人と比べるものではありません。隣人奉仕も同様です。自ら進んで喜んで!捧げることすべてが生きた供え物としての礼拝であることを心とします。
1、教会は有機体であり、キリストの体です。それぞれの役割と賜物を認めます。そして、身体ですから一人が痛めば全体が痛いことを痛感します。一人が居なくなれば指をつめたようにいたいこと、不便なこと、悲しいことを認めます。
1、互いに愛し合いなさい。新しい戒めの中の「互いに」は牧師も信徒も入ります。
1、教会のかしらはキリストです。牧師の監督を認めます。牧師の任職の油を認めます。
1、禁酒・禁煙は洗礼の条件ではありません。飲酒・喫煙を裁く教会でもありません。人につまずきを与える呑み方、吸い方は問題です。信仰に応じて、神様からいただいた身体を労わり、よき管理者として生活します。それぞれの信仰のあり方、立場を尊敬します。
写真は聖約キリスト教団の方々と。