車掌として乗務した堀本春野さんの手記から。
http://blog.livedoor.jp/mitokosei-3105/
キップも釣銭もない鞄を手渡され、「お金のない人からは電車賃をもらわんでもええで」と言うことでした。己斐から天満町の折り返しで、お客がおーよそ座られたら発車すると言った具合でした。乗客は無口な人が多く、「おお電車が動くんか」と驚かれる人。「鉄橋が怖いけんのー」と有難がる人。火傷の人、斑点が見える人、色々でした。 「有り難うございました」「済みません」と言い、電車賃の払えない人も多かったように思います。身内の方を捜しに行くらしき人も有り、お客は少なかったとは言えない状態でした。私も、淋しさ、怖さ、焼け跡に母の姿のない情けなさ、前日の下痢と、精神的に肉体的に最悪でした。立って居るのがヤットという中で乗務出来た事は、今も私の心に何かが残っています。
(広電開業八〇創立五〇年史)