2013年、イギリスで『中世ラテン語辞書』が完成した。 100年以上の年月がかかったという。
話し言葉としては既に死んでいるラテン語。 どう活用されるか、自分たちが生きている間に完成するかわからない辞書に... なぜ、人は時間と精力を注ぎ込むのか。
『100年かけてやる仕事』はこうした人たちの営みから、 人間の「働く意味」を追ったノンフィクションだそうだ。
翻って日本語はどうか。
ある識者は 「土台の言語を失った言語は脆弱になる」 「アイヌ語を守らなくてはいけない。 アイヌ語の絶滅は将来、日本語の存続を脅かすことを知る べきだ」 と警鐘を鳴らす。
中世ラテン語は イタリア語やフランス語、スペイン語の土台の言葉なのだ、と。
アイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語――これらは消滅の危機にある日本の「言語」だ(2009年2月ユネスコ発表)。
なぜ消滅危機言語を守らなければいけないか。
「コミュニケーションツールとして、英語なり共通の言語があるのは、いいことだと思います。けれど、それは単なるツールですよね。言葉というのは、人間が人間であることの証ですから。つまりわたしたちは、言葉で思考している。言語がなかったら、多分、考えることもできない」
「人間として根本的な、生きていくための思考。哲学といったらちょっと抽象的ですけど、色々なことを考える根本にあるのが言語だと思うんです。それこそ生活に根ざしたものであるはずです。まず生まれてから育つまでにいろんな経験をしていくと同時に、それらをあらわす言葉を耳にして、世界を理解し、自分を形づくっていく。それが、世界共通であるはずがない。だって、文化が違うし、気候も違うし、周りの社会構造も違うし。無理に世界共通にするなんて非常に恐ろしいことですよ」(国立言語研究所・木部暢子氏)