赤毛のアンに思う。
テレビで赤毛のアンのアニメがやっていますね。
最近、なんだか見てしまっていて、今回は初めて日曜学校にアンが行く回でした。九話かな。
初めて日曜学校にいくアン。
用意してくれた服を見て、袖が膨らんでいないことに落胆し、野に咲く花で帽子を飾らずにはいられなかったアン。
なんだか、その気持ち 理解しなきゃって思うのです。
赤毛をもって生まれ、皆に注目されてしまう運命を背負った子供がさらされる好奇の目
それに対抗するために、無意識で子ども自身が思う気持ち。
なんでもいい。
たぶん自分なりに、納得していたい。
目立つからには、蔑まれるより羨ましいと思われたい。
当たり前の心理。
そう考えると アンの気持ちも 至極もっともな気がしてくるのだ。
なんていうか。
娘さんも 生まれつき障害をもって生まれ、義足を履いていて嫌でも目立つ。
目立つからには、やはり同じ心理を持つだろう。
だから、やはり
アンのこの時の気持ちに寄り添うように、私たち親が同じ気持ちになって、知恵を出し合わなければならないとわたしは思うのだ。
そんなことは本人の問題。
過保護すぎる。
わたしはそうは思わない。
まだ、小学生中学生では、自分だけで周りからの好奇の目を跳ね返すだけの自信をもつのはむつかしい。
ある程度、必要性を理解して、備えつつ
内面的にはなんでもいいから自信になるものを。
外面的には周りに胸を張れるだけの、自分なりに納得したおしゃれを。
親が小さい頃から意識しなければ、自信につながるような習い事は選べない。
お金をある程度かけ、さらには探す手間や加工する手間をかけなければ、義足使用者はおしゃれは難しい。
そういうことだ。
思春期において、好奇の目を「怖い」と思うことなく、普通に跳ね返せるように。
そのことこそが、娘をいろんな意味でコンプレックスから解放して、好きなことを選ぶための土壌になりはしないか。
そう思うのだ。
大げさかもしれない。
でも、やはり思うのだ。
心配しすぎて取り越し苦労をするのは、親バカと笑われれば済む。
でも、娘の気持ちに寄り添えずに、娘が好奇の目を「怖い」と思ってしまったら、それを克服するのは並大抵のことではない。
昔、自身が精神を病み、悩み苦しい学び、克服した経験。
だからこそ、コンプレックスが人生に落とす影をわかりつもりだ。
ただでさえ、義足を履いて、人より不自由なことが多いだろう娘に
どうか、それを跳ね返せるだけの自信を。
ただ、それは
あまりに目立つことによらず、できるなら日常生活のなかであくまでもさりげなく。
あまりに目立ち、注目されること。
それはそれで、本人の選択肢を狭めると思うから。
あと少し
本人の意思がはっきりするまで
親としての戦いは続くのだ。
テレビで赤毛のアンのアニメがやっていますね。
最近、なんだか見てしまっていて、今回は初めて日曜学校にアンが行く回でした。九話かな。
初めて日曜学校にいくアン。
用意してくれた服を見て、袖が膨らんでいないことに落胆し、野に咲く花で帽子を飾らずにはいられなかったアン。
なんだか、その気持ち 理解しなきゃって思うのです。
赤毛をもって生まれ、皆に注目されてしまう運命を背負った子供がさらされる好奇の目
それに対抗するために、無意識で子ども自身が思う気持ち。
なんでもいい。
たぶん自分なりに、納得していたい。
目立つからには、蔑まれるより羨ましいと思われたい。
当たり前の心理。
そう考えると アンの気持ちも 至極もっともな気がしてくるのだ。
なんていうか。
娘さんも 生まれつき障害をもって生まれ、義足を履いていて嫌でも目立つ。
目立つからには、やはり同じ心理を持つだろう。
だから、やはり
アンのこの時の気持ちに寄り添うように、私たち親が同じ気持ちになって、知恵を出し合わなければならないとわたしは思うのだ。
そんなことは本人の問題。
過保護すぎる。
わたしはそうは思わない。
まだ、小学生中学生では、自分だけで周りからの好奇の目を跳ね返すだけの自信をもつのはむつかしい。
ある程度、必要性を理解して、備えつつ
内面的にはなんでもいいから自信になるものを。
外面的には周りに胸を張れるだけの、自分なりに納得したおしゃれを。
親が小さい頃から意識しなければ、自信につながるような習い事は選べない。
お金をある程度かけ、さらには探す手間や加工する手間をかけなければ、義足使用者はおしゃれは難しい。
そういうことだ。
思春期において、好奇の目を「怖い」と思うことなく、普通に跳ね返せるように。
そのことこそが、娘をいろんな意味でコンプレックスから解放して、好きなことを選ぶための土壌になりはしないか。
そう思うのだ。
大げさかもしれない。
でも、やはり思うのだ。
心配しすぎて取り越し苦労をするのは、親バカと笑われれば済む。
でも、娘の気持ちに寄り添えずに、娘が好奇の目を「怖い」と思ってしまったら、それを克服するのは並大抵のことではない。
昔、自身が精神を病み、悩み苦しい学び、克服した経験。
だからこそ、コンプレックスが人生に落とす影をわかりつもりだ。
ただでさえ、義足を履いて、人より不自由なことが多いだろう娘に
どうか、それを跳ね返せるだけの自信を。
ただ、それは
あまりに目立つことによらず、できるなら日常生活のなかであくまでもさりげなく。
あまりに目立ち、注目されること。
それはそれで、本人の選択肢を狭めると思うから。
あと少し
本人の意思がはっきりするまで
親としての戦いは続くのだ。