今回は、明治以降の小謡集です。
小謡集とは、謡曲の聞かせどころを抜粋して集めたものです。
以前、江戸時代の小謡集を、11種ほど紹介しました。小謡集は、明治以降も盛んに発行されました。それらとの比較も含めて、手持ちの小謡集を、数回に分けて紹介します。
私の手もとには、明治以降のものとしては、6種の小謡集(もしくは、それに相当する物)があります。
今回は、右側の3種の小謡集です。
観世流の小謡集が2種、宝生流の小謡集が1種です。いずれも小型で、片手に持って操作できる大きさです。持ち運びを第一に考えてあります。この点は、江戸時代のものより、はるかに優れています。また、江戸時代の小謡本に多くあったような、能にまつわるミニ知識のようなものは一切載っていないのも大きな違いです。実用に徹したといえるでしょう。
古い物から順に見ていきます。
『観世流 独吟集』檜常之助、明治44年(初版は36年)。
訂正者、発行者からしても、当時の観世流の正統謡本をもとにして、抜粋された小謡集といえます。
これなら、どこでもさっと取り出して、謡うことができます。
最初に高砂、江口、鵜飼・・・と続きますが、どういう順なのか理解に苦しみます。何よりも、目的とする謡いを探すのが大変です。
高砂は、江戸時代の小謡集でも、多くの場合、最初にありました。なぜ高砂なのかよくわかりません。目出度い脇能なら、翁(神歌)の方が適当だと思うのですが。
いずれにしろ、多くの小謡集では、高砂が最初に来ます。
小謡集にしては、元の謡い本から、かなり多くの部分が掲載されています。
が、ここで、ん❓❓
結婚式で定番の、「高砂や、この浦船に帆をあげて・・・・・・・はや住之江に着きにけり」の部分が、どこにもありません
もう一つの、観世流小謡集はどうでしょうか。
『観世流獨吟小謡集』観世流改訂本刊行會、大正13年。
観世流の謡本を外から改革するという志をもって改訂本を刊行していった丸岡桂の出版物です。当然、観世流正統の謡本とは異なる、改訂謡本から小謡いを抜粋したものです。
やはり、高砂が最初にきた後、田村、江口、班女、鵜飼・・・と続き、どういう順なのかよくわかりません。
しかし、もうひとつ、いろは順の目次がついています。これなら使い勝手がよいです(^.^)
では、「高砂」はどうなっているのでしょうか。
「高砂」の小謡いには、やはり、「高砂や・・・・・」の部分は載っていません。
3つ目の小謡集は、宝生流です。
『宝生流獨吟 花月抄』わんや書店、昭和14年(初版は8年)
目次が、他のものと違います。あいうえお順です。さらに、()の中に、小謡いの出だしの文句が書かれています。これは使いやすそうです。
「高砂」の小謡いです。
やはり、「高砂や・・・・」はありません。
謡いと言えば、高砂やが浮かびます。一番広く知られている謡いではないでしょうか。特に結婚式にはつきもの。小さい頃から、たくさんの「高砂や・・・」を聞いて(聞かされて)きました(最近はこういう結婚式自体が稀(^^;)。しかし、小謡集には載っていません。
『小謡集』は、手軽に持ち運べる謡いの簡易テキストです。いろいろな催しの際に、さっと謡うには便利です。特に結婚式。そこで定番の「高砂や・・・」が載っていないのは大変不思議です。
残りの小謡集を手掛かりにして、この謎に挑戦したいと思います(^.^)
高砂神社には相生の松は有るのですが、住吉に行った際、「住吉の松は有名ですが、どの松ですか?」と聞いて、困惑されました。松も昔の友ならない話です。
また楽しみに拝見いたします。
拙句
高砂のまつも長きは蚊に刺され
(高砂神社には御垣が歌碑となっており、読んでいる内、あっちこっち蚊に刺されてしまいました。松と待つの懸詞)
海辺の松があっての高砂なのに、謡曲のなかにしか存在しないのでは淋しい限りです。
jikanさんの句、秀逸です。
どのような展開になるのか、楽しみです(^_^)
骨董品でも、同じようなことがありますよね。あっ、そうだったのか、となると少しスッキリします(^.^)